・アステシア家
アステシア=アブスブルゴ家が正式な名前。現当主はサビーネ・パトリツィア・ルートヴィッヒ・フォン・アステシア。スペイン=ハプスブルク家を家祖とし、代々アステシア(旧アンダルシア)を統治してきた。歴史と共に王政が廃れアステシア家はアンダルシアを放棄したが、第二次連邦内戦末期にヴァイオレットがアンダルシアへと帰還したことで再びアステシア家による統治が始まった。貴族ではあったものの。初代皇帝であるディートリヒが創始したノルド家が帝室としての地位を得たことで本家のアステシア家は継承権はあれど一般人と何ら変わらない生活をしてきた。そのため、ディートリヒの死後に皇帝に推薦されたサビーネは庶民的な価値観を持った皇帝として「庶民帝」と親しみを込めて呼ばれていた。
・アステシア=アルヴィース家
アステシア王国最後の君主であるウルリッヒⅡ世の長女であるフロレンツがアルヴィース家のヴォルデマール・ゴットホルト・シュテファン・フォン・アルヴィースと結婚した。その後アステシア家が王政を放棄した際に「アステシア=アルヴィース家」と呼称したことに始まる。現帝室とのつながりも深く、サビーネ帝の母ペルタはアステシア=アルヴィース家の出身。また、各地の貴族との交流を重視することでも知られ現当主クヌートの弟であるミヒャエルの長女フレデリック(ヌエバ・タラゴナ副王。南アフリカ)はオーガスレリア王家のアーデルヘルム・ウイリアムズ王子と、長男のユリアン(ヌエバ・フランダース副王。北アフリカ)は英ウィンザー家のマーガレット・アグネスとそれぞれ結婚している。
・イサベラ家
スペイン=ハプスブルク家がスペインを統治していたころ、スヴァルケル家のスヴェン=エーリクの子ヨーン=エーリクがエリューデヴァルト家のエルヴィーラと結婚した際にスペインへと渡った。パトリックは生涯を外洋航海に注ぎ、ゴットフリッドが香辛料などの貿易に着手して多くの利益をイサベラ家とスペインへともたらし、王国は勅許会社の特権や貴族位をイサベラ家へと与えた。なおイサベラ家の勅許会社であるニーアライツ財団はニーアライツ・グローバル・コーポレーションと名前を変えて今も帝国の政財界に影響力を持ち続けている。実力至上主義的な思想と血縁を重視しており、現当主のエーレスはエレナ・ニーナの会長、元妻であるシグルドゥルの長女であるアストリッドは帝国海軍本国艦隊司令官、次女のシュルヴィアは帝国宣伝・情報宰相など多くのエリートを輩出している。
・エリューデ・ヴァルト家
旧オーストリア帝国にルーツを持つ貴族。イサベラ家のように血筋を重視するあまり血族結婚が多く行われ、体に障害を持つ者が続出した。これに危機感を持った時の家主は血族結婚を禁止し各地の名門貴族との婚姻によってエリューデ・ヴァルト家の存続に努めた。イサベラ家のエーレスの元妻であるシグルドゥルはエリューデ・ヴァルト家の出身である。
・シャホヴィニツィア家
旧シャホヴィニツィア王国(現クロアチアやボスニアあたり)の王家の生き残り。第二次世界大戦敗戦後、本土に成立した社会主義政権により大半は処刑されたものの一部はスペインへと亡命し事なきを得た。帝国の成立後、旧連邦移民(半分以上はシャホヴィニツィア出身者)の不満の解消策としてシャホヴィニツィア家のエルヴェスティアと婚約し間もなくしてジークヴァルトを生んだ。しかしディートリヒ帝の晩年にジークヴァルトが事故死、子の死に精神を病んだエルヴェスティアは海に身を投げて自殺し、シャホヴィニツィア家は断絶したとされる。
・ヴァルナ家
スペインのガリシアにて独自の領土を持っていた貴族。帝国成立後には帝国の同君連合下で統治を許されていたものの、当主カルロス・エドゥアルド・ファン・ヴァルナの死後、後を継いだカルロスⅣ世が民族問題で揺れる帝国からの離脱を一方的に宣言し、ガリシア継承戦争を引き起こした。結果的にヴァルナ家側の敗北に終わったが、領地の失うだけにとどまった。しかしサビーネ帝の即位後、賄賂問題が発覚したことで「王族狩り」に合い断絶した。