エイサップのヒーロー像
第十一章まで。小説を何回か読み返してもエイサップの行動は不自然なような気がしないわけではない。
ロウリィの「エイサップてめえ!」っていう、美味しいとこ取り奴、って気分と妬みは普通わかるとして、もともと優柔な性格にバイストン・ウェルの意思だかジャコバ・アオンの委嘱が乗っているから傍目からみれば実際に怪しい。エイサップにすればジャコバの代言をさせられる言われもないのにそうなるのも理不尽だ。
通報 ...
第十一章まで。小説を何回か読み返してもエイサップの行動は不自然なような気がしないわけではない。
ロウリィの「エイサップてめえ!」っていう、美味しいとこ取り奴、って気分と妬みは普通わかるとして、もともと優柔な性格にバイストン・ウェルの意思だかジャコバ・アオンの委嘱が乗っているから傍目からみれば実際に怪しい。エイサップにすればジャコバの代言をさせられる言われもないのにそうなるのも理不尽だ。
アフランシとか、オノレ、クリスという「曖昧なヒーロー」の系列のあとにエイサップのキャラクターは、消去法で残ったような印象にしてもわたしはべつに嫌悪感とかはない。ジョクは最終的にヒロイックになりすぎ、格好良いのはともかく地上人離れしたとは思う。
超人的生い立ちの聖戦士達
迫水の少年時代のプロフィールも冷静にみればかなり変人で、横浜育ちで自由な価値観を持ちつつ古流剣術を鍛えながら何だかんだ古典教養もある、当時あたりまえの軍国少年とは言いがたいところはある。「完全版」では迫水のプロフィールは少し薄められているけど、それでももともと超人的な育ちにはみえる。
クリスの剣道の背景は、競技としてもうだつの上がらなかったクリスのスポーツ剣道はバイストン・ウェルに来て実戦に活用できてしまい、行き着くところやはり超人的にはなっていった。エイサップは、剣道も全く習っていない。
メタ視点を当たり前に語る世代
善良で穏和、毒にも薬にもならない優柔不断で、日和見の気性にも見えるというのは、平成年代の視聴者や読者には我が身に近く、一般人にありふれた性格にもかかわらず、アニメを観るときには叩くのに手頃な主人公像だったろう。巻き込まれ型とか……。
大勢の人々がしている目先の利害、功利的な判断を捨てて「世界の意思」のような大局的な観点、モラルからものを言うのは、これも一時期のアニメの主人公にはよくあったかもしれないが、捨てがたい身内のしがらみや怨恨に駆られている当の人々にすれば上から目線で腹立たしい、世間知らずで傲慢な子供、不遜な主人公像というのもあった。
『ガーゼィ』のクリスの場合、コモン界を地上文明で汚染するのは安易な自滅パターンでやばいよな?……のようなメタ視点から判断もするのは、コンピュータRPGや映画由来でその手のカタストロフ展開を知っているからで、とくに自身の経験から得た歴史的反省ではなかった。
エイサップはアニオタでは全然なさそうだが、2010年にもなれば、世代的にもはや自然に所与のものとして、オタ教養としてとくに求めなくてもメタ視点混じりで考え、喋っているとも思える。クリスとエイサップはどう違うのかは富野読者としては考えてみていいポイントかな。
『人は、大地を離れては生きられないのでしょう』――なんでだよ、と白々しく問い返せるのは00年代には珍しい性質ではなかっただろう。場合によっては、条件次第では、天空や宇宙でも人は生活できると思うけどな。
『今そういう話はしてないです』と言われたら、――優しさとか平和の話ならわかってます、それと飛翔できない話とは別だと思います、という。そういう口を挿むのにいちいち、からかい気分や悪意は求めてない。ネットにそういう発言はありふれている。
時代錯誤発言のようなものを駆使できる人は、読者も必ずしも全員ではないだろうから、こういうことを書いても誰彼なく頷けるというわけではないだろうな。90年代と00年代の文化差は抽出できそうに思う、というくらい。
富野由悠季は「現代の青年像」については毎回、その時代に考え直し、何かしら発言しているだろう。富野記事を読んで読者も「そうだな」と思うかはべつとして、「いつも言っているな」とは思うはず。
時代錯誤発言、歴史認識のなさ。当時に生きた人の気持ちを知らないことからする、無遠慮で身も蓋もなさ。