大和こころと桜ばな
敷島の大和こころを人とはば 旭ににほふ山桜花
この歌は『リーンの翼』を通しても後にくり返し印象を深め、響かせていくと思う。旧36新23/ここで初出。
ここでは、海辺を疾駆する迫水の脳裏になんの理由もなくそれが浮上する。旧版では文中に説明がないが、完全版では、はじめて体当たり攻撃をした神風特別攻撃隊の四隊の命名がこの歌にちなむ、としたあと、
本居宣長が還暦にさいして、ただ桜が好きだ、という自賛の歌でしかなく、散ることを奨励し、それを大和心だとはいっていない。
とまで釘を刺してある。それも、今の迫水の気分にはなんら関わることでもない。
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イジキタナイ桜
わたしがこの場合にまず連想するのは「同期の桜」という歌について、いくぶんか陰険な批判がされることは、今はよくある。その印象があってこのまえも三枝オペラの「神風」なども苦笑や反感が混じって真面目に聴けないこともある。それもまだ今年中の話だったが、ほかにもある。
富野作品中の出典に戻ると、『破嵐万丈 薔薇戦争』から、ギャリソン時田いわく