第9回の課題は月曜日の午前9時に締め切りました。
とても良い応用例ですね。8点差し上げます。
すぐにでも実践できそうな具体的な応用例ですね。9点差し上げます。
確かにそうですね。7点差し上げます。
良いですね。1人でものを持って運ぶ以外にも2人でものを持って運ぶ場合においても, 様々な実験を通して応用できそうですね。8点差し上げます。
興味深い応用例です。8点差し上げます。
その通りですね。期限を過ぎておりますので心苦しいですが減点となります。4点差し上げます。
まさにそうですね。知覚と行為が循環している例を書いてくださいました。9点差し上げます。
まさにそうですね。8点差し上げます。
良いですね。τ(タウ)のお話ですね。8点差し上げます。
その通りですね。8点差し上げます。
教習所によるかもしれません。おっしゃる通り, 教習所内で上手にできていた運転行為が, 教習所の外(一般の道)に出ると上手にできないということがあります。環境が変化したことで行為可能性が変わることを示しています。教習所において, そのような観点からコースの設定を考えると利用者にとっては良い練習となりそうです。8点差し上げます。
良いですね。講義で学んだことをご自身の日常生活に当てはめて考え, 活かすことができておりますね。9点差し上げます。
良いですね。まさに学習の特殊性の例と言えるでしょう。9点差し上げます。
良いですね。お書きくださったことは, 知覚認知心理学では「記憶の文脈依存」と呼ばれています。学習の特殊性の例と言えます。 9点差し上げます。
すき間の研究はスーパーや服屋などの店内のレイアウトに活用できると考える。例えば、服屋には人型で人間がパーソナルスペースを知覚することができるマネキンが配置されていることが多い。そのマネキンの向きを工夫して配置することで人がマネキンとマネキンのすき間を通りやすいと知覚し、人の流れをスムーズにしたりなど調整できると考える。また、スーパーなどでは棚と棚のすき間や棚の高さを工夫して人の知覚を利用して人の流れを調整できると考える。
隙間通過の研究は、健常な人とそうでない人が共通して通りやすい通路を作るための空間の活用に役立つと思う。ただ広い空間を作るのではなく、通っている時に無機質さや圧迫感を与えない。それでいて余裕を持ってすれ違える通路が必要。大きなショッピングモールなどでは、大きな通路の中央には植物やベンチが設置されている。これは圧迫感や無機質さを感じさせずに通路を二つに分けている。こうする事で「大きな隙間」を作る事ができ、どれだけ人が多く通っても、ごちゃごちゃと混雑せず、人の流れを作れる。その流れに乗ればスムーズに行き来出来るだろう。このように、感覚情報は上手に活用する事ができるのだと分かった。
すき間の研究は整理整頓や収納に活用できると考えた。人は空いてる空間をみたら、なにか入るかもと言った行為の可能性を知覚出来ると思う。例えば、本棚や引き出しの隙間をみて収納出来ると判断する。このように、隙間のアフォーダンスを利用することで、限られた空間を上手に使うことに役立つのではないかと感じた。
すき間通過の研究について、この研究は引越しの場面で役立つと考える。引越しでは、冷蔵庫やベッドなどの大きな家具をドアや階段、廊下を通して運ばなければならない。その際、人は家具が通れるかどうかを見て判断しているが、実際には通れると思ったら通れなかったり、その逆もある。すき間通過の研究を活用すれば、家具と周囲の空間との関係をより正確に判断できるようになり、搬入時の失敗を減らしたり時間短縮や負担の軽減につながると考えられる。
すき間通過の研究の役立つ場面として工事現場の立ち入り禁止に役立つと考える。立ち入り禁止に使われるものとして色々な形をした低いコーンのようなものもあるが、それは簡単に跨げてしまい、危険という認識が強くない。しかし、人型かつ向かい合った物体を置くことで、通り抜けしづらい環境を作ることができ、感覚や向きを調整することで他の道に誘導することもできる。さらに、工事員の服を来させれば遠目から見ても工事をしていることがわかるなどメリットも多くあると考える。デメリットとしては、持ち運びがしづらいという点だが、組み立て式などにすることで解消することができるだろう。
今回の採点対象となる投稿は締め切りました。
おそらく物理学の発展によるものと思われますが、魂(soul)の知的活動部分(知覚や問題解決)だけを取り出した「精神」(mind)というものを仮構し、刺激の物理的強度の変化と心理的強度や、問題解決の複雑さと解決までの時間の関数関係を探る研究が出てきました。ヴント以前のこの領域は、精神物理学と呼ばれます。代表的な研究者としてグスタフ・フェヒナーが挙げられますが、以前の授業でも申し上げたように、フェヒナーは魂や死後の世界の存在を信じていました。この流れからヴントが心理学を立ち上げるのですね。時代的には19世紀中盤から末の自然科学隆盛期です。 全体論と要素還元主義をどう折衷できるのか知りたいですね。「足して2で割る」という解決は、対立する立場があるとしばしばとられる方途ですが、個人的には一時凌ぎにすぎません。ある視点では全体論が妥当に見え、別の見方をすれば要素還元主義が正しいような、両者を弁証法的に止揚した第三の道が出てくることが期待されます。 スキーマという用語は何人かが使用としていますが、バートレットやピアジェの概念であれば能動性が含まれた概念といえますね。ピアジェの理論では「シェマ」と呼ばれますが、スキーマをフランス語で言っただけです。彼の有名な考え方に、シェマへの同化やシェマの調整がありますが、これは能動性が含まれた考えではないかと思います。バートレットの概念は認知心理学の流れの中で、知識の構造という静的なイメージを持たされてしまいましたが、バートレットはゲシュタルト心理学の影響を受けているので、元来彼の思想には能動性が含まれています。 6点差し上げます。
ゲシュタルト心理学が衰退したのは、おそらく、個別の事例は示したが理論を示し得なかったことにあるのではないかと思います。「なんとかの法則」はいっぱいありましたが、それらを統一的に説明できる枠組みは示されませんでした。これを引き継ぐのが、生態心理学のギブソン(いずれやります)ではないかと考えています。 歴史に「たら、れば」は禁物と言われますが、あえて推測すれば、ヴントは要素還元主義に立っていたのでこれと相性のよい、大脳の研究に向かったのではないかと思います。つまり、ヒトをモノとして扱う研究に向かったということですね。これはキリスト教的にはアウトです。そしてもし大脳の研究に向かったとしたら、無意識ではなくむしろ意識に着目したのではないかと推察します。というのは、大脳の活動を我々は意識できません。すなわち大脳の活動は無意識裏に進んでいます。このような無意識的な大脳活動から、意識がどのように生まれるのかに関心が持たれたのではないかと。これは現在の脳研究と同じですね。 6点差し上げます。
今回の授業では、ゲシュタルト心理学の考え方とヴントの要素還元主義との対比を理解することができました。時系列をきちんと把握していなかったので、ヴントは先駆けのようなイメージだっただけに、登場が意外と遅いんだなという印象でした。ゲシュタルト心理学は、直感的でより身近に感じられる分野に感じられて分かりやすかったので、全体論が要素還元主義と対立の関係ではなく、どちらの考え方も取り入れた折衷案のような考えも出せそうだなと思ったのですが、その純粋な研究者はあまりいないという話を聞いて残念でした。 質問)今回学んだ能動性というものとスキーマの存在がかなり近しいものに感じたのですが、関連性や何か明確な違いなどはありますか?
今回の講義で、私はゲシュタルト心理学について今までの講義で学んだヴントの要素還元主義やfolk phychorogyの批判としての分野、ゲシュタルト心理学の基盤とは何かを学ぶことができました。特に全体論、能動性について今まで意識してこなかった自分の行動や考え方にもゲシュタルト心理学を元に考えられる法則などが当てはめられているということを知りました。個人的にはゲシュタルト心理学の考え方は現代でひとつの学問として残っていても良いと感じるくらい意識に対する認識として理解しやすいと思います。これらの考え方が現代の学問の中にも散りばめられるような形で残っているのにも納得が行きます。 質問: ヴントはキリスト教の許される範囲での心理学として、要素還元主義などの意識に関する研究を行っていて、それら以外の無意識の分野などを民族(文化)心理学として後世に任せたと言うことですが、もしヴントがキリスト教に忠実ではなかったり、これらの研究にキリスト教の影響がなかった場合、心理学の無意識に対する研究はより早く発展していたのでしょうか?それともそれらの研究の進歩は変わらなかったのでしょうか。
呉秀三は確かに偉大な人物だと思います。 憑依するのは「そこら辺の狐」ではなく、霊力を持った魔獣です。いつまで忌避されるかは難しい問題ですが、それは共同体の人々が忘れてしまうまでですね。「我が家は憑きもの筋だ」と名乗るわけではなく、周囲のもたちが「あの家は憑きもの筋だ」と噂するという形で憑きもの筋は実体化するので、誰も噂しなくなれば消えるということですね。5点差し上げます。
明確にいつからかとは言えませんが、1900年頃にビネー(ヒステリーの催眠療法のシャルコーの弟子)が知能検査を作ったあたりで、標準的な知能、それから遅れた知能という定義ができたのだろうと思います。「遅滞」という言葉には、発達が遅れているというニュアンスがありますが、これはビネーの影響がありそうですね。5点差し上げます。
みんながみんな信じていたのではないと思いますが、かなり多くの人が信じていたようですね。当時の説話には、村に巨大な化け物が出て、みんながおののいたが、正体はタヌキの悪戯だったということになりみんな安心した。というのがあります。ここでは、正体が「タヌキ」であったことで納得されていて、科学的な解明は何もなされていないというところが面白いですね。 逆に、現代は何でも科学的に説明されると納得してしまうというのも、変ではないですか? 4点差し上げます。
コメントありがとうございます。 それは、当時、女性や子供の知的判断能力が低いと考えられていたという意味です。ベルツは判断力が低いので迷信にとらわれやすいと考えていたということですね。実際にそういうことはないとは思うのですが。4点差し上げます。
身体運動は視覚情報に影響される関係がある。 例えば、3Dゲームなどにおいてプレイヤーがゲーム内の視点の動きに合わせて身体を傾けたり、捻ったりすることがある。これはゲーム画面が提示する視覚情報が身体運動に影響しているからである。 他にも、全面がスクリーンの部屋で崖から落下する映像などで足がすくんだり、転んでしまう例が挙げられる。 つまり身体運動は視覚情報に強く依存しているところがある。
視覚情報と身体運動は私たちが環境に適応して行動するために相互に関係し合っている。例えば自転車に乗る時、私たちは道路や障害物などの視覚情報を見ながら運転している。何か障害物が近づけばブレーキをかけたり、ハンドルをきって進行方向を変える。また、周囲の景色が後方に流れるオプティックフローから進行方向や速度を把握し、バランスを保っている。このように自転車に乗る時は視覚情報を利用して身体運動を調整し、身体を動かすことで新たな視覚情報を得る相互関係が常に起こっている。
器に液体を注ぐ時、例えばポットに入ったお茶をコップに注ごうとしているとする。私達はまず、お茶がなみなみと入ったポットを持ち上げ、コップに正確にお茶が注がれるように注ぎ口を慎重に傾ける。この時、ポットとコップの距離は近すぎても遠すぎてもうまく注げない。その為、お茶の勢いに注意しながら、視覚情報や手の感覚を元に角度をゆっくり調整している。お茶が十分に注がれたと感じたら、ポットを水平位置まで戻す。そうする事でお茶が必要以上に注がれるのを防げるからだ。これらの行動は、目を閉じてしまうと極端に難しくなる。コップにお茶を注ぐという動作一つでも、視覚情報と身体運動が密接に関わっているのだと分かる。
視覚情報と身体運動は、視覚によって得られた情報をもとに身体の動きを調整するという形で結びついている。例えば、スマホで文字を入力するとき、私たちは画面のキーの位置を見ながら指を動かしている。また、画面をスクロールするときも、内容に合わせて指を動かし、スクロールの速さなども調節している。普段何気なく使っている動作も、視覚から得た情報によって身体運動が細かく制御されていることで成立している。
身近な例でたとえてみると、キャッチーボールでは まずボールが見える、手を伸ばしてキャッチする、 ボールが近づいてくるのがみえる、手の位置を調節すると、私たちは視覚から得た情報をもとに身体を動かして、その運動によって変化した視覚をまた利用して日常生活をおくっている。視覚情報と身体運動はお互いに影響しあっているといえる。
私たちは視覚情報をもとに環境やその変化を知覚して、身体と環境の相対関係を把握して身体運動を調節している。例えば、混雑した電車内で電車から降りるとき、自分が通ることができそうな人と人の間を探し、体を横向きにして通り、電車の乗降口まで移動する。これは、人と人の間を知覚し、自分の身体の幅と人と人の間の幅の相対関係を把握して、体の向きを横にして移動するという運動調節を行っている。
第9回の課題は月曜日の午前9時に締め切りました。
とても良い応用例ですね。8点差し上げます。
すぐにでも実践できそうな具体的な応用例ですね。9点差し上げます。
確かにそうですね。7点差し上げます。
良いですね。1人でものを持って運ぶ以外にも2人でものを持って運ぶ場合においても, 様々な実験を通して応用できそうですね。8点差し上げます。
興味深い応用例です。8点差し上げます。
その通りですね。期限を過ぎておりますので心苦しいですが減点となります。4点差し上げます。
まさにそうですね。知覚と行為が循環している例を書いてくださいました。9点差し上げます。
まさにそうですね。8点差し上げます。
まさにそうですね。8点差し上げます。
良いですね。τ(タウ)のお話ですね。8点差し上げます。
まさにそうですね。8点差し上げます。
まさにそうですね。8点差し上げます。
その通りですね。8点差し上げます。
教習所によるかもしれません。おっしゃる通り, 教習所内で上手にできていた運転行為が, 教習所の外(一般の道)に出ると上手にできないということがあります。環境が変化したことで行為可能性が変わることを示しています。教習所において, そのような観点からコースの設定を考えると利用者にとっては良い練習となりそうです。8点差し上げます。
その通りですね。8点差し上げます。
その通りですね。8点差し上げます。
良いですね。講義で学んだことをご自身の日常生活に当てはめて考え, 活かすことができておりますね。9点差し上げます。
良いですね。まさに学習の特殊性の例と言えるでしょう。9点差し上げます。
良いですね。お書きくださったことは, 知覚認知心理学では「記憶の文脈依存」と呼ばれています。学習の特殊性の例と言えます。 9点差し上げます。
すき間の研究はスーパーや服屋などの店内のレイアウトに活用できると考える。例えば、服屋には人型で人間がパーソナルスペースを知覚することができるマネキンが配置されていることが多い。そのマネキンの向きを工夫して配置することで人がマネキンとマネキンのすき間を通りやすいと知覚し、人の流れをスムーズにしたりなど調整できると考える。また、スーパーなどでは棚と棚のすき間や棚の高さを工夫して人の知覚を利用して人の流れを調整できると考える。
隙間通過の研究は、健常な人とそうでない人が共通して通りやすい通路を作るための空間の活用に役立つと思う。ただ広い空間を作るのではなく、通っている時に無機質さや圧迫感を与えない。それでいて余裕を持ってすれ違える通路が必要。大きなショッピングモールなどでは、大きな通路の中央には植物やベンチが設置されている。これは圧迫感や無機質さを感じさせずに通路を二つに分けている。こうする事で「大きな隙間」を作る事ができ、どれだけ人が多く通っても、ごちゃごちゃと混雑せず、人の流れを作れる。その流れに乗ればスムーズに行き来出来るだろう。このように、感覚情報は上手に活用する事ができるのだと分かった。
すき間の研究は整理整頓や収納に活用できると考えた。人は空いてる空間をみたら、なにか入るかもと言った行為の可能性を知覚出来ると思う。例えば、本棚や引き出しの隙間をみて収納出来ると判断する。このように、隙間のアフォーダンスを利用することで、限られた空間を上手に使うことに役立つのではないかと感じた。
すき間通過の研究について、この研究は引越しの場面で役立つと考える。引越しでは、冷蔵庫やベッドなどの大きな家具をドアや階段、廊下を通して運ばなければならない。その際、人は家具が通れるかどうかを見て判断しているが、実際には通れると思ったら通れなかったり、その逆もある。すき間通過の研究を活用すれば、家具と周囲の空間との関係をより正確に判断できるようになり、搬入時の失敗を減らしたり時間短縮や負担の軽減につながると考えられる。
すき間通過の研究の役立つ場面として工事現場の立ち入り禁止に役立つと考える。立ち入り禁止に使われるものとして色々な形をした低いコーンのようなものもあるが、それは簡単に跨げてしまい、危険という認識が強くない。しかし、人型かつ向かい合った物体を置くことで、通り抜けしづらい環境を作ることができ、感覚や向きを調整することで他の道に誘導することもできる。さらに、工事員の服を来させれば遠目から見ても工事をしていることがわかるなどメリットも多くあると考える。デメリットとしては、持ち運びがしづらいという点だが、組み立て式などにすることで解消することができるだろう。
今回の採点対象となる投稿は締め切りました。
おそらく物理学の発展によるものと思われますが、魂(soul)の知的活動部分(知覚や問題解決)だけを取り出した「精神」(mind)というものを仮構し、刺激の物理的強度の変化と心理的強度や、問題解決の複雑さと解決までの時間の関数関係を探る研究が出てきました。ヴント以前のこの領域は、精神物理学と呼ばれます。代表的な研究者としてグスタフ・フェヒナーが挙げられますが、以前の授業でも申し上げたように、フェヒナーは魂や死後の世界の存在を信じていました。この流れからヴントが心理学を立ち上げるのですね。時代的には19世紀中盤から末の自然科学隆盛期です。
全体論と要素還元主義をどう折衷できるのか知りたいですね。「足して2で割る」という解決は、対立する立場があるとしばしばとられる方途ですが、個人的には一時凌ぎにすぎません。ある視点では全体論が妥当に見え、別の見方をすれば要素還元主義が正しいような、両者を弁証法的に止揚した第三の道が出てくることが期待されます。
スキーマという用語は何人かが使用としていますが、バートレットやピアジェの概念であれば能動性が含まれた概念といえますね。ピアジェの理論では「シェマ」と呼ばれますが、スキーマをフランス語で言っただけです。彼の有名な考え方に、シェマへの同化やシェマの調整がありますが、これは能動性が含まれた考えではないかと思います。バートレットの概念は認知心理学の流れの中で、知識の構造という静的なイメージを持たされてしまいましたが、バートレットはゲシュタルト心理学の影響を受けているので、元来彼の思想には能動性が含まれています。
6点差し上げます。
ゲシュタルト心理学が衰退したのは、おそらく、個別の事例は示したが理論を示し得なかったことにあるのではないかと思います。「なんとかの法則」はいっぱいありましたが、それらを統一的に説明できる枠組みは示されませんでした。これを引き継ぐのが、生態心理学のギブソン(いずれやります)ではないかと考えています。
歴史に「たら、れば」は禁物と言われますが、あえて推測すれば、ヴントは要素還元主義に立っていたのでこれと相性のよい、大脳の研究に向かったのではないかと思います。つまり、ヒトをモノとして扱う研究に向かったということですね。これはキリスト教的にはアウトです。そしてもし大脳の研究に向かったとしたら、無意識ではなくむしろ意識に着目したのではないかと推察します。というのは、大脳の活動を我々は意識できません。すなわち大脳の活動は無意識裏に進んでいます。このような無意識的な大脳活動から、意識がどのように生まれるのかに関心が持たれたのではないかと。これは現在の脳研究と同じですね。
6点差し上げます。
今回の授業では、ゲシュタルト心理学の考え方とヴントの要素還元主義との対比を理解することができました。時系列をきちんと把握していなかったので、ヴントは先駆けのようなイメージだっただけに、登場が意外と遅いんだなという印象でした。ゲシュタルト心理学は、直感的でより身近に感じられる分野に感じられて分かりやすかったので、全体論が要素還元主義と対立の関係ではなく、どちらの考え方も取り入れた折衷案のような考えも出せそうだなと思ったのですが、その純粋な研究者はあまりいないという話を聞いて残念でした。
質問)今回学んだ能動性というものとスキーマの存在がかなり近しいものに感じたのですが、関連性や何か明確な違いなどはありますか?
今回の講義で、私はゲシュタルト心理学について今までの講義で学んだヴントの要素還元主義やfolk phychorogyの批判としての分野、ゲシュタルト心理学の基盤とは何かを学ぶことができました。特に全体論、能動性について今まで意識してこなかった自分の行動や考え方にもゲシュタルト心理学を元に考えられる法則などが当てはめられているということを知りました。個人的にはゲシュタルト心理学の考え方は現代でひとつの学問として残っていても良いと感じるくらい意識に対する認識として理解しやすいと思います。これらの考え方が現代の学問の中にも散りばめられるような形で残っているのにも納得が行きます。
質問: ヴントはキリスト教の許される範囲での心理学として、要素還元主義などの意識に関する研究を行っていて、それら以外の無意識の分野などを民族(文化)心理学として後世に任せたと言うことですが、もしヴントがキリスト教に忠実ではなかったり、これらの研究にキリスト教の影響がなかった場合、心理学の無意識に対する研究はより早く発展していたのでしょうか?それともそれらの研究の進歩は変わらなかったのでしょうか。
呉秀三は確かに偉大な人物だと思います。
憑依するのは「そこら辺の狐」ではなく、霊力を持った魔獣です。いつまで忌避されるかは難しい問題ですが、それは共同体の人々が忘れてしまうまでですね。「我が家は憑きもの筋だ」と名乗るわけではなく、周囲のもたちが「あの家は憑きもの筋だ」と噂するという形で憑きもの筋は実体化するので、誰も噂しなくなれば消えるということですね。5点差し上げます。
明確にいつからかとは言えませんが、1900年頃にビネー(ヒステリーの催眠療法のシャルコーの弟子)が知能検査を作ったあたりで、標準的な知能、それから遅れた知能という定義ができたのだろうと思います。「遅滞」という言葉には、発達が遅れているというニュアンスがありますが、これはビネーの影響がありそうですね。5点差し上げます。
みんながみんな信じていたのではないと思いますが、かなり多くの人が信じていたようですね。当時の説話には、村に巨大な化け物が出て、みんながおののいたが、正体はタヌキの悪戯だったということになりみんな安心した。というのがあります。ここでは、正体が「タヌキ」であったことで納得されていて、科学的な解明は何もなされていないというところが面白いですね。
逆に、現代は何でも科学的に説明されると納得してしまうというのも、変ではないですか?
4点差し上げます。
コメントありがとうございます。
それは、当時、女性や子供の知的判断能力が低いと考えられていたという意味です。ベルツは判断力が低いので迷信にとらわれやすいと考えていたということですね。実際にそういうことはないとは思うのですが。4点差し上げます。
身体運動は視覚情報に影響される関係がある。
例えば、3Dゲームなどにおいてプレイヤーがゲーム内の視点の動きに合わせて身体を傾けたり、捻ったりすることがある。これはゲーム画面が提示する視覚情報が身体運動に影響しているからである。
他にも、全面がスクリーンの部屋で崖から落下する映像などで足がすくんだり、転んでしまう例が挙げられる。
つまり身体運動は視覚情報に強く依存しているところがある。
視覚情報と身体運動は私たちが環境に適応して行動するために相互に関係し合っている。例えば自転車に乗る時、私たちは道路や障害物などの視覚情報を見ながら運転している。何か障害物が近づけばブレーキをかけたり、ハンドルをきって進行方向を変える。また、周囲の景色が後方に流れるオプティックフローから進行方向や速度を把握し、バランスを保っている。このように自転車に乗る時は視覚情報を利用して身体運動を調整し、身体を動かすことで新たな視覚情報を得る相互関係が常に起こっている。
器に液体を注ぐ時、例えばポットに入ったお茶をコップに注ごうとしているとする。私達はまず、お茶がなみなみと入ったポットを持ち上げ、コップに正確にお茶が注がれるように注ぎ口を慎重に傾ける。この時、ポットとコップの距離は近すぎても遠すぎてもうまく注げない。その為、お茶の勢いに注意しながら、視覚情報や手の感覚を元に角度をゆっくり調整している。お茶が十分に注がれたと感じたら、ポットを水平位置まで戻す。そうする事でお茶が必要以上に注がれるのを防げるからだ。これらの行動は、目を閉じてしまうと極端に難しくなる。コップにお茶を注ぐという動作一つでも、視覚情報と身体運動が密接に関わっているのだと分かる。
視覚情報と身体運動は、視覚によって得られた情報をもとに身体の動きを調整するという形で結びついている。例えば、スマホで文字を入力するとき、私たちは画面のキーの位置を見ながら指を動かしている。また、画面をスクロールするときも、内容に合わせて指を動かし、スクロールの速さなども調節している。普段何気なく使っている動作も、視覚から得た情報によって身体運動が細かく制御されていることで成立している。
身近な例でたとえてみると、キャッチーボールでは
まずボールが見える、手を伸ばしてキャッチする、
ボールが近づいてくるのがみえる、手の位置を調節すると、私たちは視覚から得た情報をもとに身体を動かして、その運動によって変化した視覚をまた利用して日常生活をおくっている。視覚情報と身体運動はお互いに影響しあっているといえる。
私たちは視覚情報をもとに環境やその変化を知覚して、身体と環境の相対関係を把握して身体運動を調節している。例えば、混雑した電車内で電車から降りるとき、自分が通ることができそうな人と人の間を探し、体を横向きにして通り、電車の乗降口まで移動する。これは、人と人の間を知覚し、自分の身体の幅と人と人の間の幅の相対関係を把握して、体の向きを横にして移動するという運動調節を行っている。