また細かいところで、この章のうちグラン王は、血が繋がっているらしき少女エイシェトの心持ちにたびたび感心する、命のありようについてよほど高いところを感得していると思うのだがそれを、さすがわが娘よ、と思うことは自分に戒める。
そう思ってしまえば、傲岸不遜である。
かつてむごい境遇に追いやってしまった娘に対してその娘を誇ることは、グラン王にできなかったというこれはVガンダムで、ハンゲルグからウッソに対して言った言葉に似ている。あまりに優れた子供の業績をみて「それでこそ息子だ」と言ってしまっては父親が不遜な言い方になってしまうだろう。かといって、そんな育て方をしたことを今更申し訳なかったと謝ってはウッソの立場がないし、ただ、「私の息子はこんなに出来が良い」と素直に言えないハンゲルグにはウッソは寂しさを感じた。
それはそうだろうし、父と子が対等関係で会話するには、ウッソにもまだ幼さはあると訴えたいものはわかる。小説Vではその場面のあとに、ハンゲルグ・ミューラ・ウッソの家族の時間も短いながらあったが、それはもう取り戻せなかったと思う。小説F91でマイッツァーからセシリーに対しても幾らか似たようなことを言った。カロッゾもだと思うが、ロナ家に居てはこうは育たなかったろうとの。
エイシェト・アルクアとの夢の邂逅はグラン王が死後にようやく誰かとまともに話をした機会でもあり、冥界や世界についての悩みに誰かがようやく応答してきた時でもあった。笛吹やフール・ケアの時はそれでも遠く別れていく時で、オノレは心痛む別れをして一人帰ってきたのだろうし……。一時の邂逅のあと、グラン王はもう一度同じ感慨に打たれたときは、
『さすが、わが娘である』
と躊躇いなく言っている。
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