ゲーム上のたんなる障害物、撃破すべき標的としてモンスターを殺戮しまくることについては、上の『ドラゴンライダー』でも『記号でしかないモンスターに対する疑問』『ゲームにおける記号化のせめてもの罪ほろぼし』として書かれている。
ベニー松山氏の言うような当時同ジャンルについての評を読むと、ゲームについてゲームのパラメータをそのまま記せば、メタ的で、著者のプレイ日記にすぎないものにする。一方で、これを創作であろうとすれば、ゲームのお約束はお約束としても、あっけらかんとお約束のままでは小説として本格的にはなれない。
そこから、そこに戦士であることの意味を発見するなり、魔物の群れを「軍隊」と解釈して軍団編成を考案したりする。こうした考えるアプローチは同時代に刺激で、読者にもクリエイターにも共有されるものだっただろうと思う。
本トピックのタニス・リーに戻れば、リーはもっと馬鹿っぽい話を書く。小説ドラクエⅣが文体として踏襲しているのはやはり『闇の公子』のような千夜一夜的文体で、都市の町並みの色々や、樹木の名前や、碧玉(エメラルド)とか縞瑪瑙(オニキス)とか紅玉髄(カーネリアン)の列挙が始まるとその連想はされ、それは必ずしもリーの文体というわけではない。浅羽訳の連想はする。ファンタジーを書くときのひとつのお手本になる。
久美沙織さんの小説じたいはそれほど数多く読んでいるわけでもないけど、ここの、次から次へと場の情景を並べ立てていくのは寄席、講談調の語り口かな。「口誦的」ではある。
小説Ⅳの「解説」に対象年齢が高い、若年の読者にはついてきてほしいみたいな願い・気概が書いてあったけど、Ⅴ・Ⅵではやはり対象年齢を下げた一方で、随所にいかがわしさが際立ったような、所詮大人読者でしかない感想だったかな。ジュブナイルとして読みたい。久美沙織作品にはもうちょっと興味ができた。
一連の続きから「ソーントーン・サイクル」三部作を読んでいるが、トピックの趣旨にはまことに好都合なのでレビュー書いておこう。久美作品には、このさき続けるなら久美作品独自の話題でする。
「ドリーム・キャスター」は14歳少年が小説家を志すはなしだが、きっかけにする体験は同じでも、「ゴルゴン」はそれですでにプロとして成功した大人の小説家が挫折する。まるでリーが久美沙織を読んで反撃したみたいだ。
英国ではゴルゴンは85年なのでリーはそれを読んでいるはずはないけど。少年小説で、大人の読者には思索するはずの屈折が一枚足りない、とはいえる。ただ、「ゴルゴン」もそれ自体、プロローグ小説である。
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ゲーム上のたんなる障害物、撃破すべき標的としてモンスターを殺戮しまくることについては、上の『ドラゴンライダー』でも『記号でしかないモンスターに対する疑問』『ゲームにおける記号化のせめてもの罪ほろぼし』として書かれている。
ベニー松山氏の言うような当時同ジャンルについての評を読むと、ゲームについてゲームのパラメータをそのまま記せば、メタ的で、著者のプレイ日記にすぎないものにする。一方で、これを創作であろうとすれば、ゲームのお約束はお約束としても、あっけらかんとお約束のままでは小説として本格的にはなれない。
そこから、そこに戦士であることの意味を発見するなり、魔物の群れを「軍隊」と解釈して軍団編成を考案したりする。こうした考えるアプローチは同時代に刺激で、読者にもクリエイターにも共有されるものだっただろうと思う。
本トピックのタニス・リーに戻れば、リーはもっと馬鹿っぽい話を書く。小説ドラクエⅣが文体として踏襲しているのはやはり『闇の公子』のような千夜一夜的文体で、都市の町並みの色々や、樹木の名前や、碧玉 とか縞瑪瑙 とか紅玉髄 の列挙が始まるとその連想はされ、それは必ずしもリーの文体というわけではない。浅羽訳の連想はする。ファンタジーを書くときのひとつのお手本になる。
久美沙織さんの小説じたいはそれほど数多く読んでいるわけでもないけど、ここの、次から次へと場の情景を並べ立てていくのは寄席、講談調の語り口かな。「口誦的」ではある。
久美沙織ドラクエ、Ⅵまで読了。ここまでくるとタニス的な興味はないが、「モラルの語り」に至るとあるともいえる。悪意とか。その話は「過剰の道」に戻ろう。
小説Ⅳの「解説」に対象年齢が高い、若年の読者にはついてきてほしいみたいな願い・気概が書いてあったけど、Ⅴ・Ⅵではやはり対象年齢を下げた一方で、随所にいかがわしさが際立ったような、所詮大人読者でしかない感想だったかな。ジュブナイルとして読みたい。久美沙織作品にはもうちょっと興味ができた。
一連の続きから「ソーントーン・サイクル」三部作を読んでいるが、トピックの趣旨にはまことに好都合なのでレビュー書いておこう。久美作品には、このさき続けるなら久美作品独自の話題でする。
似ているといえば「ドリーム・キャスター」は「ゴルゴン」(1985)によく似ている。もっとも、これは久美さんにもともとそのオマージュ意図はないだろう。FTでなくSFだし。原書なら読んでいるかもしれないが、邦訳だったら96年。
「ドリーム・キャスター」は14歳少年が小説家を志すはなしだが、きっかけにする体験は同じでも、「ゴルゴン」はそれですでにプロとして成功した大人の小説家が挫折する。まるでリーが久美沙織を読んで反撃したみたいだ。
英国ではゴルゴンは85年なのでリーはそれを読んでいるはずはないけど。少年小説で、大人の読者には思索するはずの屈折が一枚足りない、とはいえる。ただ、「ゴルゴン」もそれ自体、プロローグ小説である。