katka_yg
katka
2025/09/28 (日) 09:29:28
世界を捕えるための認識のありよう
「国を思う馬鹿真面目さがあっただけです。それが、自分の取柄でしたが……」
『特攻を志願した青年が、ついに自分のその生真面目さに、たとえ謙遜であろうとも、馬鹿という形容を使ったのである』としてこれを驚愕すべきことという。続いて、
- 迫水の中で、世界を捕えるための認識のありように変化が生まれたのだろう。(旧)
- 迫水の世界観に変化が生まれたのだろう。(新)
「世界観」の語が使われる。まえに氷川竜介氏の日本アニメ論を新書で読んだが、氷川さんが日本アニメ史の転機として語るときには「世界観主義」という用語を使ってそれを強調する。その主役の一人が、当の富野由悠季でもある。
この、アニメの話前提での「世界観」の語の使い方については氷川本などはとくに参考になる。アニメ話でなければ、その考え方は「コスモロジー」と呼んだり、「ヴェルトアンシャウウンク」のように呼んだりするとも、すでに触れた。
さらにいうと、では、「富野由悠季は世界観主義の作家か」というと、とてもそうは思えないことも言っている。エモーショナルなもの、のようなことをどういう前後文脈から言うのかなども、前回復習した。
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