かとかの記憶

The Lathe of Heaven 天のろくろ / 7

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第六章まで。

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    katka_yg 2025/06/13 (金) 12:29:59 修正 >> 7

    「自由だ! 君の無意識は恐怖や堕落の汚水溜じゃないんだ。そんなのはヴィクトリア朝の考え、おそろしく破壊的な考えだ。それこそが十九世紀の偉大な精神のほとんどを片輪にし、二十世紀の前半の心理学をすっかり骨抜きにしてしまったんだ。自分の無意識を恐れるんじゃない! それは夢魔でいっぱいの黒い穴なんかじゃないんだ。そんなものとはまるっきり違う! それはまさに健康と想像力と創造性の泉だ。我々が『悪』と呼んでいるものは文明の産物であり、人格の自発的で自由な自己表現をゆがめる文明の束縛であり、抑圧なんだ。精神病治療の目的はまさにここにあるんだ。すなわち、根拠のない恐怖や夢魔を除去し、無意識内のものを合理的意識の光の下に持ち出して客観的に調べ、怖れるものなど何もないということを発見することにね」

    ヘイバーは動転しているし、1971年でもこんな台詞を吐く人はかなりおかしい。ただ、そちらに水を向けてやれば、これくらいの考え方で自由や抑圧について喋りだす人は2025年でも案外いるかもしれない。身近にいそうな気はする。SF小説の人物としては、2020年代の新作には居場所がないと思う。

    半世紀で人間の考え方がそれほど変わっていとはわたしは思わないけど、言葉づかいが変わっているとは思え、現代に「自由」とか「セルフコントロール」と日常の端ででも口にすれば、わりと敏感に、何かしら不審な目で周りから見られはするだろう。自由などは猥褻語の内になっているので、平然と口にするのは恥ずかしい人だと思う。

    今の言い方に近くすれば、『好きなことをしていいが、他人に迷惑をかけちゃ駄目だよね』――だよね、ね?、というのが現代で上のヘイバーとほぼ同内容だろう。それはネットのSNSなどでも見る。
    偏向していることでは同じで……他人の中で生きていれば他人に迷惑をかけることは避けがたいが、そうなると人間だから仕方ないのように退歩するなら、それはもともと自由でも何でもなさそうなことだ。大衆がそういう逃げ口に馴れるのは古代から変わらないが、モラルの話にかぎっては、そこにモラルは言えない。

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    katka_yg 2025/06/13 (金) 12:38:18 修正 >> 8

    何でも言える、とか、建前に使うという言い方をされていれば、そこにモラルがないことは気づくという話。やはり今ル・グウィンの小説の内容とは関係が薄いのかもしれんかった。

    小説の場合は、これでどうやって面白くストーリーを転がすかだ。あまりにも態度がコテコテでコチコチの人物だと、彼は滑稽にみえ、話もあまりシリアスに聴こえなくなるかもしれない。だから、この話は寓話です、おとぎ話ですよという風には聴こえる。ここが大事なテーマですよ!とは聴こえないし、聴かせないだろう。