みなさんおはようございます。
さて今般の3連休でしたが、管理人にとっての土日は『放流』でありました。
といったことで、先ずは土曜日は苫小牧・地蔵(地図上は観音沼)沼へ、朝一で向かいました。現地への到着は午前7時過ぎ、釣りをしながら放流車を待つといった仕立てであります。
とりあえず第一投は7時半、相変わらずすぐに・・・、とはなりませんでした。
やはり水温も低下してきているのか、やや寄りが悪く(と言ってもまあ「いつもよりは」ですが)ってウキが動き出すまでに20分近くかかりました。
8時ころからは当たりっきりになって、まあかなりのハイペースで釣れたのです、ハイ。
「時間30枚ぐらいかなー」と思っておりましたが、9時でカウンターは丁度40枚弱でありました。
ここで、地元苫小牧のお手伝いの方々が合流して、放流魚を水辺まで運ぶ段取りをお手伝いさせていただき、一旦竿を置き、準備が整ったので釣り座に戻って地元苫小牧の方とお話をしながらカウンターが50枚になったところで放流車が到着したので、「さあいよいよ」だったのであります。
放流量は80kgといったことで、まああっという間に放流自体は終了いたしました。
そこからは養魚業者さんと談笑し、午後2時ころ業者さんは翌日の放流先であるところの旭川に向かって車頭を向けられました。
管理人の拙宅に戻ったのは5時前ぐらいだったと記憶しておりますが、「フロ・メシ・ネル」をこなして8時過ぎ就寝しました。
カラスカーで・・・、も未だの24時半起床し、旭川に向かいました。
道中で愛妻おにぎりをポットに入ったお茶で流し込み、現地の藤沼に到着したのが4時半過ぎでありました。
勿論のこと真っ暗であります。
高速インターでドッキングした道北支部の先導で放流車が同沼に到着したのが午前5時頃、早速「放流の朝」が真っ暗の中スタートしたのであります。
ここを皮切りに、石狩川が低きに下るように南を目指しました・・・。
池の前・袋地・北光公園沼・月形・北村ふれあい・レンギョ・中津湖・・・。
中津湖で残全量の約190kgを放流し、現地で業者さんへの慰労を申し上げ、放流車を見送ったのが午後1時ころだったと記憶しております。
いつものことながらこの見送りが今年の放流を何とか終えたことになるのですが、一方では事務仕事が始まるゴングが鳴った節目でもあるのであります。
関係のお役所や協賛していただいている団体に対しての報告書の提出が自身の大きな仕事であります。
この内容如何が翌年の放流に向けての営業活動でもあり、終わりにして始まりのそれなのであります。
といったことなんでありますが、例年している放流翌日の釣り場伺い(報告書に添付する写真の記録撮影)が、3連休の最終日の仕事であります。
中津湖へ向かい、北村2件の伺いを経て月形に到着したのが7時前ぐらいだったでしょうか、道中では「昨日の内に結構放流魚が釣れた」とのレンギョ沼情報もあり、同沼では釣り開始間もないようでしたが見ているうちにも竿は曲がり、「今日も」ってことと推察しました。
月形に到着し、管理人も竿を出すことにしたのですが、それというのも「かなたが来る」との情報が有ったからであります。
新べらクラブJrの最初の3人の一人であるかなた君当時は4年生でありました。
中3までの多感な時期に一緒に『へら鮒釣りとした言語』で、気持ちを通じ合った彼が、22歳の公務員になって釣り座を並べることになったのであります。
秋季大会では同ジュニアのレンが、放流翌日にはカナタが、釣り場に帰ってきてくれたのです。
新べらJrの活動は確かに終わったのですが、彼らが近くで竿を握ってくれることは、あの頃の夢中で小学生を手を掛け育て上げたたことが成果として残ったことになります。
管理人のへら鮒釣り人生においてへら鮒釣り界への貢献が万に一つあるとしたら、これだけは「ああ確かにやりました」と胸を張って申し上げることができるそれであります。
釣って釣らせて釣り勝つっての信条に・・・、「次につなげた!」これを足すことができることは感無量以外の何物でもありません。
日研の後を託すことができる人物も出て来るでしょう、北海道のへら鮒釣りが次の世代に継承されていくことを、目を細めて見届けることができる幸せを、この忙しかった3連休を振り返って今朝ほどは愛おしくさえ思わされています。
おっと、報告書関係の仕事が山積みです、本日はこの辺でのココロダー
ご協力いただきました関係各位には感謝を申し上げます。