そういうとこ読むことを精読として今度の通読は始めたの。おそらく、両版を持っていて読んでいる人でも、その一々に仮に目を留めはしても、書き留めてはいないだろう。
富野由悠季の文体はどういうものか、という解説が、主流の文芸評とか雑多な読書レビューに任せて永久に明かされないような不審感ってある。
ここなどは、見るからに複数の文章にわたる描写の内容を「――て、」「――ば、」「――が、」「――て、」と繋げて一文にしてしまう。上では「だらしない文章」とも書いてしまったけれど、やわらかく弾力的に口述をつづけていく独特のリズムを作っているのは90年代以降に好きそうで取り入れているらしい。当時に何がきっかけでそうなのかは、わたしはわからない。たとえば、そういう例にはなる。ほかにも見たいところはあるはず。
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そうだな、「口述」だよ。この文体。そういうイメージ。