かとかの記憶

富野由悠季 周回 / 6

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katka_yg 2025/03/01 (土) 11:42:03 修正 >> 5

シャアからカミーユへ

シロッコ目線では「覇権主義の俗物」というのはバスクのことで、バスクは「目の前の戦争で敵を潰して自分がのし上がること」が最大関心、この時代での男の野心だのように信じきっていて人類や宇宙のことは考えていない。本当に俗物でニュータイプとは話が通じない。シロッコ自身も結局それから自由ではなかったが、今はシャアのはなし…

グリプス戦後、行方不明になる前のシャアの心境は、昔のゲームの端切れのムービーなんかを挙げてカミーユの崩壊がどうこうと書かれることもあったが、出典として何ほどの根拠でもないし、わたしは興味がない。

シャアからその後のカミーユについては、今ここは富野小説を読んでいるから、小説から

「……シャア!? やはり、生きていたのか?」
「フン……ハマーン・カーンごとき女との闘いで、命を全うできるか!」
「よく言う! カミーユ・ビダンという少年を狂わしたのを知らないわけがあるまい!」
「脆弱なのは美徳ではないよ! アムロ! 大衆をみろ! 官僚をみろ! 連中は狂うか? なにが起こっても平然として、生きながらえている! 才能があることで脆弱なのは美徳だと思っている連中は、その大衆に呑み込まれていく。それが現実だ!」
(機動戦士ガンダム逆襲のシャア(前篇)1987.12)

「脆弱なのは美徳ではない」と一蹴している。戦い続けて繊細な心が押し潰され、しまいに壊れてしまう少年の姿は、脆いなあ、儚いけど美しいなあという大衆好みの同情共感を切り捨ててむしろ冷淡にみる。もっとも、この場面はアムロとの口論中で売り言葉に買い言葉という節が多分にあるが、ネオ・ジオンを組織するまでに来ている頃のシャアに言わせればこんな発言になっていても、おかしくない。

わたしはハイ・ストリーマーの文章がそんなに重要だとは思っていないので、こんなのはファンサービスだと思って読む。

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    katka_yg 2025/03/01 (土) 16:18:59 修正 >> 6

    マランビジー

    今ハサウェイをまだ読んでいるところだった。
    上のような「神話」をハサウェイの文脈だとマランビジーという。ただ、小説の原文と裏腹に、ハサウェイとかマフティーという名前は、宇宙世紀の後の時代に象徴のように残っていないと思う。未来の歴史資料には載っているだろうが…。

    この頃の時代を、当時に活躍したモビルスーツの名から「ガンダムの時代」と呼ぶ、とも先日の舐め本中には提唱されていた。その通称が読者・視聴者に共有されてもいないけど、ハサウェイが風化してもガンダムの名前だけは悠然と残っていることは誰も疑わないだろう。
    宇宙のマランビジーに語り継がれるのはマフティー・ナビーユ・エリンでは多分ないが、神話伝承のその格はガンダムが担う。『シャアの去ってからしばらく経った頃、地球に一人の若者がおった。若者は、ガンダムに出会った…』として語りだす。