26年度心理学部

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satsukagushinri 2026/08/03 (月) 23:48:21 5adbf@39207 >> 76

 心理療法って、要するに治りゃいいという考えに基づいている、と言ったら言い過ぎですか? 村澤先生。臨床心理学は、正統医学と民間療法の区別がない状態。「技法的折衷」「理論的統合」...、いい言葉だww やっぱ心理学って統合されてないんだよね、前パラダイム状態。
 査読まつわる問題は仕方がないと言えば仕方がない。私の友人に山本くんという人がいるのだけれど、「新しいテーマは古い方法で。古いテーマは新しい方法で」というのが査読を通る基本だと院生時代に主張し、これを「山本の法則」と呼んでいた。テーマと方法の両方が古いと「いまさら」と言われ、両方新しいと「なんだかわからない」と言われる。まあ、そんなもんなんだけど、どこかに理解者はいる(作れる)。日本がダメなら世界に出るしかないっす。
 村澤先生の意見が聞きたい。

76
F26062 2026/08/03 (月) 08:58:34 b71b6@ed563

色々な学会やらローカルな学派がどんどん生まれていっているということに驚きました。臨床心理学概論では、技法的折衷や理論的統合を行うと学んだので、学派とかがまとめられてなくても心理療法では特に問題はなさそうでよかったですが、論文などの審査でローカルすぎる学派の方に審査されると落とされるというのはなんだか理不尽だなと思いました。心理学に限ったことではないですが、社会的な要因で素晴らしい発見も無かったことにされてしまうことは今回の話を聞いていて本当にありそうだなと思いました。

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satsukagushinri 2026/08/02 (日) 18:08:40 5adbf@8e5fe

最終レポートの書き方(注意)と見本をmoodleにアップロードしました。よく読んでレポートを書いてください。

最終レポートの提出先は、いつもの投稿と同様、この掲示板です。

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satsukagushinri 2026/07/31 (金) 18:22:25 5adbf@d2c37

第14回(7/29)授業の投稿期限は8/1(土)の午前9時、第15回(7/31)授業の期限は8/3(月)の午前9時になります。

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「罪」というのが基準やルールに対する違反の感覚だとすると、「恥」は相手からどうみられているのかに関係すると言われています。これまでの社会が確固としてルールに規定されていたとしたら、近年はルールよりもウケるかいなかが重視される(ポピュリズム)ようになっています。これによって、世界中の誰もが「いいね」を気にするようになり、「恥」の意識のほうが強まっている可能性はあります。よい着眼点。6点差し上げます。

73

この辺りは認識の差なのかもしれませんが、現在ファシズムに発展していないかと言えば、むしろドイツにおけるネオ・ナチの台頭、日本を含む各国の右傾化と防衛費の拡大など、第2次世界大戦前と似た動きが急速に広がっています。それが旧来のファシズムと同じと言えるかはわかりません。現代的な特徴としては、ポピュリズムと呼ばれる大衆迎合的な考え方の広がりがあるでしょう。これは、ひろゆき氏に代表されるように、エリート官僚主義を大衆目線から批判しつつ人気を得ていくというようなものです。ドナルド・トランプもそうですね。このような動きが起こる背景には、フロムが指摘したような不安があるのかも知れません。自由からの逃走が起こるかどうかを、あなた個人の問題として考えるのではなく、なにがそのような逃走を起来させるのか考えるのも良いかと思います。が、そうなると心理学と社会学の結び目の学問になりますね。よい問題意識かと思います6点。

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回答ありがとうございます。
 森先生からいただいた意見を元に、問題を解いている様子を録画してひらめきの直前に共通する行動を観察し、「たぶんひらめきはこういうものだ」という仮説を立てることを研究の目的にさせていただきます。
 自分が興味を持ったひらめきは何かを「思いつく」ことです。
自分の考えがだいぶまとまってきました。アイデアを出してくれてありがとうございます。

223
satsukagushinri 2026/07/27 (月) 18:31:07 5adbf@6781b >> 217

アダマールという人の「数学における発明の心理」という本がありますが、こういうことじゃないよなぁ、多分。

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satsukagushinri 2026/07/27 (月) 18:25:55 5adbf@6781b >> 217

 「ひらめき」の前後に生じていることを記述しようとしているのですよね? 「ひらめき」の精緻な記述、ひらめきの現象学のような試みでしょうか。研究対象をじっくり観察して、「たぶん『ひらめき』とはこういうものだ」という仮説を立てることがこの研究の目的になるのかと思います。
 ヴントやその弟子のティチナーの時代にこういうことがやられていたように思いますが、知覚と違って、一瞬に過ぎていくようなひらめきが生じる前後の意識の自己観察はなかなか難しそうです。「問題を解いている様子を録画し、視線や手の動き、考え込む時間など、ひらめきの直前に共通する行動」は、比較的観察が容易だと思います。こちらにしてはどうですか。
 では、課題として何を使うかを次に考えないといけないですね。そのためには原点にもどって、あなたがどういう「ひらめき」を研究したいのかを考える必要があると思います。授業でも問われていましたが、あなたが興味を持っている「ひらめき」とは、何かを「発見」するようなことなのか、何かを「思いつく」ことなのか、何かを「思い出す」ことなのか。それによって課題は異なります。「発見」であれば数学の幾何問題で適切な補助線を発見するようなもの、「思いつく」であれば「なぞなぞ」みたいなもの、「思い出す」であれば「記憶課題」みたいなものが考えられます。
 考えた末、ひらめきがやってくるような課題にして、ひらめき前後に特異的に現れる現象を拾って行ってもいいと思いました。「それがわかって何になるの?」と尋ねられるかもしれませんが、卒論でも修論でもないので、まず出来事を事細かに見てみるのもいいと思います。
 伊藤先生、友野先生からも何かアイデアがほしいところです。
 

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回答ありがとうございます。先生のご指摘を受け、私が知りたいことを改めて整理してみました。
 私が調べたいのは、「どのような条件でひらめきやすいか」ではなく、「なぜその瞬間にひらめきが生じるのか」、特にひらめく直前の状態や行動です。そのため、ひらめきを誘発しやすい課題を使って、被験者には答えが分かった瞬間にボタンを押してもらい、その後に「突然ひらめいたのか、それとも徐々に答えにたどり着いたのか」を回答してもらうことを考えました。また、問題を解いている様子を録画し、視線や手の動き、考え込む時間など、ひらめきの直前に共通する行動が見られるかも分析できないかと考えました。
「自然にひらめく」ことに関して、実験を通して自然なひらめきを見るのは不可能ではないかと考えました。完全100%自然なひらめきは観測するのは現実的に可能だと思いますか?
 なお、前回の質問でデブリーフィングについて触れましたが、調べ直したところ、この場合には適切な用語ではありませんでした。混乱を招いてしまい申し訳ありません。

220
satsukagushinri 2026/07/27 (月) 14:58:51 5adbf@0bee6 >> 217

 質問ありがとうございます。テーマの変更は自由に行なってください。最終レポート提出時に決まっていればいいです。
 「方法」が決まらない一つの原因は、テーマ(知りたいこと)が明確でないことにある場合があります。「『なぜ』ひらめくのか」ということなので、ひらめきを誘発するもの、ひらめきが生じる条件や環境が知りたいのかなと思いました。あなたの試案では「ひらめいたと思った瞬間に知らせる」となっているますが、これは「『ひらめきがやってきた』ことを報告する」という方法ですか。それでどうやって「なぜ」に解答を与えますか。
 ひょっとすると、いろいろな条件を変えて、ひらめきの生じやすさが変わるかを見ようとしているのかもしれません。単に、ひらめき数を計量して条件間の差を見るだけであったら、クイズ番組の回答者のように「ピンポン」を押してもらえばいいと思うのですが、ダメですか。「ひらめくことを意識しすぎて自然にひらめくことができなくなってしまうのではないか」との懸念をお持ちですが、そうするとクイズ回答者は「自然にひらめいていない」状況にあることになりますが、そうなのですか。
 それから、何を「デブリーフィング」するのですか。
 もう少し詳しくあなたの考えていることを教えてもらえると、いろいろ一緒に考えることができるのではないとか思います。お願いします。質問は何回でもできます。

219
satsukagushinri 2026/07/27 (月) 13:02:13 5adbf@e8eac

レポート作成のための質問期間には制限がありますが、回数に制限はありません。授業中にできなかった分の対話をしましょう。ただし、早急に対応できるかは保証できないので、早めの質問投稿をお願いできれば幸いです。

218
satsukagushinri 2026/07/27 (月) 12:53:28 5adbf@e8eac

受講生の皆様

 最終レポートについて、下記のようにいたします。課題をどのように書いていくかについては、また指示をしますのでお待ちください。アイデアを温め、具体化し、また質問をしてください。

 課題: 「あなたの気になることを研究する研究プランを立てなさい」
 提出締め切り: 8月10日(月) 23:59
  レポート作成のための質問期間: 8月2日(日)23:59 まで

217
F26030 2026/07/27 (月) 02:19:22 a546f@048a7

質問失礼します。「なぜ人はひらめくのか」の研究方法について悩んでいます。最初に、授業で出したテーマは範囲が広すぎるので「なぜ人は『今』ひらめくのか」に変更したいです。人がひらめく前に重点を置きましたが、研究方法が全く見当がつきません。一つだけ思いついたのが、クイズを出してひらめいたと思った瞬間に知らせる、という方法だったのですが、ひらめくことを意識しすぎて自然にひらめくことができなくなってしまうのではないかと思いました。このケースはデブリーフィングをした方が望ましい結果になると思いますか?最後に、この掲示板の質問は質問期間内であれば何回でも質問することが可能ですか?

71
satsukagushinri 2026/07/25 (土) 12:38:45 5adbf@2fe1b

今回の採点対象となる投稿は締め切りました。

70
F26062 2026/07/25 (土) 08:59:56 fe27b@ed563

戦時中で日本を訪れることができないとはいえ、ルース・ベネディクトが日本を一度も訪れずに日本文化を文献や聞き取りだけで分析して本を出したことがすごいなと思った。しかもそれがしっかりと当時の日本の文化の分析をできていたというからすごい。日本人は「恥」を重んじる、西洋人は「罪」を重んじるというが、現代はどうだろうか。西洋人はわからないが、日本人の「恥」を重んじるというのはあまり変わっていないと思う。昔と大きく変わったことといえばデジタルが普及したことだと思うが、SNSの炎上とかも恥を重んじすぎて起こることなのかなと思った。

69
F26011 2026/07/24 (金) 20:59:36 b5f3a@5688e

エーリヒ・フロムの『自由からの逃走』について。現代にも権力からの解放と自分らしく生きる自由は存在していると思いますが、ファシズムにはあまり発展していないように感じます。この理由について先生のご意見を伺いたいです。それと簡単な話ですが、私は大学生になってからこれまでのような学校のシステムから解放され、結果として自由を重荷に感じることがありました。なので、フロムの考えは個人規模でも確かに存在している心理だと実感しました。自由から逃走しないために自立した大学生活を送りたいと思います。

216
satsukagushinri 2026/07/24 (金) 15:46:07 5adbf@d2c37

最終レポートに関わる質問は初めてくださって結構ですよ。

215
satsukagushinri 2026/07/24 (金) 14:59:31 5adbf@d2c37

最終レポートの期限は、近々発表します。しばらくの間、最終レポートを作成する上で聞きたいこと、知りたいことなどを質問する期間を設けます。研究計画の立案に貢献する、「どういうデータを採ったらよいか」「どういう手続きで実験したらよいか」等の質問を受け付けますので、投稿してください。この質問期間にも期限があります。これもまたのちほどお知らせします。

214
satsukagushinri 2026/07/21 (火) 19:49:40 5adbf@fd355 >> 210

 ティッシュ配り研究で立てた問いは、「もらい手が誰か決まっていない」かつ「もらってくれるかどうかわからない」状況で、どのようにして特定の誰かがもらってくれることになるのかにありました。自分がターゲットになっていることに気づかなくてもいい、ティッシュを別にもらわなくてもいいという点で、傍観者効果とは異なるのではないかと思います。ティッシュ配りの現場は、集団内にトラブルが生じている事態でもないし、目をそらそうが、もらい手になろうとなるまいと、まったく問題はありません。他者の認識内容を推論があろうとなかろうと関係なく、責任の分散はあるかもしれませんが(誰かがもらうだろう)、誰ももらう必要がないのが路上のティッシュ配りです。
 あの研究の成果ですが、配り手が特定の人に視線を送り、うっかりその人が視線を返してしまうことで、両者の間にコミュニケーション事態が生起するため、次のティッシュ渡しを拒みにくくなるというものです。声をかけられたら声を返さないと何か悪いことをした気になるというのがコミュニケーション事態での規範ですが、これを利用しているのですね。
 傍観者効果については、先の投稿者が扱っていますので参照してください。何かに気づくこと、ひらめくことは大切です。その次に試みるのは、ひらめきの中核、本質は何かと探ることでしょう。結びつけようとした二つ(以上)のものが、中核、本質部分で結びつくように考えを巡らす訓練をすれば、あなたの豊かなひらめきが生きると思います。
5点差し上げます。

213
satsukagushinri 2026/07/21 (火) 19:46:00 5adbf@fd355 >> 205

 傍観者効果とぼっち現象は共通するところがあると思います。傍観者効果の中核は何にかと言うと、他人の認識の中身は基本わからないこと、そのため他人の認識を表出された言動から推測し合うしかないこと、そして推測は現実に合致するとは限らないこと、ではないかと思います。ぼっち現象は、表出された言動が少なく(Xさんは発話も行為も乏しかったですね)、そのため問題事象が起きていることに誰も気づかないという出来事でしょう。推測を行なったと言うより、推測を発動させる刺激に乏しいのだと思います。キティ・ジェノウィーズ事件では叫び声とか物音とかがしていたのに、それを特別のことではないと推測したために起こりました。傍観者効果には責任の分散も伴います。あなたが言う、「誰かが声をかえるだろう」、「誰かが助けてくれる」だろうというやつですね。今回紹介した卒論でどうなっていたかは忘れましたが、生じていた可能性はあると思います。まとめると、言動の少なさ、推測、責任感の分散が、ぼっち現象を支えているものと思われます。
7点差し上げます。

212
satsugakushinri3 2026/07/21 (火) 11:47:35 f636a@d2c37 >> 209

関連文献も調べながら、授業内容と結び付けて考察できていますね。4.5点差し上げます。

211
satsukagushinri 2026/07/20 (月) 19:52:02 5adbf@642d0

今回の採点対象となる投稿は締め切りました。投稿ありがとうごさいます。

68

身体的な発達においても、個体のの上よくどのような形に発展していくのかは環境との関係によって左右されます。時間の経過とともに絶対にこうなるということは言えません。敏感な特性が、芸術に恵まれた環境では創造力として開花するかもしれませんが、恵まれない環境では不安の強さや傷つきやすさとして発現するかもしれません。
後に出てくるものが、それより前のものよりも優れている、優れている方向に変化していくのが当たり前、という思い込みが「発達」「進化」という考え方には色濃いですが、かならずしもそうとは言えません。環境が異なれば、能力や考え方にも差異が生まれますが、それらの優劣を言うことはできません。生存する条件が違うから、考え方が異なっているだけかもしれません。
ましてや道徳観や知性といった多要因が影響することについては、文化環境によって左右される部分が大きく、西欧的社会において適合的な考え方が、他の社会、女性社会において適合的であるとは言い切れません。研究者の多くが、自身が西欧男性社会中心の価値観のバイアスに縛られていることを自覚できず、西欧男性社会に適合的な価値観を「完成形」で、それ以外の価値観を「未熟」「野蛮」とみなすのではなく、多様な発展がありうることを許容する必要があるのかもしれません。
重要な質問ですね、6点差し上げます。

210
F26021 2026/07/20 (月) 08:42:45 ec680@52ccd

ティッシュ配りの研究で、目線や間合いが成功率で関わってくるところに傍観者効果を思い出した。日本人は特に顕著だと思うが、個が特出することはとても勇気がいる事である。だから、いざ集団の中でトラブルに遭遇した時、色々と言い訳をして他力本願になり目を逸らしてしまう。高校の救急救命講習でも、周りの人に手助けを頼むときは具体的な特徴と目線で指名すると良い、と教えられた。ティッシュ配りでも、距離の近い人を目線で指名する事で「他の誰でもない貴方なのだ」と伝えているのだと思った。日本人は目線を気にする人種だと思うので、人と目が合うとその人に注意が向く。距離が近ければ自分が見られているという確信も得やすいのだろう。日本人の間合いを感じる研究だと思った。

209
F26030 2026/07/20 (月) 03:28:16 a546f@048a7

空書の研究から、空書をすることで文字を思い出せるのではなく、思い出せそうだから空書をしているように感じた。全く思い出せないときは空書が少なく、記憶や考えがある程度までまとまった段階で自然に空書が行われているのではないかと思った。少し前の論文ですが、日本認知心理学会発表論文集(2003年)会話場面における「空書」行動の研究では会話場面では数字(アラビア数字)の空書が多かった実験結果が書かれていました。漢字の空書は国が限られるかもしれませんが、数字の空書になると世界共通なので外国人にも空書の傾向がみられるのか気になった。もし英単語のスペルをバラバラにして組み合わせると何になる?みたいな問題を外国人に出したら空書するのか実験したら面白そうだなと思った。空書をしなければ、空書は漢字文化や日本の習字の習慣の影響を強く受けている行動という可能性が高くなるし、外国人が空書をすれば、空書は世界共通の文字を頭の中で整理するための認知行動になると思った。

208
satsugakushinri_2 2026/07/19 (日) 21:53:42 7843f@5a7e4 >> 204

面白いですね。講義で紹介したラッパーの手の制御に関する論文を貼っておきます。
https://www.jcss.gr.jp/meetings/jcss2019/proceedings/pdf/JCSS2019_P2-36.pdf
この論文を参考に, どのように計測をすれば良いか考えてみると楽しそうです。7点差し上げます。

206
satsugakushinri_2 2026/07/19 (日) 21:49:29 7843f@5a7e4 >> 203

良い気付きですね。足の小指をぶつけてしまうことに関連する論文がありますので, ご紹介します。https://www.jstage.jst.go.jp/article/kikaic1979/73/725/73_725_274/_pdf
ぜひご一読ください。5点差し上げます。

205
F26020 2026/07/19 (日) 21:14:02 bdb3e@60fc7

自分は森先生のぼっちのお話を聞いて、キティ・ジェノウィーズ事件の傍観者効果と少し似ていると思った。傍観者効果は周りに人が居るほど起こりやすいことから、ぼっち体験するといったら大抵集団で起こる場合が多いと思う。パズル実験では1人がよくぼっちになる人を見ていたと言っていたが、その他の人は「誰かが声をかえるだろう」と期待や無意識に考えてた思う。逆に、ぼっちになってしまう人も、「誰かが助けてくれる」と考えてしまう場合もあるのではないかと思った。自分も結構人見知りだからいかにぼっちにならないか実験してみたいと思った。

204
F26097 2026/07/19 (日) 21:04:03 修正 821a8@b04be

カラオケなどで歌うときの手の動きについて、手の動きを喉の動きや声の出し方のお手本・ヒントにしているのではないかと考えた。私はドラムを演奏していたが、手と足が同じリズムを刻むとき、手の動きに足を合わせることができるからやりやすいが、異なると難しいと感じる。同じように、歌う時も手を動かすことで、脳がその動きをお手本(見本?)として喉を調節し、音程などをコントロールしているのではないか。何個かの身体の動きが同期するとき、脳がそれを一つのまとまりとして処理、連動させているイメージがある。独立していなくて、それぞれ影響・補助し合う感じ。また、ラッパーの手の話ついても、頭の中にある韻や言葉の流れの「リズム」が手の動きと結びついているから、動きを制限されるとそれらができなくなってしまうのではないか。日常でも言葉が出てこない場面では無意識に身振り手振りをすることで考えを整理したり伝えたいことを表現していたなと考えた。

203
F26123 2026/07/19 (日) 20:11:10

身体的な基準があることでより通過しやすくなるのではないかというものがあった。ではなぜ、自分の足がどこを向いていて壁(隙間)と身体の距離がどれくらいかなどもわかっているのに足の小指をぶつけてしまうのか。経験から肩はぶつかりやすいが意識して旋回できる、手の指ぶつけにくい、足の指はぶつけやすいということを感じる。このことから、視点や身体の中心からの距離によって意識の向きやすさに違いがあるのではないかと考える。

67
F26094 2026/07/18 (土) 08:10:53 c65fc@69865

今回の授業でコールバーグ理論をギリガンが新たな視点から批判しそこから生まれた「正義の論理」「ケアの倫理」という考え方が、ケアや女性についてなどの議論を活発にしていったという流れとそれぞれの理論を理解することができました。
質問
ギリガンへの批判に「発達」というパラダイムにしばられていて、結局倫理にをつ優劣けることになるというのがありましたが、なぜそのパラダイムにとらわれると倫理に優劣をつけるということになるのですか?

202
satsukagushinri 2026/07/13 (月) 15:57:48 5adbf@f9228 >> 194

 実験をすればいいと思います。ある環境に接したかどうかを記録に残しておく。その上で想起語りの分析を行ない、環境接触の有無が識別できるかを確認する。ナビゲーション実験と同じ手法です。
 語りの形式を「種類別に分ける」ことの意義はなんですか。あなたが思いついたアイデアのアピールポイントがもう少し明確だと助かります。色々なことが言いたそうですが、時間をかけて論理的構成をしっかりつけるともっとよくなると思います。
4点差し上げます。

201
satsukagushinri 2026/07/13 (月) 15:57:32 5adbf@f9228 >> 193

 かつて接触した環境と身体の再会が、想起を発生させるという考えはありますね。主流派の記憶研究でも、状況依存記憶、符号化特定性などの類似した考えが散見されます。
 脳が認知の中枢だと主流派が言っているので、仕方がないと言えば仕方がないのですが、我々3人が研究を進めている生態心理学という分野では、脳を認知の中枢とは考えません。認知は環境と身体の間で起こることで、脳は身体の一部でしかなく、脳が行なっているのは認知ではなく、認知が成立する際の身体組織の微調整であると考えています。新しい考え方です。
 もう一つ、応用例を挙げてくれました。現場再現は警察がよくやる捜査手法です。実況見分というやつです。しかしこの方法は、体験がなくても見分時に出会った環境に適合すれば、体験したかのように語れてしまうこともあります。したがって、刑事捜査においては、あまりお勧めしたい方法ではありません。
7点差し上げます。

200
satsukagushinri 2026/07/13 (月) 15:57:14 5adbf@f9228 >> 192

 体験時の視覚が不在であることは、実体験と伝聞の大きな差異ですが、それを記憶の属性にすることは反対です。人間は視覚への依存が高いので、物を考えるときどうしても視覚のあり方にそって考えてしまいます。「記憶」という概念を想定してしまうのも、この悪影響ではないかと思っています。体験においてむしろ考慮すべきは環境と身体の接触(相互作用)であって、視覚体験もその一部(でしかない)と考えたいものです。
 話し手の様子が気になったという着想は面白いと思いますが、どうしてですか。あなたの考えが聞きたかったです。体験時の色識別のあり方が人によって異なるでしょうから、想起時の色表現もまた個性が出るでしょうね。昔扱った事件で、被害者の服の色を語る被疑者の供述が「黄色」になったり「オレンジ」になったりしていましたが、これは体験者に起きることかどうか気になりました。
5点差し上げます。

199
satsukagushinri 2026/07/13 (月) 15:56:56 5adbf@f9228 >> 191

 直近のコメントを参考にしてください。どこかに貯蔵されている「記憶」という考えをとると、間違うと私は考えています。想起は時間的現象なのに、記憶には時間が含まれていないことが、そもそも後者で前者を説明することの間違いを物語っています。
5点差し上げます。

198
satsukagushinri 2026/07/13 (月) 15:56:41 5adbf@f9228 >> 190

 「実体験と伝聞の伝え方を全く同じ形式にした場合、判断すること」は難しくなると思います。たとえば、質問に対して「はい」か「いいえ」で回答させるとしたら、判別は難しいでしょう。ここから、CQに対して回答させるような体験の聞き方は実体験か否かを判別する方法としては危険である、というように考察ができてもよかったと思います。
 「実体験の方がより具体的かつ鮮明な記憶であり、伝聞の場合は抽象的かつ限定的な記憶であるため、記憶の引き出し方が違うから」という考察には同意し兼ねます。授業ではほとんど話さなかったからわからなくて当然ですが、この実験の眼目は「どこかに貯蔵されている記憶」という概念を消すことにあります。そして「ある環境と接触した身体が、想起するときにみせる挙動」として記憶を再概念化しようとします。心理学から「記憶」という無用な概念が消えることを願ってやみません。変なことを言っていると思われたかもしれませんが、昔の人は物が燃えるのは物質の中に燃焼する物質が存在するからだと考えていました。その物質は「フロギストン」(燃素)と呼ばれていました。現在では燃焼は「酸化の一形態」と考えられています。記憶もまた「知覚の一形態」と考え直して、心理学から消したいのが私の野望です。あなたはフロギストンがあると思いますか。記憶もいずれそうなります。
5点差し上げます。

197
satsukagushinri 2026/07/13 (月) 15:56:27 5adbf@f9228 >> 189

 あなたが言うような可能性は否定できませんが、具体的な実例とか、俳優が他人になりきるとはいかなることを俳優がしていることなのかに関する考察があるとか、そういうものがないと感想にとどまってしまいもったいないです。私は演劇に詳しくないので、演劇に従事する人がどのようにして「真に迫る」ようにしているのかを知りたく思いました。わずかばかりの私の知識を言うと、身体の持っているリズムとかテンポが、個人を特定する情報になり得るようです。足音から「あの人だ」とわかることはありませんか。私は結構あります。俳優がやっていることは、模倣する対象の身体のリズムなどを模しているのではないかと思いました。しかしながら、授業で紹介した実体験と伝聞の違いは、個人の中で生じた差異ですから、同一人であっても実体験者へのなりすましは難しいという結論になりそうです。
4点差し上げます。

196
satsukagushinri 2026/07/13 (月) 15:56:19 5adbf@f9228 >> 188

 体験と伝聞の差異が、鳥瞰的視点をとるか、虫の目の視点がとれるかという点にあるという話を授業ではしました。体験がある場合、地面に立って移動をしているため虫の目視点での見えが常に体験されています。一方、伝聞体験では、すでに終了した他人の体験を言葉によって聞くだけなので、虫の目視点はとれません。語られた体験とは出来事がすでに終了しているので、ナビゲーションの開始から終了までを同時に(俯瞰して)認識することができます。このため鳥瞰的視点に依存する表現なら可能になります。鳥瞰的地図の作図がその例でした。
 あなたはそのような違いを、「自分の視点から離れているかどうか」と書いてしまっており、鳥瞰的視点と虫の目視点の対比をしているのかわからなくなっている書き方になっています。それ以降のあなたの考察が二種の視点の対比による帰結を論じているのかどうかがわからなくなっているのですね。「人から聞いた話が誇張されたりねじ曲がってしまう」ことや、「あやふやになって」しまうことは、二つの視点の違いから生じる問題だと考えていますか。もしそうであれば、なぜそのように考えられると思いますか。「自分が主体じゃない」のは確かにそうですが、主体かどうかが二つの視点の差異としてより明瞭に規定できたという点が、授業で紹介した実験が示したことでした。
4点差し上げます。

66
satsukagushinri 2026/07/13 (月) 09:44:02 5adbf@f9d36 >> 64

 授業の内容を理解していることを、自分の経験を引用することによって、的確に示していると思いました。実感ができて何よりです。
 最初の三行はのちの議論の前提として提示したのかと思いますが、もしそうであれば、議論の前提にしていることがわかるように書き方を工夫した方がよさそうです。また、その後の議論は経験則が確率的言明であることによって、特定の人間が経験則に合致する一般的な人間なのか、例外的な人間なのかが決定できないという不都合が生じることを言いたいのだと思いますが、そうなると前提とすべきは「特定の人間=真の値(平均値)+誤差」でいいでしょうか。ここから、「経験則が確率的言明である」ことが見てとれますか。
5点差し上げます。