「12 荒れる海」(旧)
「8 集結」(新)前半
何もかも見慣れぬ異世界で古流の撃剣の研鑽に没頭しかけていたところ、突如として見慣れた近代兵器が飛び込んできて、それも生死の境目を乗り越えると、翌日には即物的な必要から拳銃も機関砲もアマルガンらの関心の的になっている。
その国や、その世界の技術力を語るにあたって、製品を製造するにはまず工具から必要なのだ、という目線を導入するのは富野作品の「ハードさ」として後まで続いている。「リアルさ」……というと、現代も多々ある異世界ものでも、軍事行動は必要の連続で、工作設備も資材も要るし、運搬も考える。それに当たる人員については配置と管理、教育、通信や命令伝達の必要があって……と続いて、「それは産業である」と看破するまでは、創作中の「リアル要素」として、深く考えないでも踏襲されているだろう。ハードとはかぎらない。
ガッザとアマルガンの会話中には、『そのような施設を建造して、戦争が終わった後はどうする?』とまで視点が延びている。そんな会話をしているのは単なる流れ者や海賊ではないらしいのは見えている。
日本史に戻って、たとえば種子島に火縄銃が伝来して全国に普及する速さには、日本刀の鍛造技術の基盤があり、その技術者集団や工作施設のもとが備わっていたような事情を、旧版ではその集団の「民度」ともいう。民度という言葉には、現在にネット住民の習慣にはきっと別のニュアンスがかかることもあると思うが、こういう場合には、あまりアレルギー的に拒まないで素直に読む。完全版にはない。
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旧版では工具の説明から迫水がし、ドライバー、ねじ回しの説明にも若干苦心するが、完全版では、鍛冶のカサハランが最初から部屋におり、ガダバから押収した工具箱も手元にあるので、製品の外見を観察しながらまず工具の製造を説くところから始めなければならない難儀は省かれる。
先の戦闘で敵船を奪ったんだから、銃器だけでなく工具くらい敵船にあったのは、それはそうだ。もっと思えば、敵船の士官を尋問していれば今している無用な憶測は省けるので、あえて峰打ちをしたものを無造作に皆殺しを命じたアマルガンも、武者としての風習はともかく、この結果だけをいえば迫水の態度はそんなに間違ってもいなかったのではないかとも。
アマルガンとの腹を割ってサシの対談に入ると、世界や文化についてアマルガンもインテリジェンスを隠さなくなってくる。迫水の提供するのは中世の「魔女狩り」諸々のエピソードについて、
そういう言い方……といえば、蓋然的な言い方に終始する原作者などのことをわたしは今思い出す。『これは矢立肇が言っていることなので信憑性にはひとつ疑問符を付けて聴くべきなのだがな』と言い含めて、重い話を始める等。
ここには昨日わたしは別の方向から連想があった。