かとかの記憶

The Lathe of Heaven 天のろくろ / 1

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katka_yg 2025/06/10 (火) 08:55:24 修正

第二章、ヘイバーがオアに深呼吸をさせるときに『十数えるあいだ吸って、五つ止めて』と教示する。呼吸法を教える文章は何度もみてきたし、わたしが最初に教わったときどうだったかもう忘れたが、この、十とか五とかの拍を数える、その「数」がいくつかはどうもいつも一定しないことを書かれる。七つ数えろ、八つ数えろ等。最近も何か所か……

こうしたエクササイズなり心理学なりについて、指導している人は、教えるたびに拍数を変えて教えているわけはないだろうから、教える側は指導者それぞれに七、八、十というどれかを信じて決めているだろうとわかる。一方、教わる側や、本で読む読者は指導者によって毎回ちがったカウントを指示されているようで、この「数」自体には意味はないのかとじきに思う。心臓の拍動のリズムのような人間共通の生理にしたがう根拠があるわけではないのか……。漠然と訝るのはわたしだけではないし、現在でもそうだろう。本なら、半世紀前の本でも今読んでいることだし。

今いっているのは『口頭か文章の教示で、信じろと伝えること』についてで、呼吸法やそのコントロールの効用についてではない。効用はあるのはわたしは実践して知っているが、その説明にもちぐはぐなことが言われていたのも見ている。

効用のことはわたしの今の考えでは、深呼吸による酸素の供給量……は、それほど変わるまいし、変わるとしても酸素や酸欠をなかなか自覚できまいと思う。交感やら副交感の神経系のはなしのうえで、「呼吸と瞬きは人間のする随意と不随意動作の中間にあるから」呼吸を随意行動として拍数を数えながら行ってみることで、心身モードの切り替えを「コントロールできる」と教える方が有益だったと思っている。それはできると知っている、知識の有無は確かに役に立つ。ただし、「コントロールしろ」とそれだけを言い聞かす教師は有害だ。これは別の話だし、ル・グウィンの読書とはやや違ったので、ここまで。

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    エクササイズのプロのトレーナーや、軍の教官や、心理学の専門家でも、言葉の使いようには不如意らしいことはきっとよくある。