かとかの記憶

リー作品の受容と連想 / 24

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katka_yg 2025/10/07 (火) 00:11:38 修正

ゴルゴン

『ゴルゴン』(1985)は連作短編集で、表題作は世界幻想文学大賞短篇部門賞を得ている。わたしは何かの受賞作だからといって特別それに関心を惹かれるものではないのは、全作品を順に通読したいと志すとあまり関係ないからだが、それでないときも選考委員が誰でどういう授賞理由なのか知らないと、その賞にどんな価値があるのか結局ずっと考えている。

この短編「ゴルゴン」はギリシアの小島に訪れた主人公が神秘的な仮面の女性に会い、その素顔をどうしても見たくなる話だが、主人公の彼が味わった真の恐怖は、仮面の下の顔が恐ろしいことは彼女が自分で言っており、その顔の恐ろしいこと自体ではない。彼、職業作家なのだが、現実に彼女の身の上を知りそんな現実を目の当たりにしてしまったことで自分のしてきた仕事、今後する仕事のことも野心も無価値に思えてしまい、仕事ができなくなったことが作家にとっての恐怖だった。

ざっくり結末を書いてしまえばそういう小説だ。ネタバレにそれほど被害のある作品でもない。目の付け所が独特で、ファンタジー小説家が怪奇体験に出会う形式はジャンルにたびたびある。クトゥルフのシリーズには幾つもある。そういう場合、幻想家はその怪奇に魅せられ、異界の虜となり行方不明になるか、発狂していくのが常なのに、ここでは生命には見た目、別状なく帰ってきて、そのかわり作家生命を絶たれていた。

ひどく皮肉だが、幻想大賞かというと、どういう基準なのかわたしにはよくわからない。芸術家の話ではあっても話は幻想的でもないと思う。さらに、作者を考えると何かタニス・リーっぽくない。上でも書いた、これは「スリルの喪失」の話なんだが、リーの80年代のたくさんの作品は、そこから逆転して「スリルを取り返す」という結末に向かうところにパワフルさがあった、はず。

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    katka_yg 2025/10/07 (火) 00:11:55 修正 >> 24

    ひとつには、これは連作短編集の一篇で、これひとつで宙ぶらりんな結末に見えても集を通して全体で完結性が見えるかもしれない。

    また、後の作品の話になるが『水底の仮面』(ヴェヌス1, 1998)のストーリー前半はこの「ゴルゴン」の筋をそっくり踏襲しているようで、ロマンチストの青年、「石の顔」の娘、その現実を知って一度は打ちひしがれること……のあと、後半はそのロスを奪還する愛の物語になって、それならタニス姉貴だ、という小説が一冊書き足される。

    さらに、そもそもこの「ゴルゴン」のシチュエーションは、リーの「The Birthgrave」の要素のひとつで、その世界の未婚女性は(イスラム女性のするような)面布で顔を覆う風習があり、主人公の語り手もそれを着けて全編を覆面して過ごすことの、再話だった。それは女子からの語りだがこのたびは上のように男性目線から全然違うストーリーとして語られる。でも真実は同じかもしれない……。英国の選考委員は作家の代表作は当然承知して選考すると思えるから、この理由はその代表作が未訳の日本人読者にはそもそも解説抜きでわからないのと違うか。ちなみにバースグレイブはネビュラ賞授賞作。

    ゴルゴン: 幻獣夜話 katkaさんの感想 - 読書メーター
    ゴルゴン: 幻獣夜話。表題作の『ゴルゴン』が幻想短編の受賞作というのが腑に落ちない思いが以前あり……このたび読後に反省。「それ」を目撃することは幻想文学の作家には致命的な一撃かもしれない。それは恐るべき提起かもしれません。が、そこで終わるなら終わりじゃんという気持ちです。ただ、短編集を俯瞰すれば、ゴルゴンの目に石化するような一点から、...
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    katka_yg 2025/10/07 (火) 00:12:09 修正 >> 25

    上のところまでは前回、既に書いた。リーにかぎったことではないが、海外作家の理解は未知が未知に連鎖して基本的なことが全然わかっていなくて受容されているのかもしれない。

    今、あらためてもうひとつ足すと、『ファンタジー作家にとっての恐怖は、ある日、このさき作品を書いていくモチベーションを失ってしまうことだ』という吐露をふっと漏らしていることはまた気になる。この意欲旺盛で多作なリーが……。このときはまだ85年だが、88年のパラディスに準備しているものは多分この頃からある。