The Wind's Twelve Quarters (Ursula K. Le Guin, 1975 風の十二方位/短編集)について。
まえがきと、「セムリの首飾り」だけ今読み返す。前回、ロカノンの世界を読んでいる。
このトピックを立ててまる二か月ほどル・グインの再読は停止していた。「ニュー・サウス・ジョージア」というのは「オールド・ノース・オーストラリア」みたいな響きだな。今これだけ。
「四月は巴里」まで。
「マスターズ」を読む。古い。
ただ……この、『数学や天文学が禁止された世界、時代でアマチュア科学者が火あぶりになる話の型』のことを、今なんと呼ぶのか知らない。しょっちゅう読んではきたので、その型には名前があるはず。それで、これは1970年代頃だが、その頃の読者は、自分のことを「SF読者=孤高の科学探求者」自認のように胸を熱くはできたんだろうか等思う。よく時代感がわからない。
それとまたべつにル・グインの自作評価は前文に書いてある。
「知の禁忌」よりは「知の管理」のほうを、わたしは興味としては思いたい。それはスコード教とか。
もう少し書き足すと、この短編には空が煤塵で覆われていて太陽がめったに見られない、過去の汚染の結果ではないかと読者には仄めかすような、世界観がある。主人公らには「知の禁忌」だけが見えているが、それはどういう経緯でなぜ禁止されているかという歴史認識がない。
それは、禁止している知的ギルドの長達もどうやら過去の記憶を失っていて、継承していない。「歴史学のなさ」の方を言える。科学アマチュアの冒険ロマンでいいのか、というと、1970年代くらいにはその話で読者はいいんだろ。
この訳文の中には黒魔術という一般語の連想的に、「黒数字」「黒技術」という造語が使われたりする。一回きりで、作品自体にはそこ重要じゃない。面白い響きだ。
「暗闇の箱」まで。日本語訳で読んでいても面白いけど、こうしたものこそ今は原文で読み返したくなる、かな。今夜ここまで。
しかし、これは竜という生き物から当然予想されることである。竜は神話の生き物であるために、一方にだけ流れる歴史の出まかせな要求にはしたがわないし、時間を拘束もしなければ、時間に拘束されもしないのだ。
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まえがきと、「セムリの首飾り」だけ今読み返す。前回、ロカノンの世界を読んでいる。
このトピックを立ててまる二か月ほどル・グインの再読は停止していた。「ニュー・サウス・ジョージア」というのは「オールド・ノース・オーストラリア」みたいな響きだな。今これだけ。
「四月は巴里」まで。
「マスターズ」を読む。古い。
ただ……この、『数学や天文学が禁止された世界、時代でアマチュア科学者が火あぶりになる話の型』のことを、今なんと呼ぶのか知らない。しょっちゅう読んではきたので、その型には名前があるはず。それで、これは1970年代頃だが、その頃の読者は、自分のことを「SF読者=孤高の科学探求者」自認のように胸を熱くはできたんだろうか等思う。よく時代感がわからない。
それとまたべつにル・グインの自作評価は前文に書いてある。
「知の禁忌」よりは「知の管理」のほうを、わたしは興味としては思いたい。それはスコード教とか。
もう少し書き足すと、この短編には空が煤塵で覆われていて太陽がめったに見られない、過去の汚染の結果ではないかと読者には仄めかすような、世界観がある。主人公らには「知の禁忌」だけが見えているが、それはどういう経緯でなぜ禁止されているかという歴史認識がない。
それは、禁止している知的ギルドの長達もどうやら過去の記憶を失っていて、継承していない。「歴史学のなさ」の方を言える。科学アマチュアの冒険ロマンでいいのか、というと、1970年代くらいにはその話で読者はいいんだろ。
この訳文の中には黒魔術という一般語の連想的に、「黒数字」「黒技術」という造語が使われたりする。一回きりで、作品自体にはそこ重要じゃない。面白い響きだ。
歴史観の争奪、というのは富野ではなく、押井守小説からの連想。『獣たちの夜』『雷轟』などに詳しい。それは余談に逸れるので、ここまで。
「暗闇の箱」まで。日本語訳で読んでいても面白いけど、こうしたものこそ今は原文で読み返したくなる、かな。今夜ここまで。