かとかの記憶

宇宙説話 / 27

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katka_yg 2025/08/02 (土) 01:36:27 修正 >> 26
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    katka_yg 2025/08/02 (土) 11:24:07 修正 >> 27

    この話の原型が保管してあった。10年以上前にツイッターで書いたもの。

    これは妖精の妻が、ぶったり罵ったり別れの理由になることは何もしてはいないのに、話の外で「やはり帰っていく」という不条理のもの。「やはり」というからには、それが物語の型だからと言わんばかりの。男の方も死んだ理由はない。文体を選べば、それも笑い草に落ちないで書けるというその頃の関心だった。今するなら、上のほうが好き。

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    katka_yg 2025/08/02 (土) 11:59:44 修正 >> 27

    富野本の舐めレコの中にエーコ『薔薇の名前』(1980)が引いてあって、まず「全く理解できない」「Gレコとは一切関係ない」と先に断って話をするいかがわしい富野調で始まる。無関係の本の中でお勧めはするが、矛盾はしていないつもり、という。

    今それとも直接ではないが、わたしはたまたま昨年、堀田善衛『路上の人』(1985)を再読していて上のストーリーとどうしても連想はした。両方の中にある、アリストテレスの逸失した喜劇論(詩論)や、「笑いは禁忌である」という中世の考え方を引いておいて、富野文では「とんでもない考え方」という言い方をする。

    路上の人 katkaさんの感想 - 読書メーター
    路上の人。読んでいるのは堀田善衛全集8(筑摩書房,1993)からですが、整理の都合で適当に分けます。作家色々による「わがドン・キホーテ」……「スペインもの」との連想続きで、直近のわたしはドンキホーテそのものではなくダンセイニ「ドン・ロドリゲス」(影の谷年代記)でしたが、まず思いついたのがこちら……堀田善衛集は明月記私抄や方...
    読書メーター

    「笑いを禁じる」というと、現代日本一般の読者は即座に反応して、大ブーイングをするのは間違いない。とんでもないことだ!という、そんな当たり前の同意・共感なんかは今ここでしないが、そんな「とんでもなさ」については、この同じGレコ本の後章「ユーモア感覚の醸成」の中に、

    ユーモアを〝笑い〟と捉えた瞬間に、失格である。

    ユーモアはユーモアである。ここでとんでもないことを言っています。どういうことなの? とは、本文を読んでもやはり分からないと思うが、これはわたしに読んでみる価値がある。らしい。

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