『屍鬼二十五話』第十六話まで。
菩薩の化身が捨身しても皆が神々を非難したら神が現れてさっと生き返し、死んだ王子はめでたく立ち上がる。――さてそれは本当に有り難いのか。というのはここではその言い方ではないが、『菩薩にとっては当たり前だから、その勇気を賞讃することではない』のいう気持ちは、今もなんらか分かるだろう。……
最近では、『騎士道』のときにフランスの中世武勲詩の中で戦い死んでいった勇士たちが話のあとに全員生き返るとか、日本の僧兵の話では、殺傷の罪を自身に引き受けて戦う僧兵には、地獄に落ちても若干の救済があるなど説くことに、むごい話に救済要素を挿むことで物語本来の趣旨は薄れて台無しにしていないか……のような、現代読者として気分を禁じ得ないものがある。
だが、それはやはり聴衆の大勢が耐えられないのだろうというのは、わたしは今そんなにわからないことでもない。
菩薩行のさらに追究はこのあと第二十話にある。
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