異なった二組の運動習性と知覚モードが同時存在することによって引き起こされる難事
これはいい表現だ。メモしておこう。このところ別室でずっとその話をしている気がする。――ということは、わたしの連想上にあったんだ。
「運動習性」という訳語はわたしの感覚だと今いちな響き。富野トピの方でピックアップしてた「行動規範」というと、それも意味曖昧な誤解をまねく気もする。富野文だとそれでなくても何が言いたいのかわからないだろう。「知覚モード」はそれしかない。1960年代の人がどういう言葉遣いに慣れているかは読みながら想像しないとならない。
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『幻影の都市』読むかんじ、上で微かにふれたル・グインがダンセイニのリスペクトしているのは前期作品で、後期についてはわからない、……のようなことはないな。べつにダンセイニだけのことではないけど、「嘘」については普通じゃないほど踏み込んでいるだろう。なめてはいけない。
おおざっぱに解くと、『われわれは嘘をついていますよ』と言い張るシングの態度と、『ジョーキンズを信じてはいけない』と念を押して話を始めるダンセイニのジョーキンズもののスタイルの連想、のこと。それは違うかというと、根はおなじだ。しかも遡れば中世や、紀元前からあるとも、去年わたしはそのような興味の一連。
『幻影の都市』山田和子訳、読了。ほぼ一日で読んでるだろう、最近にない熱中度だ。このつぎ、あらためて『影との戦い』。
こんなテンションだと逆に、レビューなんかダラダラ書いてる暇ないよな。わたしは以前読んだ気分を思い出すだけでいっぱいいっぱいだ。今読んでも、〈SFはこうでなくては〉とふつふつと湧くものがある一方、〈こんな頑張らないとSF書いてはいけないのか〉ともう既にげんなりする感じもあり……いま誰向けにそんなことするんだよ。とにかく、このへんのル・グインは激熱。