連続的にビームを発振する低くも甲高い音が、ビームの膜のようなものをささえた一機のモビルスーツは、そのビームの膜状のものを楯にした。
これも変な文章だ。――こういうのはいわゆる「富野節」というリズムの問題ではなくて、執筆時にペンが滑って書き飛ばしたのをそのままに、その後チェックされてないだけだと思う。版による違いなどは知らない。わたしは、電子版で読んでいるのはこのたびゼータだけだけど、ゼータでは電子版で全く訂正など見られなかったからF91もそうだろう。『閃光のハサウェイ』では新装版の際に明らかな誤りの箇所は小訂正が入ったと聞いている。
富野文にある特徴的なプロセス文体、プロシージャというか……手続き文では、今回それも気にしながら読み続けていたけど、読者の印象からは意外に、90年頃までそれほど多用はされていない。
しかし、その後の事態が、どういうふうに進行したのか、レーン・エイムには、わからなかった。
ともかく、敵のモビルスーツは、なぜかペーネロペーに対する位置に、あらわれた時には、無数と思えるミサイルをぺーネロぺーにあびせて、後退したのである。
文章の接続は保ってダラダラ続けていくので、日本語の文法自体は壊れてはないだろう。
堤防のあった砂丘の面から、湧き立ったゴレンゴンが、ドミノ倒しの動きの逆をまねるようにして、その白い巨体を無数といっていい数にみせて、人びとに襲いかかったのである。
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上のところは、補うなら、
という、宇宙世紀初出の「ビーム・シールド」のお披露目の描写だが、それがどうも抜け落ちてみえると言いたかった。小説ではビーム・フラッグのほうが先に出ている。
80-90年代とかラノベ一般に、こういう文章の粗というよりは校正の雑さが珍しいことは全然ない、普通によくある。つまんない話なんだけど、富野作品の場合「ラフに提出されたものが長年そのまま読み継がれている」という問題が、今どきネット上で時々困ることがある。
前回『ガイア・ギア』で触れた、文意が真逆になっているようなのは、いま読み返していて、わたしの思ったよりは少ないな。最悪なのはこのあと『ガーゼィの翼』だけどな。
上のセシリーのとこなんかも、わたしはわたしが読み返すときに、何年おきかにそのたび「??」と思っていると思うので、メモを書き留めておくのはわたしのためだ。