迫水隊の若者達が迫水に軽口もきいてくれるほど馴染んだ、信頼関係、結束、のことから「戦闘集団」について論じる一文が始まる。旧版では、
- 集団が機能する要は兵同士の信頼関係にある。生死の境で瞬間的・反射的に互いを信頼できるかは訓練による
- ドイツ軍は歩兵の訓練期間を二年としたが、WW2時の米軍は九十日に短縮した。米軍の効率主義は後に見直された
- 日本陸軍はドイツ式を踏襲しながら海外で兵糧の現地調達などをやった。日本人の島国根性だ
- 日本軍はドイツ軍に対してヒットラーの存在を過大評価した。情報収集不足である
- 軍事行動の要諦は歩兵による陣取り合戦である(ヒットラーはこの原則を侵した人物である)
- ナポレオンは言った
完全版では2-5はおおむね脱線として、戦闘集団についてナポレオンが言ったことに要約されている。
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上のところは話の脱線感がわかりやすい、「何が言いたいんだ」というか、「それは話が違くありません?」という気が読者としても読んでいて差すのだけど、『リーンの翼』のここまで全体に、何かと言うとストーリーを中断して旧軍批判が始まるのは、主人公の迫水真次郎がその旧軍の「体制の弊」の被害者で死地に追いやられた、傷心の若者として物語が始まっているから、ではある。
迫水のトラウマのフラッシュバックとして、言うに言われなかった理不尽への怒りや憎悪がその時々に噴出する……と言ってもいいのだけど、バイストン・ウェルでの小説の現在筋には無用に事細かに及び、それも同内容をくり返す印象になっている場合は完全版でばっさり切り落とされてるのは妥当だと思う。
富野小説作品の書かれ方として、物語の筋をちょっと置いて作中で富野エッセイが始まるのはいつものことだが、その読者レビュー等を見るたび「わからんので読み飛ばす」「深い意味はない」のような投げやりな感想が占めているのは、それはまた不満なことだ。ガンダムシリーズの読者層は年齢も上から下まで無差別で仕方ないのだが……。
この感じを思い出したのは、わたしは今度の通読で『ガイア・ギア』から『Vガンダム』の間に小説が洗練しているとも感じた。昨夜の『リーン』3巻あとがきにも「作劇の要諦」について悪戦苦闘の跡を書き残している。今はその変遷を読む、と前回言った。