沿岸を眺める高台の上に2台の装甲車が止まっている。周囲は都市の喧騒もなく至って平和で、波が満ち引きを繰り返す音だけが耳に届いていた。
「衛星通信はまだ繋がらないのか?」
『はい、軍民共に』
装甲車の通信機は、5時間前から聞くに堪えない雑音を喚き散らしており知る限りの回線に切り替えてもそれは変わらなかった。
『こちらアゾレス分隊、本部。応答せよ。繰り返す、』
〈____…〉
「しっかしな、最後の命令…お偉いさん方は狂ったのか?正気とは思えない」
『大量発生した海洋生物の駆除…、』
「笑えるだろ?ゴジラか光の巨人でも出現したのかってな?そしたら俺らは映画序盤で蹴散らされる役かもな」
『冗談でも笑えませんよ…』
『地平線上に艦影視認。3時方向。ー…、』
海洋を監視していた隊員の一声で、隊員達は一斉に海洋の地平線上を眺める。地平線上に見えたのは島だった。
「数は?」
『いえ、…数は1?…島が…近づいてきています』
「は?……そんなわけないだろう。目の前のやつは元から…」
『いえ、地図ではこの方角に島が見えるはずがありません…。推定される大きさは2km…。』
海面は不穏だった。
風もないはずの水面が、緩やかに、しかし確実に膨らんでいく。"島"は今も"隆起"している。まるで深海から何かがゆっくりと浮上してくるかのように——そう、それは波ではない。鼓動だった。
やがて、それは音になった。重低音。海そのものがうめき声を上げるような、鈍く湿った音。魚が一斉に跳ね、逃げた。
「ばかな…!?」
最初に目にした者はそうつぶやいた。水平線の先に、薄く盛り上がった灰青色の塊。だが、それは島ではなかった。それは生物のように「動いた」。
表層が裂け、水が放物線を描いて飛び散る。その中心から、二枚の巨大な翼膜が音もなく広がった。まるで大空をゆるやかに舞うイトマキエイ——しかしそれは空ではなく、海上で。翼膜の端から端まで、異様な大きさ。皮膚は滑らかで、墨を垂らしたような黒と青のまだら模様が陽光を吸い込む。頭部は……あった。だが顔はなかった。ただ、鈍く光る二つの「凹み」が、その存在が知覚するという事実だけを突きつけていた。
海から半身を現したそれは、まるで浮いているかのように静止し、やがて、翼のようなひれをゆっくりと打ち振るった。
その瞬間、潮が反転し、風が逆巻き、島のような巨大は空へと持ち上がった。
そして、それが空を見上げたように僅かに頭をもたげたとき、空の雲が円形に裂け始めた。
まるで世界そのものが、それの通過を許容する準備を始めたかのように——。
唖然とする隊員達の視界の横から煙の線が見えた。20発を超えるミサイル、島司令部基地の方向から化け物へ向かって一直線に突き進む。
化け物は回避行動を取ることもなく空を悠々と進み、ミサイルの全てが巨体へと命中する。
爆光、更に爆発の光が次々と。
だが、次の瞬間、煙の中から浮かび上がった輪郭は、損傷していなかった。
むしろ――ミサイルの衝撃を吸収するかのように、皮膚が液体のように波打っていた。
そして、生物は静かに回頭した。
その“顔”が、ミサイル発射が向かってきた先へと向けられる。
空が割れた。
生物の額にあたる部位が、淡く脈打つ。青白い光が、まるで深海の生物の発光器官のように明滅し、やがてそれは、一点に集中して収束していった。
「な、何が起こって!?」
誰かがそう叫ぶより早く、光が溢れた。
轟音はなかった。一瞬、世界が静止した。全ての音が消え、空気すら振動を止めた。
そして、閃光だけが存在した。
それは「ビーム」と呼ぶにはあまりに異質だった。直線ではなく、微かに揺らぎ、滲み、ねじれながら前方へと突き進む純粋なエネルギーの奔流。色は青白く、縁に紫が混じり、波のように脈動していた。
閃光の先は司令部のあった場所に大きな爆発をもたらし、衝撃波が海上を走る。
生物はゆっくりとひれをたたみ、静かに沈みはじめた。
まるで、何もなかったかのように。
長い悪夢の始まりだった。