当たり前のことみたいだが、迫水が地上の戦争を反省するにも、日本が敗れただろう理由をアメリカ国の自由とか主義とか、イデオロギーで負けたとはまさか思っていない。彼我の戦力を省みず、戦争の仕方があまりに無惨だったと思い知っている。
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当たり前のことみたいだが、迫水が地上の戦争を反省するにも、日本が敗れただろう理由をアメリカ国の自由とか主義とか、イデオロギーで負けたとはまさか思っていない。彼我の戦力を省みず、戦争の仕方があまりに無惨だったと思い知っている。
『銀の……』の神楽歌から想起をはじめた迫水の感慨は、装備は乏しいながらも二百人の荒くれが行進する誇らしさの中で熟成するものがあって、
精神主義を否定したのではなく、精神主義はどうあるべきだったかを把握し直す。その違いは作中で大事だ。
なお、完全版の後の巻で「民族主義」についての考察も出てくると思う。それはこの時点の迫水の考えられる範囲をまた超えている。
今はこう、だ。
「かくや」に、もしも文語的な解説がいるなら「かくやあるべき」……前に補うなら「戦の構えは、」かな。そんな前後はなくてもただ、「こうだったか!」という会心の感得、だけでいいよ。
まだ16章が全然進んでいないが、今日すでに他でつらつら書き連ねていて疲れていたようだった。ここまでにする。この「魂の修練の場」のあたりからここのテーマに多少は接する。今夜これだけ。