これに続いて完全版では、ビナー・ヘッゲモンの講義によるガダバの侵略地での圧制の異常さを語る。人殺しと収奪だけをしているといって、ガロウ・ランとはビナーはいっていないにもかかわらず、迫水の思いには、
〝ビナーの言葉どおりなら、日本軍の高官たちはガロウ・ランの寄せ集めということになる……〟
完全版でのガロウ・ラン観については上記まとめ。戦前の横浜の開かれた雰囲気を知って育った迫水には、日本が神国化していく過程は今思えば『どう考えてもガロウ・ランの仕業に思えないではない』となる。
ここに、もっと確かなものを戦争目的に据えたい、という迫水の思いが加わって今の『卑屈にしている暇はない』になるから、ここの文章は旧版・完全版併せて読み返すだけの、あらためて考えてみる重層的な意味がある。
通報 ...
どう考えても……思えないではない
という言い方は読んでなんだか変な気持ちがするが、そこはいま気にしないでいよう。