1977年に摂政を務めたイサベルが死去すると、カルロス6世はこれまでの外交政策を転換し他国との協調を目指し内乱により疲弊しつつあったバルカン諸国に接近し「地中海連邦構想」を進めた。1981年にアリカンテにて条約を締結し、地中海連邦はヨーロッパの経済圏として成立した。しかし、足並みはそろわず1985年には地中海連邦加盟国が立て続けに内戦状態となり、カルロス6世は初期こそ軍派遣を示唆したものの、在留邦人や連邦移民の受け入れのための船団護衛を目的とした限定的な派遣にとどまった。カルロス6世の弟(のちのフェリペ6世)は、これを弱腰と批判して軍はこれに便乗する形でカルロス6世に反発した。地中海連邦内戦(第二次連邦内戦)は帝国に対して多民族国家の欠点を露呈させる形となり、カルロス6世はこれまで行ってきた改革をもってしてもなお、広大な副王領・多民族・多言語・多制度国家である帝国の統治情報の非対称性・意思決定の遅延・公共政策の歪みといった問題が再発する可能性は捨てきれず、統治の新たな手法を模索することとなったがカルロス6世の治世においてそれが実現することはなかった。
1991年にカルロス6世は、持病の悪化を理由に皇帝から退位し、新たに弟(フェリペ6世)が皇帝として選出された。フェリペ6世は「1991年問題」と名付けられた統治の難題に対して、当時急速な発展を見せていたインターネットやAIなど情報産業を用いた国家管理システムの開発により解決を試みた。1995年の帝国情報統合法による帝国全土の情報統計・報告・調査を情報省へ一元化。更に国民一人一人に対してIDカードが配布され、個人情報・社会信用・行政履歴・経済活動データを結び付け管理する「国民登録番号制度」が1997年に開始された。また、制度実験として政策評価・社会モニタリングのためのAI的助言機構の試験導入を大学・研究機関・企業と連携して実施されるようになり、統治にAIを用いる仕組みが急速に形成されていった。
フェリペ6世は初期から中期にかけて旧連邦からの移民を保護し、取り込むべく旧王家の末裔と婚約して支持の獲得を狙った。しかし旧連邦寄りの政策が目立ったことで国内の反移民感情を強め、各地で迫害が激化した。エーギル危機やナバラ紛争などにおいては連邦内戦にて経験を積んだ移民が迫害を嫌って反帝国に転じて、ゲリラ戦闘で帝国軍を苦しめた結果、フェリペ6世はこれまでの方針から一転して旧連邦移民の隔離政策を進め「鮮血帝」と呼ばれるまでに国民感情は悪化した。
2022年にフェリペ6世は唐突に病死し、紆余曲折ありカルロス6世の孫にあたる長女サビーネが17歳で皇帝に即位した(イサベル1世以来約600年ぶりの女王)。