人の話をきく
第五の物語。章が始まってすぐに少女レリエルの性格(特質)について書かれる。――前話では、マラークがロキにこの娘を連れて行きたいと言い出したとき理由はとくになんとも言っておらず、ロキも訊ねてはおらず、ものを頼むにも王子らしい鷹揚な物言いのうちなのかなと思っていた。
レリエルには気立ての良さと、とくに天性ともいえる「他人の話をきくこと」が特質だった。生まれつき人の話を聞くことは、このたび富野通読ではセシリーと、セシリーの母ナディアの備える美点でもあった。
小説作品の人物の性格を各属性に分解して分析のようにすることは、作品理解に必ず妥当だというわけではない。その話のうちではとくに大事じゃないことはいつもあるが、とくに作者の通読するとき、人物の性格描写をするのに同じ表現をしていることは、書いているその瞬間にもなんらかの連想ははたらいているだろう、前後関係や比較を話題にできるとは言えてよい。
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セシリー追記
レリエルは今回、これから読むことなので追っていくとして、今はセシリーについて少し補っておこう。F91のヒロインのセシリー・フェアチャイルドについて普通に分かっていることでは、美人で、生真面目で、パン屋の娘なのにえもいわれぬ気品がある。
クロスボーン騒動が始まるとマイッツァー・カロッゾの父権的なやり方に反撥を覚えるものの状況に逆らえず大人しく従ってみえる。そのくせ、気は動転しているのか突然にモビルスーツを操縦できちゃったりする、頓狂なところもあるようにみえる。そのくらいのことだろう。
セシリーについては前回、『アベニールをさがして』の最中にも比較対象が挙がっていて、それはダンサーのアベニールだった。セシリーとダンサーの比較は地球上に他にする人いないし、ここで再び喚起しておいていい。それは減らず口なこと、だった。セシリーは学校では弁論部の先鋒でもあり、その気で喋りだせば止まらない。理屈も・屁理屈も列べて言いたてて父親の鉄仮面が「まだ言うか!」と閉口するまでしゃべる。
ニュータイプ少女セシリーの特質は、文中では減らず口と、人の話をきくこと二点に強調されていたように思えた。それはまた、生まれつきか、訓練されたものかの興味もあるだろう。
弁論部の活動は訓練。そのまえに、作家である父シオとの対話から学んだ「表現への興味」がそんな活動の契機になっていた、彼女の中の経緯がある。
幼いセシリーが大人の話にじっと聴き入る少女だったことは、マイッツァーお祖父様のお話を聴いている頃からそうだから、それはマイッツァーの薫陶ではなく、ほとんど生まれつきのようだ。ここはF91前史になる「ロナ家の家系」というものがシャルンホルストから四代を経てそこまで醸成したのだと思う。家に生まれつきのプリンセスが出現するまで来た。マイッツァーは普通の人の生まれなので、そんな孫娘ベラの資質を見て感嘆したものだ。
レリエルが人の話に従順なことは、奴隷娘だから高貴な家柄の気質などはない。異教徒だったことは習慣。それでも「天性」と呼ばせるものは生まれつき、これこそ突発的に生じた性格というのかな……。
通読しているとレリエルにはセン・セートの面影をどうしても見出す。セン・セートの従順さ、または清楚さが果敢を通り越して凄まじいまでの苦悩になってしまう経緯はたびたびくり返したくもなく、今ここまで。
これかな。「清楚」というと、セン・セートはわかるが、レリエルには清楚とか気高さというのとはまた、そぐわない気はする。この子は、「健気」がそれという感じはする。健気呼びでいこう。
生まれつき、健気なところがあった。健気ってどういう意味だろうな。清楚の含みには「凛として穢れに交わらない」のような響きもあるだろう。汚濁にまみれても絶対に汚せないものという。
健気には、そのニュアンスは入ってない。行動原理を指す言葉だ。「報いないことを知りながらがんばる」ような気持ちだろうか。
セン・セートは健気は健気だけど、ただ健気と呼んで済ますには境遇が度を越して酷いところがある。だから戦士と……。セシリーは、清楚には見えるけど健気には見えない。
ちょうど上で「果敢」とも書いているが、果敢と書いて果敢 ないとも読む、そういう語彙は持っていてもいいね。