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屍辱鬼事件被害者の検視調書 2022/05/29 (日) 02:58:40

201█年 █月█日
警視庁
███司法警察官
本職は、201█年 █月█日 ██検察庁 ██検察官の指揮により、下記のとおり変死者又は変死の疑いのある死体の検視をした。

・死者の身元情報
画像1

 氏名:藤乃原流美奈(フジノハラ ルミナ)
 年齢:12歳
 性別:女性
 身長:151cm
 体重:22kg

・検視時の死体の状況
 全身に化膿した打撲痕と裂傷、重度の臓器損傷及び主要臓器の摘出跡、両眼球の破裂、脊髄・頭蓋・骨盤含む全身の骨折、精液及び膣液等の混合液の付着、重度のストレスによる脳萎縮の兆候

241

「このヘンタイ!外しなさいよこのベルト!!このバカ!クズ!」
「えぇ...嫌ですよ...外したらあなた逃げちゃうじゃないですか」

金属製の台に大の字で寝かされ、手脚をベルト状の手枷で拘束された幼い少女が、誘拐犯を睨み付けながら甲高い声で喚き、暴れ散らす。当然、そんな事で拘束は弛みはしない。

「くぅぅ...バカにして!アンタみたいな冴えないヘンタイ誘拐犯なんてすぐ警察に見つかって捕まるに決まってるわ!」
「そうですかね?これでも手際の良さと証拠の隠滅には自信があるのですが...さて、と」
「っ!!何する気!?触らないで!触らないでよ!!」

誘拐犯が「何かをしでかす」事を感じ取った少女は柔らかな肢体をくねらせ、儚げな抵抗を行う。
───それが怪物の糧とは知らず。

「あー、安心してください。"まだ"触りませんから...まずは下拵えをする必要がありますからねぇ。あー、そういえばランドセルにピアノの楽譜がありましたが、あなた...えー...最近の子は珍しい名前してるんですねぇ...るみなさん?弾けるんですか?」
「ちょっと!ルミのランドセル勝手に漁らないでよ!!弾けるからなに!?」
「もう弾けませんよ」

そういうと、拘束されて無防備な白く、繊細な、柔らかな少女の指先に
巨大な肉叩きが振り下ろされた。

「ぎ、ああああああああっ!!い゛だ゛い゛!!指が!!ルミの指が!!」

本来、食肉の繊維を引き裂き柔らかく食べやすくするためのギザギザとした打面は一撃で指の骨を砕き、赤紫色の内出血を引き起こす。

「なんで!?やだっ!!ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!!ゆるしてっ!!やめてっ!!」

突然な激痛に指と共に生意気な心まで打ち砕かれた少女な泣き叫びながら懇願する。

「やめませんが...んー、何故謝るんですか?謝る必要なんてあなたには無いですよ?だって、私は何の罪もない、可愛くて滅茶苦茶にしたいあなたを、殺す為に攫ってきたんですよ?あなたは何も悪くない。だから、どうか謝らないでください」
「は...?なに、言ってるの...?」

怪物に懇願は届かず、少女に怪物の常識は理解できず。
悍ましき行為は続行される。

「じゃあ続けますねー、取り敢えず指全部砕きましょうか」
「待って!!やだやだやだやめてやめ───ぎっ!?」

まるで食肉を調理するかのような手際の良さで少女の指が叩き潰されていく。
親指、人差し指、中指、薬指、小指が順番通りに、リズミカルに、テンポ良く使い物にならなくされていく。
かつて白と黒の鍵盤の上を優雅に踊っていた両手の指は、赤黒く腫れ、肉が裂け、血が滲み、骨が砕かれ、永遠に踊る事をやめた。

「うぅ...ぐすっ...ゆ、ゆび...ゆびが...あぁ...」

激痛、絶望、恐怖に染め上げられ涙を零す。
小生意気で気の強かった少女はもう既に死んだのだ。
だが、まだ殺し足りない。これだけでは、怪物の渇きと飢えは満たされない。

「ふぅ...いたた、これは明日筋肉痛待ったなしですね...さて次は...胸行ってみましょうか」
「ひっ!!う...あ...」

可愛らしいゴシックロリータ風の服を乱暴に剥ぎ取られ、芽生えかけの乳房が露わになる。
乳房に肉叩きが振り下ろされる。

「かひゅっ.....あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!゛!゛」

白く滑らかな乳房が赤色に染め上げられる。
何度も、何度も、何度も、肉叩きは振り下ろされ胸肉をぐしゅぐしゅに叩き潰して行く。

「おっと...胸部は叩きすぎてはいけない。長く楽しめませんから...そろそろ脚に移りましょう。胸と顔は、最期の楽しみですから...」

「あぐっ!ぐふっ!ぎぃ!」
脚が潰れた。

「あ゛ぐ゛!゛ぐ゛ぅ゛!゛ぎ゛ぃ゛!゛や゛め゛!゛い゛だ゛い゛!゛」
性器が潰れた。

「が゛、ぐ゛ひ゛ゅ゛」
顔が潰れた。

「...........」
潰れた。

240

薄暗い部屋の中で、少女は目を覚ます。もがくが、動けない。両手両脚はロープできつく縛り付けられている。見回すも窓はない。露出した肌にビニールシートが触れる。冷たい。見知らぬ地下室の床に転がされている。

「え...?ここ...どこ...?」

混乱、困惑。激しい頭痛を堪え、何があったのかを思い返す。
放課後、合唱コンクールの練習に夢中になるあまり帰りが遅くなり、陽の落ちた道を一人歩いていると突然横に車が止まって

ドアが開き
引き摺り込まれ
濡れたハンカチで口を塞がれ
一瞬のうちに

「あっ...!」

そこまで思い出してやっと少女は「自分が誘拐された」という事実に辿り着いた。
此処は何処なのか、なぜ犯人は自分を誘拐したのか、分からないことだらけの状況に不安と恐怖だけが降り積もる。

(こわいよ...これからどうなるの...?おとうさん...)

そう思った矢先、ドアが開く音、次いで何者かが階段を降りてくる音が地下に響く。
自分を誘拐した犯人がやって来たのだ。

(やだ...やだっ!こないで...こないでっ!!)

暴れもがいても拘束は弛まない。逃げ出し、叫び出したくも目に涙を浮かべ震える事しかできずに、犯人が姿を現す。

「おや...もう起きていたのですか。あー、落ち着いてください。暴れると縄が肌に食い込みますから」

少女の前に現れたのは黒い眼鏡を掛けた、自分の父親とそう変わらぬ年齢に見える何処にでも居そうな中年男性であった。
残虐で血も涙もない誘拐犯を想像して怯えていた少女は、イメージの違いにぽかんとした表情を浮かべることしか出来ない。

「あ、あの...おじさんがわたしを誘拐した人ですか?」
「誘拐?あぁ、んー..... はい。おじさんがあなたを誘拐した人ですよ。ところで、あなたのお名前は?」
「.....鈴華志保です」
「志保さんですか...いい名前ですね。それに、声がいいですねぇ.....好きですよその声、音楽の授業とかでいつも褒められてるでしょう?きっと」

誘拐犯とその被害者の会話とは思えない、のんびりとした雑談が繰り広げられる中、ややリラックスしてしまった志保は核心に迫る質問を投げかける。

「...あの、おじさんはどうして私を誘拐したんですか?わたしの家はお金持ちじゃないですよ?」
「何故誘拐したか、ですか?あぁ理由は大事ですからねぇ...まず髪がいい。短めでよく纏まった綺麗な茶髪、いいですねぇ好みです。声も良い、鈴を鳴らした様な声というのは志保さんの様な声を言うのでしょうねぇ、実に美しく、可愛らしい」
「えっ...えっ...あ、ありがとうございます...?」

自分を攫った理由を聞いたのに、帰ってきた答えは自分を褒め称える言葉ばかり。危機感の薄い志保はストレートな賞賛に相手が誘拐犯である事も忘れ、照れてしまう。

「実に可愛らしくて...とても、とても...無茶苦茶に引き裂きたくなる」

そう言うや否や、誘拐犯は隠し持っていた研ぎ澄まされたナイフを志保の喉に突き立てた。

「あぐっ!?ぎ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!?」

喉に走る激痛。絶叫が溢れ出し、響き渡る。身を捩らせ意味不明な叫び声を上げるたびに、振動に併せて突き刺さったナイフがまるで生きているかの様にびくびくと動き震える。
意外にも出血量は少ない。声帯と頸動脈を避けてナイフを刺したからだ。首を壊す時は注意しないと直ぐに死ぬという殺人鬼の経験による、精密な一撃。

「あぁ...ははは、いい声ですよぉ志保さぁん!!」

本性を表した怪物は下腹部を曝け出し、いきり勃った性器を露出させ、それを悶え苦しむ少女の股に...挿入しない。
怪物は少女の儚く小さな胸にのし掛かるとナイフを引き抜き、傷口に指を突っ込むと"丁度いいサイズ"まで無理矢理広げる。
そして

「あが...かひゅ...んぅ!?あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛い゛だ゛い゛い゛だ゛い゛い゛だ゛い゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」

志保の喉の傷を性器に見立て、陵辱行為を開始した。友達から羨ましがられ、いつも両親に褒められた美声の源泉に付けられた痛々しい傷口を無遠慮に怪物の怒張がぐちゃぐちゃと蹂躙していく。
声にならない声を捻り出し、目を見開いて涙を流すのもまるで気にせず、寧ろ声帯の震えは更なる快楽を齎し、涙は潤滑液となり、猛り狂う怪物は喉に腰を打ち付けまくり、どくどくと精を零した。

「ぎぃ...がひゅ...ごほっ、げほっ...」

志保の口から泡立った大量のピンク色の液体が吐き出される。血液と唾液と精液の混合物だ。

「ふぅ...いやはや本当に綺麗な声だ...きっと志保さんは将来有名な歌手にでもなれたんでしょうねぇ...」

怪物は、笑う。喜びだけに満ちた顔で、笑う。
悍ましき宴は一晩中続き、後には四肢を引き裂かれ、喉を粉砕された物言わぬ屍体だけが残った。

239
この娘を探しています 2022/05/27 (金) 04:40:19 修正

画像1

本件は調査中の事件被害者の身元情報です(画像はご家族の許可を得て添付)。

名前:鈴華志保(スズカ シホ)
性別:女性
不明当時の年齢:11歳
不明当時の学年:小学5年生
身長:142cm

警視庁ホームページ『行方不明者詳細情報』より

(該当者発見により、現在は非公開。ご協力ありがとうございました)

36

**レア度☆4

**基本ステータス
|center:|center:|center:|c
|~能力値|初期値|最大値|
|HP|||
|ATK|||
|COST|12|12|

**所有カード
|center:|center:|center:|c
|~Buster|Quick|Arts|
|1|2|2|

**使用スキル
|center:|center:||c
|~スキル名|継続|center:効果|
|孵化する悪夢 [A]|3|敵全体に恐怖状態(発動確率:40%)を付与(1回)|
|^|3|敵全体に「自身がやられた、または後衛に移動する時、自身を除く味方全体に恐怖状態(発動確率:50%)を付与(1回・3T)する状態」を付与|
|^|3|自身に確率(70%)で回避する状態を付与|
|対文明 [C]|-|敵全体の必中状態を解除|
|^|3|敵全体のスター発生率をダウン(30%)|
|^|3|自身に〔機械〕特攻状態(50%)を付与|
|因果消失(異) [A+]|3|敵単体にオーダーチェンジ不能状態を付与|
|^|3|敵単体の自身を除く味方への強化成功率を大ダウン(100%)|
|^|3|敵単体の自身を除く味方からの被強化成功率を大ダウン(100%)|

**パッシブスキル
|center:||c
|~スキル名|center:効果|
|正体不明 [C]|自身のクラス相性の有利不利を打ち消す(解除不能)|
|^|自身に宝具封印状態を付与(解除不能)|
|未知の怪物 [EX]|自身の弱体耐性をアップ(100%・解除不能)|
|単独漂流 [EX]|<宝具使用後に付与される>|
|^|自身のクリティカル威力をアップ(12%・解除不能)|
|^|自身のクリティカル攻撃耐性をアップ(12%・解除不能)|
|^|自身に即死無効状態を付与(解除不能)|

**宝具
|center:|center:|center:|center:|c
|~宝具名|ランク|種類|種別|
|&sup(){〔行方不明〕}&align(center){消息、異境の暗澹に逝きて}|C++|Quick|対領域宝具|
|>|>|>|敵全体の回避状態を解除&やや強力な攻撃+敵単体(ランダム)に確率(60%)で〔神隠し〕状態((パーティから消失する特殊な弱体状態。効果終了後は後衛の最後尾に復活する))を付与(5T)&付与成功時、その敵以外の敵全体に恐怖状態(発動確率:50%)を付与(1回・5T)|
 
虚空恐怖症提出です
便宜上レアリティやコマンドカード、基本ステータスがありますがエネミー専用なので消したり書き換えて良いと思います
ストレンジャーのクラス相性はこちらでは決められませんでした
そちらが提示した強化成功率ダウンやオダチェン不能の他、複数の恐怖状態や確率回避などの面倒な効果を使って面倒なバトルを仕掛ける性能にしています
スキルのCTはエネミー用なので消しました 1ターンに同じスキルを複数回使うことはないでしょうが毎ターン使うことはあるかもしれないです
特定条件で発動するなどはそちらで設定をお願いします
エネミー専用という特殊形式なので分からない点や追加したい点がありましたら相談に乗ります

|(スキル名)|自身の「正体不明 [C]」「未知の怪物 [EX]」を解除|
|^|自身に「単独漂流 [EX]」を付与|
|^|自身の弱体状態を解除|
|^|自身のチャージを最大まで増やす|

7

ディードのイメージソングをリクエストします

238
剣道少女と片付け 2022/05/22 (日) 20:43:11

甘い期待感みたいなものは一瞬で吹き飛んでいった。
真ん中高めに浮いた半速球は見事にバックスクリーンまで一直線にかっ飛んでいった。かっきーんと。

「なんですかこれは!」
「なにって、私の部屋ですけれども………?」
「ぐちゃぐちゃだー!」

私の背後にいるクエロさんがさも不思議そうに返事をするのが逆に不思議でならない。
クエロさんの私室は端的に言って無秩序によって支配されていた。
部屋にはこれといって個人を象徴するような装飾はない。
まあ、クエロさんはこの聖杯戦争に合わせてやってきたピンチヒッターという話だからそれはそんなものだろう。
しかしある意味で実にこの部屋に住む個人らしい彩りになっていた。
下着や肌着、箪笥の上に放りっぱなし。洗って干したままなのだろう。畳んですらいない。
修道服も右に同じ。広げられて椅子に引っ掛けられているせいでどうにか皺になっていないのが奇跡だった。
本は床に積まれている。というか、そのうちの数冊は床に散らばってさえいる。
極めつけは、こちらにやってきた時のものであろうトランクケースが開けっ放しで転がっていた。
中にはまだ取り出されていない物や取り出されたのにそのままぽいっとトランクケースに放られた物が山を作っている。
まだ洗濯物やゴミが床に散乱していないのがマシだ。そんなひどい有様だった。

「クエロさん! 片付けようとか思わないんですかこれ!」
「ほわぁ………?」

ほわぁじゃないです。そんなぽかんとした顔をしても駄目です。
どうも彼女に会ってからきちんとしたところしか見てこなかったせいでクエロさんに対して完璧な人という印象が私の中にあった。
そんな像がガラガラと音を立てて崩れていく。こうして思い返してみると確かに予兆はあった。
洗濯物の籠に昨日の洗濯物が入れっぱなしになっていたりとか。干したものが夜になっても仕舞われてなかったりとか。
食事に関してはいつも美味しいものを作るのですっかり騙されていた。

「仮に私がこんなふうにしているところをお母さんに見られたら………見られたら………怖いですよ!」
「怖いんですか」

そうです。怖いのです。
思わず身の毛がよだつ。ここにきて母の顔が鮮明に思い出された。
母は全く怒った顔を浮かべない人だったが、同時に怒りん坊だ。母が怒った時の恐ろしさは父の比ではない。
私が部屋をこんなふうにしているのが見つかった暁には「こちらに来なさい梓希さん」と呼ばれてお説教が始まってしまう。
そうして淡々と諭されることのまぁ怖いことと言ったら。ちなみに父にも似た感じで怒る。あのいかめしい父がそんな母の前では尻尾を丸めている。
それを思い返しているだけで私はいてもたってもいられなくなった。駄目だ。我慢できない。

「クエロさん! 片付けをしますけれどいいですね!?」
「え?はぁ、まぁ、はぁい」

クエロさんがぼんやりと頷くのに合わせて部屋に突入する。ちなみに駄目だと言われても説き伏せて実行していた。
修道服はクローゼットへ。本を本棚の空いたところに詰め込み、下着類を箪笥に収納していく。
下着はどれもレースがあしらわれた大人っぽいデザインだった。先程までの私ならちょっとドキドキしながら手に取っただろうが、今の整理整頓の鬼となった私には通用しない。
箪笥の上で小山になっているそれらを解体した後はトランクケースだ。
ちょこまかと動き回る私を見ているだけだったクエロさんの腕を引っ張ってトランクケースの前に座らせた。

「荷解き! しましょう!」
「えー………でもぉー………別にこのままでも大丈夫じゃないですか~………?」
「よくありません! ちゃんと整理しないといざという時にどこにあったか分からなくなっちゃいますよ!」

そうですかねー、そうかもしれませんけどー、と曖昧なことを言うクエロさん。
分かってしまった。すぐ気付けなかった自分の愚かさに私は歯噛みした。
この人は自分ではちゃんとしているつもりだけれど本当は全然そんなことなくて、周りから見たらお世話が必要な人なんだ………!

「なんですかこの瓶、ケースの隅に入ってましたけど」
「あー、それ応急処置用の薬瓶ですね~。というかそんなところにあったんですね~」
「ほらやっぱり!」

このトランクケースのどこに入っていたんだと思わせる量の物品の仕分けに結局小一時間は費やすことになってしまったのだった。

237
剣道少女と稽古 2/2 2022/05/22 (日) 00:37:32

「っ………!」

手が痺れる。そう思ってすぐに違和感に気づいた。“手が痺れる?”
もう私は剣道において初心者ではない。竹刀を受け損ねたとしても手が痺れるようなことはない。そういうのは握り方の甘い間だけのことだ。
それがクエロさんの打ち込みはまるで鉄塊でも受け止めたかのようだった。
単純に力任せに叩き込まれたのではない。まったく正体が判別できないが、このたった一瞬で知らない身体の動かし方をされた。
竹刀を取り落としそうになるが、膝を割って後ろに倒れ込むようにたたらを踏み必死に堪える。
すぐ戻せ、すぐ構えろ。地面に足を縫い付けるようにして留まり、再び竹刀を握り直して構えた。
一瞬の攻防の中でこの人の剣気のようなものが微かに見えた。夜の帳で何もないように隠しているが、一枚捲ればそこには剣呑な凶器がずらりと並んでいる。
今牙を剥いたのはその内のたった一本。そしてすぐにそれは仕舞われ、クエロさんは再び凪いだ湖面のような静かな正眼の構えに戻っていた。

「はッ、はッ、はッ………、はは、は………っ!」

一気に乱れた呼吸を整えようとするのだが、それよりもさきに笑いがこみ上げてしまった。
強い。知ってはいたけれど、分かってはいたけれど、この人は物凄く強い。私が出会ってきた人たちの中で一番強い!
どきどきと胸が弾む。初恋のように気分が高揚する。心地よい絶望感に唇が弧を描く。
駄目だ。今の私ではどんな手を打っても勝てる気がしない。一番得意な剣道でさえ歯が立たない。道大会を優勝したくらいで少しは上達した気になっていた自分が馬鹿みたいだ。
道に果てがないことの証左を前にして、私は自分でもびっくりするほど心を踊らせていた。
と、隙なく構えを取っていたクエロさんがふと緩めて剣を降ろした。
ほんのりと首を傾げながら微笑む。水面に張った薄氷を割るような、くっきりとした感触を覚えるあの笑みだった。

「素晴らしいですね。センスだけなら私よりも上です。あなたは剣に愛されている」
「そ、そうですか?でも今だって完全に押し込まれちゃって………」
「ですが剣を落とさなかった。並々ならぬことです。私とは積んだ時間の差があるだけ。あなたは良い剣士になれます」

はっきりとそう言われると面映ゆい。つい頬が紅潮してしまう。
何を褒められるよりも剣の腕を褒められるのが一番嬉しい。どんなことよりも心血を注いでいればこそだ。
クエロさんに稽古をお願いしてみてよかった。たぶん私は今、普通に全国大会に出場していたのとは違う種の濃密な経験値を稼いでいる。
強くなりたい。もっと、もっと。いろいろ理由はあった気がしたが全部忘れた。ただ、強くなりたい。
この人が修練でもって丹念に一本ずつ磨き上げただろう技のひとつひとつを手にとって、見て、自分のものにしたい。
もっと知りたい。もっと触れたい。この人のことを。この人の強さを。この人の心を。もっと。もっと。
クエロさんが構え直す。応じて私も降ろしていた竹刀の切っ先を再び眼前に備えた。
剣の向こうでクエロさんが微笑んでいる。それがどこか楽しげだったのは気のせいだろうか。分からない。

「もう少し続けましょうか。私も少し気が乗ってきました」
「はいっ!」

そして始まる間合いの調節。今度は影がついてくるように気配のない足取りで踏み込んできたクエロさんの袈裟斬りを必死で身を捩りながら回避しなければならなかった。
軽く数手、と言っていた打ち合いは気がつけば1時間以上経っていた。
終わってみれば私は全身汗だくだったのにクエロさんは冷や汗ひとつかいていなかったのが癪ではあったかな。

236
剣道少女と稽古 1/2 2022/05/22 (日) 00:37:25

不思議だ。
クエロさんには好意を持っている。優しいだけの人ではないけれどきちんと温かみを持った人だ。
いや、微妙なぎこちなさを鑑みると『持とうと努力している』というのが適切な感じがする。
ともあれ私へ気遣ってくれているのは確かで、それに対して感謝や憧れといった複雑な感情を持っているのも間違いない。
それでも、こうして竹刀を握って相対すると浮かんでくる気持ちはひとつだ。
───倒す。目の前の相手を斬る。
たったひとつのことに純化していく感覚が気持ち良い。自分でも目が据わっていくのが分かる。
小さく、長く、深く、息を吐き出す。一緒に余分なものが抜けていく。鋭く研ぎ澄まされていく。
すごくいい感じだ。周囲の音が消えて、代わりに真っ赤な鉄を打つ音を幻に聞く。強い対戦相手を前にした時に自然と高まっていく己の集中を悟った。
教会の裏庭。目の前にはクエロさんがいる。私が貸した竹刀を握っている。
ぴたりと正眼に切っ先を置いたその構えに癖のようなものは感じられない。
無色透明。それは誰にでもできる構えだからこそ、易くは誰にもできない構え。人は構えひとつとっても癖が出る生き物だからだ。

力みもなく、だからリズムも読みにくい。仕掛けるタイミングが掴めない。
そういう時は相手の目を見ろと師範に教えられていた。覗き込む。深い虚のような、どこを見ているのか分からない瞳が出迎える。
竹刀を握っていなかったら、その目を見て怖いと思っていたかもしれない。
でも今は違う。剣の呼吸を聞いている。どうしてか、その目と見つめ合ってとても安心した。理由はすぐに思い当たった。
そうか。わざわざ私と同じところで付き合ってくれるのか。
構えに色はない。この人の剣のこの人らしさを知りたい。小手調べに踏み出した足を僅かに前へにじり寄せた。

「───」

途端、クエロさんの影が微かに淀む。小石のひとつやふたつ分、足の裏を滑らせて後ろに退いた。
ミリ単位の間合い調節。クエロさんは柔らかく膝を矯めてこちらを待ち構えている。
もう少し踏み込めるかと進ませかけた爪先が安全弁に引っかかったように止まった。
直感が走る。もう数ミリも踏み込めばクエロさんは待ちの姿勢から即座に攻めへ切り替えてくる。
間違いない。ここが私から攻め込める距離の分水嶺だ。そうと分かればいつまでも睨み合う必要はない。
相変わらず拍子は読めない。ならこちらから乱す………!

「えぁッッ」

空気を撓ませたのは裂帛の気合。
腹の底から弾けさせた叫び声と共に私は予兆なく肉薄した。
クエロさんの脳天めがけて拝み打ちを放り込む。必要最低限の力感で。
躱されれば更に踏み込む。受けられれば手元が上がって空いた首から下を攻める。
面打ちは剣道を始めれば最初に習う攻めであり、全ての基本となる一手。そして基本とは一番強いから基本なのだ。
対して、クエロさんは僅かに切っ先を揺らめかせた。
降り落ちる私の竹刀の横からまるでそっと指先で払い除けるように竹刀が添えられ、横にそらされる。
手元は上がらなかった。擦りあった竹刀が鍔のあたりでがちりと食い込んだ。踏み込んだ私と退かなかったクエロさんで竹刀を交わしあい、距離が密着した。
さっきまで間合いを挟んで見えていた目が至近距離にあった。その眼差しは先程と変わらずまるで揺らがない。
ぞろりと歯を尖らせた心が獰猛に笑う。その顔色を変えさせてやると。
首元へねじ込むようにして竹刀を斜めに押し込んだ。膂力だけではなく自分の体重全部を使って崩しに行く。
竹刀を絡めていたクエロさんが半歩下がる。リズムを読んでこちらも僅かに下がる。空間が開いた。瞬間、押した竹刀をそのまま降ろして面を取りに行く、と見せかける。
その切っ先を寸前で素早く引いた。すぐに最小限の矯めを作る。身体を開きながら素早く胴を打ちに行った。
崩しからの引き面をフェイントにした引き胴。自信を持って打った技だったが、敵もさるもの。
まるで面打ちの打ち気の無さを分かっていたように私の横薙ぎの一閃が払いのけられる。けれどまだだ。攻めろっ!
宙に浮いたクエロさんの竹刀を振り払うように斬りつけて前に出ようとした、その時だった。
打ち払おうとした竹刀が幻のように私の竹刀をすり抜けた。予想外の出来事に頭の中でアラートが点滅する。
何が起きた?刹那の間に把握した。竹刀の重みに任せて切っ先を沈めたんだ。虚空を打った竹刀が死に体になる。
戻せばまだ間に合う!勘によって動作を途中で止めた分復帰も早かった。
表へ戻した竹刀が迎え撃ったのは、竹刀を肩へ担ぐように振りかぶったクエロさんの激烈な打ち込みだった。

35

仮称:虚空恐怖症
☆4、B1A2Q2、クラススキルは『単独漂流:EX』、『正体不明:C』、『未知の怪物:EX』
保有スキルは『孵化する悪夢:A』、『対文明:C』、『因果消失(異):A+』
宝具は全体クイック『消息、異境の暗澹に逝きて』
エネミー専用。宝具はダメージこそ控え目ですが強化成功率ダウンやオーダーチェンジ不能など面倒なデバフを撒いて消耗戦を強制するイメージです。

6
「」ゲミヤ 2022/05/20 (金) 15:01:57 修正

ドラキュリア喪失帯
暁Records / BloodDark -紅霧異変譚-
他薦です
世界観にかなりベストマッチかな?と思いました

235
剣道少女とやきとり 2022/05/19 (木) 00:57:27

「むっ、焼き鳥ですか。美味しいんですよねえ、私は塩で食べようかな!」

串カツ屋での一幕。
次々と熟れた手付きで串打ちを続けるクエロさんが差し出したのは、豚バラ肉と玉ネギを交互に刺したもの。
“やきとり”だ。揚げ物ばかりでは飽きが来るということで、ここで一本シンプルな焼き串を用意してくれたのだろう。
肉であることに変わりはなく、箸休めと分類するには些か重たいものであれど、今の私は何だって食べる。
それに豚肉は好物だ。特に塩胡椒で焼いたこの“やきとり”は、子供の頃から食べ馴染んだメニューの一つである。

うん、美味しい。この大阪であっても変わらぬ味わいに思わず頬を綻ばせる。
熱い内に食べ進め、最後に残ったブロックを器用に食べ……そこで、クエロさんが驚いたような表情を浮かべていることに気がついた。

「……焼き鳥?」

それは純粋な驚きの表情。
困惑というよりは認識の齟齬、理解のための“間”が生じているような逡巡の思考。
まるでコンピューターがデータ処理に手間取って生まれたシークタイムのような、奇妙な空白が生まれていた。
……クエロさんのこんな表情、初めて見たかも。

えっ、でも“やきとり”だよね。
私は生まれてこの方、これを“やきとり”だと信じて疑わずに生きてきた。
パパもこれが“やきとり”だと言って食べていた。ママも、そんなパパの言葉を信じて“やきとり”と呼んでいた。
同級生も、先生も、それどころか道すがらの居酒屋に掛けられた看板にだって“やきとり”としてこの串の写真が載せられていた。
だからこれが“やきとり”でしょ?そうだよね。……なんか、クエロさんに驚かれると自分が間違っているのかと疑いたくなる。

後日。改めてその名称の違和感を確かめるため図書館に出向いたところ。
豚串を“やきとり”と呼ぶのは北海道独特の文化で、それも一部地域に限られたものであるらしい。
…………思いがけぬカルチャーショックに気を失いかけた。そうなんだ、“やきとり”って……焼き鳥じゃなかったんだ。

5
「」ゲミヤ(イメソン) 2022/05/18 (水) 23:24:48 >> 3

勿論できます。
泥へのリンクと簡単な解説があれば分かりやすいでしょう

4

機神ガイア
『ENDER_LILIES: Quietus_of_the_Knights』/Mother - Intro
他薦
ラスボスBGM、デザインが花繋がり
何よりも我が子らを愛したが、本人は望んでいなかったにも関わらず我が子らと敵対せざるを得なかった。

3

スレで出ていましたがこの泥に合うイメージソングを探して欲しいみたいな使い方はできますか?

2
「」ゲミヤ 2022/05/18 (水) 22:08:57 修正

異聞新秩序侵襲
初音ミク《ハチ》 / 砂の惑星
他薦
『戸惑い憂い怒り狂い たどり着いた祈り』
『君の心死なずいるなら 応答せよ早急に』
叫んでくれ、我らの新世界を君が否定するなら。
教えてくれ、君達の世界は間違っていないのだと。

1

日向ココノ
PLEASURE/華原朋美
他薦
とにかく明るい曲調、コンセプト元との一致、歌詞も所々合ってると思う

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剣道少女と落下② 2022/05/18 (水) 20:54:58

じゃらじゃらとアパートの屋上に鳴り響く、鎖の巻き取られていく音。
終端に至ってばちんと腕と腕が接合した瞬間、「ぐえっ」と苦悶の悲鳴が上がった。
床に投げ出された人影は蹲ってげほげほと咳き込んでいたが、やがて猛然と首をもたげてクエロさんを睨みつけ………。

「い、いきなりなにすっ………ぎゃあ!?代行者!?」

………睨みつけたのだが、じろりと睨み返したクエロさんを見た途端に顔色を変える。
以前クエロさんが魔術師と教会の人間は基本的に反目する仲と言っていたのが伝わってくる反応だった。
四つん這いで地上を見ていた私はそんなふたりの間ににじり寄り割って入った。空気を読んだわけではない。というかとてもそれどころではない。

「黒野さん、怪我はありませんか!?」
「え、アズキちゃ、じゃなかったアズキさんどうしてここに」

へたり込んだままの黒野さんの正面で彼女の身体を急いで確かめる。
………良かった。スーツ姿のどこにも目立った傷はない。露出している少し浅黒い肌も煤がちょっとこびりついている程度だ。
爆発によってまるでゴム毬みたいに勢いよく吹き飛ばされていたように見えたのだけれどどうやら何らかの防御を行っていたようだった。
目を白黒とさせる黒野さんの手を取って私は語りかけた。

「私がお願いしたんです、黒野さんを助けて欲しいって」

喉まで出かけた言葉を飲み込んだような表情で黒野さんは私を見て、それからクエロさんを見上げる。
私には向けたことのないような冷たい目線でクエロさんは応じながら鼻を鳴らした。

「聖杯戦争の参加者であろうとなかろうと、魔術師などいくらお亡くなりになっても一向に構わないのですが。
 ですが、まぁ。彼女はあなたがマスターではないと保証しましたし、ならば監督役として保護の義務が一応無くもない気がしますので」
「………礼は言いませんよ。私は巻き込まれた被害者というわけではありませんし、私ひとりでも逃げ切ることは可能でした」
「あはー。防御用の礼装を贅沢に使っておいて余裕ですねー。このままここから投げ落としてもいいんですよぉ?」

火花が散っていそうな遣り取りに私がおろおろしかけた頃、再び轟音が耳をつんざくように迸る。
足場にしているアパートがずしりと揺れる。5階建ての屋上にいるのに眼前の虚空を火の粉が舐めていった。
サーヴァント同士の激突がかくも恐ろしいものだということは既知であっても身を竦ませる。
冷静な態度でその余波を観察していたクエロさんは目を細めながら呟いた。

「監督役が彼らの戦いに故なく干渉するわけにもいきませんから早急に立ち退いたほうが良いですね。では仕方ありません」

その台詞の気色を耳にした私の頭の中で警告音が鳴る。メーデーメーデー。凄い既視感。今からろくでもないことが起きる。
だがそれに反応するよりも早く、クエロさんは有無を言わせない剛力で座ったままの私と黒野さんを腋に抱え込んだ。
そのまま屋上の縁に足をかける。私のげっそりとした気持ちを人に伝えられないのが残念だ。

「ちょ、やめっ、何しようとして…待って、本気!?」
「ああ、嫌だなぁ………辛いなぁ………寿命が縮むなぁ…」

荷物のように抱えられて顔を青褪めさせる黒野さん、諦念からもう微笑むしかない私。
「黙っててください舌を噛みますよ」と仏頂面であっさり言ったクエロさんは次の瞬間には縁を蹴り、屋上から飛び降りた。

「きゃぁぁぁああああっ!?」
「ひゃぁぁぁああああっ!?」

重力から解放された体内の内臓が浮き上がるこの感じ。みるみるうちに地面が近づく恐怖。
うっかり漏らさなかった私のことを私は心の底から褒めてあげたいと思った。

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なぞのそしきの ニナ=N/Aの処遇について 2022/05/18 (水) 19:12:38

「ご主人様、アトラス院より催促状が届きました。
 『速やかに組織内で匿っている番外七大兵器をアトラス院に引き渡す事を要求する』、とのことです」
『…分かった。ご苦労』
とある都市の高層ビルの最上階、都市全域が見渡せる一室。
窓の傍に立つノイズ塗れの存在…BOSSは、クレピタンから受け取ったなぞのそしき宛の手紙を読み終えると、何時ものようにふっと笑った。
『今は何もしなくていい。いや、手出しは厳禁と皆に伝えておいてくれ』
「…よろしいのですか?ご主人様が望むのであれば、わたくしの力を、」
『いいんだ』
心配そうな眼差しを向けるクレピタンの肩に優しく手を置くBOSS。
『君の力を疑ってはいない。…だが、奴らアトラス院の技術力も決して侮れるものではない。
 私は組織の長、君たちの命を預かる者として、君たちの安全をできる限り保証する義務がある。
 …何、安心してくれ。こちらには取って置きの切り札がある』
そう言ってBOSSは懐(本当にそこが懐かは分からないが)から取り出したのは、
凛々しく立ちながらも可愛らしい表情をした少尉の写真だった。
「…ご主人様、その…」
『おっと、間違えた。こっちだったか』
写真を仕舞い、改めて懐から出したのは一枚の用紙だった。
「それは、確か…」
『アトラスの契約書だ。私の噂にあるだろう?あれは、真実だったということだ』
割と隠していた方の秘密だったのだがな、と言いながらBOSSはその契約書を懐に仕舞う。
『もしもあちらが実力行使を図るようであれば、これを使えば交渉ぐらいはできるだろう』
「アトラスの契約書は、確か世界に7枚しかない物の筈。それをご主人様は、一員を守るために…」
『当然だ。ニナだけではない。皆、我が組織には決して欠かせぬ人材だからな。
 そして当然、君もまたその1人だ』
クレピタンに顔を向けるBOSS。
『何かあれば遠慮せず言うといい。君の働きは、私にそうさせるだけの価値があるのだから』
ノイズ塗れでその表情は見えない。
だがクレピタンの瞳には、BOSSの雄々しき眼差しが視えていた。

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剣道少女と図書室 2022/05/17 (火) 20:05:25

胸が迫る。比喩表現でなく、目の前に胸が迫る。
眼鏡のレンズ越しに、視界の全てを覆い尽くすほどの胸が門前に迫る。
これほどの距離となれば大きさなど些細なものだ。いや、それにしても大きい方ではあると思うけど。
不意に現れたそれを見て思わず呼吸が止まり────同時に、突沸を起こしたように心臓が跳ねる。

丘。双丘が唐突に目の前に現れた。
修道服というのは基本的に露出も無く、黒一色ということもあって起伏も目立ちにくい服装である。
クエロさんの……スタイルすらも包み込み抑え込んでしまうほど、修道服というものが秘める「清楚」の力は強い。
だが、今。目の前に迫る双丘は普段意識してこなかった「起伏」を明らかにして、「清楚」の力を刃に変えた。
向かい合い、胸が門前に突き出される。その一瞬だけで私の思考回路は……弾け飛ぶ寸前であった。

辛うじて理性を保っていられたのは、直前まで呼んでいた本のおかげであろう。
司馬遼太郎著「北斗の人」。北辰一刀流の開祖を主役とする作品で、物語中にて説かれた剣理の大宗がこの理性を救ってくれた。

「……どうかしましたか?」

「え、えっと……その、なんでもない……です」

それでも僅かに赤みを帯びる頬を本で隠し、そそくさとその場を立ち去る。
“それ剣は瞬速、心・気・力の一致なり”。一瞬の隙の中であれだけ心を乱されているようでは、私もまだまだだ。
心を鍛えなければ。何事にも平時で臨む鉄の精神を宿さねば。ぱんぱんと邪念を払うように、頬を叩いて自室へと戻る。
 
……それにしてもあの起伏。私もいつか、あれくらいのサイズ感を得られるのだろうか。

231
剣道少女と串揚げ 2/2 2022/05/17 (火) 17:49:31

“私、剣道の大会が終わった後は大阪グルメを食べ尽くそうって話をしていたんです、友達と。………紅生姜の串揚げ、食べてみたかったな”

共に無人の街を歩く最中、出しっぱなしで風に揺れる暖簾を見てふと呟いたのだ。言えばクエロさんがこんなふうにしてくれるかも、なんて欠片も思っていなかった。
現在の選択を後悔しているわけではないけれど、それはそれで本来ならばあり得た未来を空想してつい口にしただけだった。
返しの言葉が『食べればいいじゃないですか』で、こうしてこのようなことになっているわけだけれども。
それでも想像をする。もし聖杯戦争なんて起きず、私は剣道大会を終え、友人と共に束の間の大阪観光をしていたならば。
優勝していたならば祝勝会だったろうし、敗退していたなら残念会。それでもきっと友達たちと一緒にお腹がはち切れそうになるまで大阪名物を詰め込んで、そして帰りの飛行機に乗っていた。
きっと大はしゃぎだったろう。きっと美味しかったろう。きっと楽しかったろう。そうやって日常に戻っていったろう。
私は日常の裏に潜む非日常のことなど露ほども知らず、再び剣道に打ち込む日々を送り、高校生に進学しても相変わらず剣道を修めて、そして………。
当たり前の日常にずっと心地よく微睡んでいたはずだ。そんな感傷をあの暖簾を見た時に覚えた。
………不意に目の前の皿へ揚げ串が差し出されて我に返った。
串に刺さって揚げられていたものは私がこれまで口にしたものとは違うものだ。纏った黄金色の衣の奥で微かに赤色を帯びていた。
クエロさんを見つめる。彼女はあの特徴的な薄っぺらい微笑みで、どこかはにかむような調子で言った。

「見つけるのが遅れてすみません。紅生姜というのは私には馴染みがなくて。お漬物を揚げるという発想に思い至るまで時間がかかってしまいました」
「───。………いただきます」

串を手にとって口にした。さくりと解ける衣の感触。ぴりりと舌先を刺激する生姜の優しい刺激。梅酢がもたらす日本人が慣れ親しんだ酸っぱさ。
揚げ物なのに油っこさなんてまるで感じない、とても軽やかであっさりとした味。食べるだけで口の中がすっきりとしてくる。
いいや。正直に言おう。名物と聞いて期待したほど美味しくはなかった。決して不味くはなかったけれど、十分美味しかったけれど、なるほどこういうものか。そう納得する程度の味ではあった。
これが年齢を重ねて油がキツくなった頃に食べればまた違う感想があるのかもしれない。プロが揚げればこの程度ではない、更に信じられないくらい美味しいものかもしれない。
だがまだ14歳の私からすればこれでもかというほど脂っこいものでも美味しく感じられる。
だから物足りなさみたいなものを覚えたかといえばそれはそうであり───そして、それらを圧倒的に凌駕する形で満足感が私の心に押し寄せていた。

つい微笑んでしまう───気遣ってくれたんだ。私のことを。クエロさんなりに。
この人は人の気持ちを慮ることについては不得意だ。いや、鈍感と言ってもいい。それはこうして共に同じ時間を過ごすようになってきて分かるようになったことだった。
型にはまった定型的な感情の遣り取りならば無難にこなせるが、より個人的で複雑なものになると判断が及ばない。横にいた私がフォローすることがあったくらいだ。
以前その理由をクエロさんは少しだけ話してくれた。
“───私は感情過多の反対、感情過小なんです。喜、怒、哀、楽。当たり前に人が感じるそれを当たり前に感じることができない───”
その時の申し訳無さそうなクエロさんを見た時の感情は、不思議と憤りだった。
どうしてあなたのような凛とした人が、そんなことでさも悪いことでもしたかのようにびくびくと怯えているんです。ちょっとくらい人の気持ちが分からないのが何だっていうんです。
私だって剣道部の後輩と意思疎通が上手く取れず悩むくらいそれは普通のことなのに、そんなことで───そんなことで、そんな辛そうな顔をしないで欲しい。
だから、そんなクエロさんがきっと彼女なりに一生懸命考えて私のことを気遣ってくれたこと自体が、びっくりするほど嬉しかった。
そこには気遣い上手では与えることの出来ない、不器用な人の不器用な気持ちがあったから。
彼女が揚げてくれた紅生姜の串揚げを、最後の一欠片を嚥下するまでじっくりと私は味わった。飲み込んでからクエロさんをカウンター席からじっと見つめて言った。

「美味しかったです。ありがとうございます」
「そうですか。まあ、そういうことでしたら。お粗末様です」

正面から礼を言ってもクエロさんは何も変わらない。次の分の串揚げの用意をし始めるだけだ。
いつもと変わらない、ただ穏やかなようでぎこちなさが薄っすら漂う返事。そこに微かな照れがあったと思ったのは私の気のせいだろうか?
追加の豚串をフライヤーに放り込みながら、ぼそりとクエロさんが呟いた。

「………次はお魚が駄目になる前にお寿司屋さんですかね」
「えっ」

───結局、あの大量のバッター液とパン粉が全部無くなるまで串揚げは揚げられ、私とクエロさんは食べまくった。
店を出る時にレジへ書き置きとともに入れられた数枚のお札は全部経費で落ちるということなので私の罪悪感は軽減されたのだった。

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剣道少女と串揚げ 1/2 2022/05/17 (火) 17:49:20 修正

「なぁんだ。そんなの食べればいいじゃないですか~」

………などと、私のぼやきにクエロさんがあっけらかんと答えたのが10時頃のこと。
それから2時間後。唖然とする私の目の前でクエロさんがちょっとした無茶をやらかそうとしていた。

「ちょ………いいんですか!? こんなことして!?」
「いいんじゃないでしょうか~。冷蔵庫こそ稼働しているとはいえ、食品はそう遠くない内に駄目になってしまいますし」

さもまっとうなことを言ったとばかりにあっけらかんとしたクエロさんが冷蔵庫を物色する後ろ、フライヤーがぐつぐつ音を立てている。
小さな串カツ屋のフライヤーである。先程クエロさんが油を注いでガスコンロへ手慣れた様子で火を入れてしまったのである。
言うまでもなく不法侵入である。店に誰もいないのだから仕方ないとばかりに、あまりにも堂々とした我が物顔なのである。
鍵が開いているのをいいことにずかずかと無人の店舗へ乗り込んだクエロさんはやりたい放題し始めちゃったのである。
はわわ、と戸惑う私の前で冷蔵庫に保管されていた食材が次々と取り出されていっていた。
適当に取り出し終わると卵と小麦粉も出してボウルにぶちまけ、バッター液を作り出してしまう。あああ、そんなにたくさん。

「わ、私ん家は前にも言った通り仏教徒なんですけどっ! そちらの神様的にこれはアリなんですかっ!?」
「あはー。対価さえ置いていけば泥棒にはなりませんよ。ほら、主がお恵みくださった糧を無駄にしたらそれこそ罰当たりです。
 だから大丈夫だいじょーぶ。はぁい、じゃんじゃん揚げていきましょうね~。あ、キャベツ食べます? 日本のパブではお通しと言うんですよね」
「しょうもない! 気付いてたけど! 薄々気付いてたけどこの人しょうもないっ!
 仕事以外のことになるとこの人すっごくしょうもなくなるっ! あーあー、パン粉もそんなにいっぱい出してっ!」

なんて言っている間にクエロさんは豚肉やら海老やら蓮根やらに串を通すとバッター液とパン粉を潜らせ、ひょいひょいとフライヤーに投げ込んでしまった。
途端にぱちぱちと食材が揚がっていく美味しそうな音が店内に響き出す。同時に私の空きっ腹が串カツモードへとフォームチェンジする。
もう駄目だ。串カツを食べなければ心が歪んで人間ではなくなってしまう。揚げ物ビーストになってしまう。
畜生。もう知るか。私はあらゆることを受け入れることにしてザク切りにされたキャベツをお店の秘伝のタレ(2度漬け厳禁!)につけて齧った。
くそう、美味しいなぁ。ただキャベツをタレを塗しただけなのに何でこんな美味しいのかなぁ。
………しかし、カウンターの奥で修道服姿のお姉さんが串カツを次から次へと揚げている姿は目がちかちかするほど似合わないなぁ。

「うん。ちょうどいい頃合いですね。はい、揚がりましたよ。
 えーとぉ、これが豚でこれが椎茸、これが海老で、あとは蓮根に帆立に茄子………それからぁ」
「手当たり次第に揚げたんですね! やったぁ美味しいそうだなぁ! いただきます!」

私の目の前へどんがどんがとお祭りのように盛られていく串カツたち。
最早ヤケクソだ。揚がっちゃったものはどうしようもない。知ったことか、どうとでもなれ。
私は日本人である。日本人は海老が大好きである。なので海老の串を手に取るとこれでもかとタレの入った缶に突っ込み、一口でぱくりと咥えた。
途端、押し寄せる滋味。歯を押し返してくる海老の身のぷりぷりとした弾力。タレの何重もの層となって襲い来る奥深い味わい。
そう。これだ。これが食べたかった。本当は、友人たちと。

「───………美味しい」
「あはー。そうですかぁ? どれ、私も試しに………、うん、ちゃんと揚がってますねぇ。
 どんどん食べちゃってください。冷蔵庫の中にあるもの、手当たり次第に揚げてしまうので~」

揚がった茄子をタレにつけて頬張り、満足気に頷くクエロさんを後目に豚串をチョイス。
もう止まらなかった。私は腹が減っていた。うおォン、私はまるで人間火力発電所だ。
たぶん本当の職人が揚げるものからすれば稚拙な出来なんだろう。割と料理上手ではあるが、さすがのクエロさんも揚げ物調理のプロじゃない。
でもそういうことじゃない。その時の私にとってはそれはそういうことではなかった。
クエロさんが揚げていくものを次から次へと口に運ぶ。自慢じゃないが、私は物心ついた頃から激しい剣道の修練に打ち込んできた身だ。
当然物凄い体力を消耗するので常人の摂取カロリーでは到底追いつかない。必然食事で補うことになる。結果胃袋が鍛えられる。
おまけに食べ盛りだ。ご飯が炊けていないのが惜しかった。その分、まるで飲み物のようにするすると串カツは腹の中に収まっていった。
何本目だったろう。ブロッコリーの串揚げ(これがタレをたっぷり吸って馬鹿にできない美味しさ)をばりばり咀嚼しながら思った。

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なぞのそしきの日常 殺戮失敗編 2022/05/15 (日) 23:23:09

「は~あ、今日もボスを殺せませんでした。残念ですねェ」
『何、この程度で殺されては君のボスを名乗るのには不足だからな』
用意した手の内を出し尽くしてなおBOSSを殺せず、両手を腰に当てて息をつくコロシスキー神父。
一方、ノイズ塗れの姿で彼の前に立つBOSSには(そもそも顔は見えないが)疲労の色が見えず、その両手にはコロシスキーが放った聖書の頁が一つ残らず指で挟み取られていた。
『しかし、今回の聖書投げは見事だった。頁速もそうだが面制圧の綿密さに成長を感じたぞ』
「それを受け止め切ったボスに言われるのも複雑ですねェ~」
落ち込んでいる…ように見えて既に切り替えてBOSSを殺す方法の考案を始めているコロシスキー。
そんな彼の脳裏を読んでなお、BOSSは変わらず不敵に笑う。
『安心しろ。君に殺される気は当然無いが…君以外に殺される気も毛頭ない。
 これからも精進するといい。私はいつでも、君の挑戦を受け入れる』
「…んもォ~ッ、殺し文句が上手いですねェボスったらァ~ッ!」
照れ隠しにヘッドショットを仕掛けるコロシスキーと、それを軽く避けるBOSS。
なぞのそしきで日々繰り広げられる、ありふれた何気ない一幕であった。

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ぱんつ消失in泥メロイ(ヒューゴくんお借りしました) 2022/05/15 (日) 00:05:17

「きゃーーーー!」
「うぉぉぉっ!?」
いつかのエルメロイ教室で、割とよく見られた光景。
不幸体質の少女が階段から転げ落ち、たまたま下にいた男子生徒にフライアウェイしていた。
「むっぐ…!んーー!」
当たりどころが良かったのか悪かったのか、どしんと音を立てて地面に倒れ伏した頭の直上には、少女の尻がみっちりと乗っていた。
「……あっ、ごっごめんなさいヒューゴくん!すぐ退きますから…!」
少女、ディオナが再び体勢を崩しそうになりながらもヒューゴの顔面を解放すると、赤面しきった顔のヒューゴはすぐに叫んだ。
「お前な…!いつもどうせ脱げるからって最初から履いてないのはどうなんだ!?」
「えっ…ええっ!?な、何の事ですか…?」
「下着の話だ下着の!ぱ・ん・つ!一応スカート越しとはいえなぁ、俺になんつーアダルトな不幸をぶちかましてんだお前は!こう…もっと自分を大事にしろ!」
「え、えぇっ!?そんな…今日は確かちゃんと履いて…あれ?ない…?」
自分のやった事を認識したのか、みるみる内に顔が赤く、そして青くなるディオナ。
「うぅ……こ、こんなことをしてしまうなんて…。……もしかして、私、神様に…」
「おい待て、その考えはまずっうぉぉぉぉぉ!?」
魔術の効果が薄まった瞬間、校舎のありとあらゆる部分から様々な崩壊が始まり、再び絶叫が響いた。
──なお、結局この件については、ディオナが下着をうっかり忘れたという結論で片付いたのだが、ロードとヒューゴの胃痛は暫く止まなかったということは最後に記しておく。

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剣道少女と美味しいカレー 3/3 2022/05/11 (水) 20:09:41

「……ごちそうさまでした。シスターさん、これ凄く美味しいですよ!」

「あはー。そうですか?そう言っていただけると作った甲斐がありますねぇ」

ふぅ、と一息零し手を合わせる。
カレーに対して名残惜しさを感じたのは久しぶりだ。
手作りでこれほどのクオリティを出せるものなのだろうか?改めてシスターさんに対しての印象が塗り替えられる。

しかし……この辛さを乗り切った代償も大きい。
具体的には汗が凄い。爽やかさこそあれど、肌に張り付く程まで濡れたパジャマは無視できない。
今すぐにでもシャワーを浴びて着替えたいところだが、生憎制服は全て洗濯に出してしまった。
どうしよう……流石に今の状態で街を出歩くのは恥ずかしい。例え街中に人が居ないとしてもだ。

……悩む私の表情に気がついたのだろうか。
シスターさんが少し考えた様子を見せると、頭の上に電球を浮かべたような閃きの表情で

「アズキさんも替えの衣装が足りないんですか?それなら────そうですねぇ。まだメイド服は余ってますし、一緒に着てみません?」

「…………えっ」

数時間後。
昼下がりの大阪にて、某衣装ブランドの袋を両手に持ったメイド服姿の少女二人が目撃された。
二人を撮影した女子大学生(22)曰く「アッシュグレーの子はニコニコしてたけど、金髪の子は燃えそうなくらい顔真っ赤にしてた」……とのこと。

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剣道少女と美味しいカレー 1/3 2022/05/11 (水) 20:09:24

「どうぞ、カレーです」

カレー。
差し出されたお皿には、若干の赤みを帯びたカレーが盛り付けられている。
……カレー?予想していなかった献立に思わず思考がループする。うん、このスパイシーな香りは間違いなくカレーだ。

一般的なカレーと比べて、ルウの粘度が控えめだ。
スープとルウの中間。ライスの間をすり抜けていく程度の水気だが、完全な液体というほどのものでない。
具は大きめにカットされたレンコンやサヤインゲン、そして牛肉。
一見すれば「家庭のカレー」とはかけ離れた、本格的なカレー屋で作られたような見た目である。
そのクオリティもあって二重に驚かされる。これ、いつの間に作ったんですか。

「……い、いただきます」

しかしこの赤色に若干の躊躇いを覚える。
先日、想像を遥かに超えた辛さの麻婆豆腐でノックアウトされたばかりな私にとって……この赤さは、怖い。
口内の傷も癒えていて多少の辛さであれば耐えられるだろうが、最悪傷口が開きかねない。

恐る恐るスプーンを口に運ぶ。
カレー自体は好物の一つだ、よほどの辛さでなければ問題はない─────っ。

「………………こ、これは」

美味しい。とても美味しい。

見た目通りスパイシーな香辛料の風味でありながら、ただ辛さだけがあるのではなく
それを包み、刺々しさを緩和させる爽やかな風味……レモングラスの香りが良く活きている。
唐辛子をベースとする辛味と柑橘系の酸味に、もう一つ。このコクは……ココナッツミルク?
辛味と酸味の相乗効果の中に甘みというエッセンスが加わることで、奥深い味わいを強く醸し出している。
遅れて広がるのは牛肉の旨味。想像していたカレーよりもエスニックな風味だが、途轍もなく美味しい。

勿論見た目通りの辛さもある。一通りの味が過ぎた後、一足遅れて辛さが駆け込んでくる。
しかしそれは突き刺すような「痛み」でなく、辛さという確かな「味わい」だ。
辛い、辛いが美味い。口に広がる辛さを打ち消すべく、もう一口が食べたくなる。
 
初夏の蒸し暑さすらも吹き飛ばしてしまうような爽快な辛さ。
同じ汗には変わりないはずなのに、寝起きの汗とは比べ物にならないほど爽やかな汗が込み上げる。

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剣道少女と美味しいカレー 1/3 2022/05/11 (水) 20:09:12

あつい。纏わり付くような熱気が室内に立ち込めている。
じっとりと汗を帯びたパジャマを拭いながら、現在時刻を確かめる。
カーテン越しに差し込む日差しが指し示したのは「9時」の時計…………やや寝過ごした。

よもや本州の初夏がこれほどまでに暑いとは。
現在の気温は28℃。最近では札幌でもこのくらいの気温まで上がることはあるが、気温以上に蒸し暑い。
湿気が影響しているのだろうか?それとも、この部屋に扇風機以外の冷房器具が用意されていないのが原因か。
どちらにしてもこの暑さは堪える。汗が止まらない。頬を伝うそれを拭いながら、重い足取りで食堂へ向かう。
酷暑が続けばそれだけ替えの服が必要だ。仕方ない、今日あたりにでも衣装を買いに────

「おはようございます、アズキさん。昨夜は随分と暑かったですねぇ、ちゃんと眠れましたか?」

「ふわ……おはようございます。寝苦しくてあまり…………えっ」

寝ぼけた目をこすり、シスターさんを見る。
いつも通りの黒基調な修道服に身を包んで……あれ?
食卓に座るシスターさんの衣装がどこか違って見える。私はまだ寝ぼけているのか?
この視界情報が間違っていなければ、それか私の認識が狂っているのでもなければ……シスターさんは、俗に言う「メイド服」を身に着けているようにみえる。
いや、確かに着てるな。何事もないような雰囲気も相まってつい見逃しかけたが、間違いなくメイド服を着ている。

「……あの、シスターさん。その服って……」

「あはー。この衣装ですか?クローゼットの中に何着か掛けられていたんですよねぇ。
 ここの神父さんの趣味なのかはわかりませんが……ちょうどいいサイズだったので試しに着てみました」

なるほど。なるほど?
考えてみればシスターさんも、元々この土地の人ではなく海外から派遣された人員であるという。
となれば衣装も持ち込みで、私のように服の洗濯が追いつかないという事もあるのだろう。
合点が行った。何故メイド服がこんなところに?という疑問に関しては、恐らく有益な答えが得られそうにないのでスルーする。

にしても、この種の服を違和感無く着こなせているのは流石だ。
クラシカルなものでなくフレンチなフリフリメイド服であっても、それが正装であるかの如き気品を漂わせている。
……実を言えば私も去年、文化祭でメイド喫茶を出店した時に着た経験があるのだが……髪色も相まってザ・コスプレといったような有様になってしまった。

そんな事を考えながら食卓に着くと、メイドさ────シスターさんが少し遅めの朝食の準備を始める。
今日の朝ごはんはなんだろう。気がつけば私の中で、毎日の食事が日々の楽しみになって────

223
剣道少女 <幕間> 2022/05/11 (水) 17:55:21

誰かに手を繋がれて帰るなど幼い頃以来だった。
シスターさん………ううん、クエロさんがぐずる私のとぼとぼとした歩みに歩調を合わせてくれた。
5月の真夜中の風はまだ冷たく、人っ子一人いない街並みはまるで影絵で作られた出来損ないのよう。
月の光で不気味に濡れたアスファルトを踏んで歩いていると、まるで世界中の人間が死に絶えて私たちだけが生き残っているかのようにうら寂しかった。
遠く離れた私たちの背後ではまだあの“戦い”が続いているのだろうか………。

赤く腫らした目でクエロさんのその後ろ姿を見ていると、ふと想起されるものがあった。
───母だ。この人にはどこか母の面影がある。
私はいつも集中する時に決まって浮かべるイメージがある。冷えた鉄、煌々と燃え盛る炉。
鉄を焚べ、鉄を打つ。繰り返し鍛えて強靭な刃に作り変えていく。私がそうだし、おそらく父にも似た気配がある。
だから私の妥協を許せない精神性はたぶん父譲りだ。良くも悪くも父に似ているとたまに言われるのはそういうことなんだろう。
けれど母は私たちとは違った。あの人は熾火だ。
外からはほんのりと赤く色づいているだけに見える。分かりやすく燃えることは無い。
だが芯の部分は高温の炎で真っ赤に色づいていて、しかも消えずにいつまでも熱を発し続けている。
近くまで寄ってみて初めて知るのだ。それが物凄い温度を破裂させないまま緩やかに保ち続けていることに。
あれだけ厳格な父がいざという時に母に逆らえないということは何度もあった。
表面上は穏やかながら、決して曲がらず凛としていて、惚れ惚れするほどに気高い。
クエロさんの背中にはそんな母の姿が重なって映った。
ああ、そういえば物心ついた頃にこうやって手を引いて家まで連れて帰ってくれたのもお母さんだったっけ。
先程は万力のような途方もない力で私の首根っこを掴んでいた指は、こうしてみるととても繊細だ。
ほんの少し力を込めてその指を握り返した。ややあって、クエロさんも少しだけ強く握ってくれた。
特に何も語りかけず黙って歩いてくれているのが泣き疲れた心に優しかった。

人の肌の温度を全く感じない無機質な指。人間の肉ではできていない腕。きっと作り物の身体。
けれど私の指はそこから心強い安心感を覚えていた。冷たさ(あたたかさ)が確かにそこにはあったのだ。

222
剣道少女のバスタイム③ if 2022/05/10 (火) 23:39:12

先程の姿が白と黒のコントラストで彩られたアートであれば、今の姿は淡い色調の映える水彩画か。
白い肌にほのかな桃色を帯びる唇、逢魔時の暮れた空を思わせる青色の瞳。それらが織りなす端正な顔立ち。
これより下には目を移せない。映してはいけない。込み上げる好奇心を鉄の理性で繋ぎ止める。

湯船が比較的広く、肌と肌が触れ合うような距離でなかったのが幸いした。
人一人分の間を空けて湯に浸かる二人。私はと言えば、水面から下に目を向けぬように視線を泳がせている。
そんな私の様子を怪訝に思ったのだろうか。シスターさんは少し首を傾げると、空いていた距離を詰めて私の側へ。
……えっ?移動に伴って生じた水流を肌で感じる。直ぐ側に人がいる、という感覚を身を以て味わっている。
突然のことで思わず驚きの表情を浮かべてしまう。そんな私の顔の側まで、シスターさんはその瞳を近づけて

「……随分顔が赤いですねぇ。少しお湯の温度下げましょうか?」

澄んだ瞳の、その奥まで見えてしまいそうな距離。
近い。逃げられない。私の背後にあるのは壁、顔を仰け反らせることも後退することも難しい。

そしてシスターさんは屈んだ状態のまま、私────の横にある蛇口へと手を伸ばす。
壁際で、顔を迫らせて手をつく形。この構図に見覚えがある。そうだ、これは巷で噂の……壁ドンなるシチュエーション。
顔だけでなくいろいろなものが近い。吐息の音すらも聞こえてきそうな至近距離。

この一瞬がずっと続いてくれたら、なんて。
沸騰した思考回路が脈絡のない事を……或いは、理性で誤魔化された本心を露わにする。
「これ以上」はなくていい。この一瞬を切り取って、何度も何度もアルバムを開いては見直していたい。
不思議と鼓動は落ち着いている。けれど体温は急上昇、頬の火照りも治まらない。
温度を1℃上げてしまいそうなほどに上気する身体。至福のままに意識が飛びそうに────

あっ。駄目だ、このままだと不味い。脳内に掛けられた最後のアラートが鳴り響く。

「あ、あのっ…………ち、近い……です」

思考を断ち切るように目線を逸らし、絞り出すように言う。
私の言葉を受けてシスターさんは一瞬驚いた様子を見せ、改めて二人の距離に気が付くと
その白い肌をほのかに赤く染めて、元いた位置から少しだけ離れた場所に座り直す。

…………少しだけ勿体なかったかも。
先程よりも2℃ほど高まった湯船に浸かりながら、私は最後の未練を反芻するのだった。

221
剣道少女 Assault 3/3 2022/05/10 (火) 02:33:23 修正

後はジェットコースターだ。
何かを思う暇は無い。襟首を掴んだそれが物凄い勢いで私を引っ張る。
直後、火薬庫へ火が点くような激烈な破砕音が轟いたが、その音が私を捕まえて五体を引き裂くよりも襟首を掴んだものは僅かに早かった。
空中に浮きながら引き寄せられるまま吹っ飛ぶ私はいつまでも空中を引っ張られ続けるその勢いからようやく状況を知った。
私を捕まえて引っ張るものが、破滅の余波から逃れようと必死で後退しているのだ。
私を引っ張っているものを目で辿った私はようやくおおよそを理解した。
───ああ、なんということ。
───どうしてあなたが私を引きずっているんですか。
───どうしてあなたの腕がそんな風に伸びているんですか。肘から分かたれて、鎖で繋がって、鎖の先の腕が私を掴んでいるのですか。
───こんなの人間の腕じゃないじゃないですか。アニメに出てくるような、ロボットのロケットパンチみたいじゃないですか。
───こんなの人間の脚じゃないじゃないですか。風よりも速く駆けるその脚の出力はとうに人間らしさから離れているじゃないですか。
───ああ、知っていたけれど。きっと、知っていたけれど。

───あなたは、まともな人間じゃない。

「───も~。アズキさん。迂闊に出歩いてはいけませんって言ったでしょう?」

いつの間にか私は何処かの公園の野原に降ろされていた。
私を襲おうとした猛威は………存在しなかったわけではないらしい。こうして耳に轟音の名残が届いている。
視線を戻す。じゃらじゃらと金属音が響いている。そこで私ははっきりと私をここまで連れてきた者を見た。
肘から先が鎖で繋がった腕がどういう原理か巻き取られている。末端まで至った腕がばちんと繋がり、ここ数日で見てきたものと同じカタチになった。
接続部分を何でも無いことのように見やるシスターさん。明らかに自然な人間ではない。私が思わずしたことというと───

「───っ」
「………っ! わ、わわ。どうしたんです?」

震える膝を打って、よろめく身体を手繰って、その人の身体を抱きしめることだった。
さっきまで何を考えていた? 私らしくもないこと、いや無理やり私らしくさせられたことを考えさせられていなかったか?
恐ろしかった。それがあまりにも恐ろしくて、ただ無性に温もりが欲しかった。

「あ、ぅあ」

胸へ埋めた顔から涙が溢れた。情けなく涙を流すなんて本来なら許せるはずもない。
でも、無理だ。堪えられるわけがない。心がひび割れてその隙間から漏れてしまっている。もう止めようない。
失格だ、私は。でも腕を伸ばし、脚を駆って、人間離れした性能を発揮した彼女の胸は見た目通りにとても温かかった。

「あ、ああ。………あぁぁぁ………っ! クエロ、さんっ、私、わたし………ッ!」
「………。いいんですよ。もうちょっと後にしましょうか。ね。アズキさん」

こんな時にも彼女の言葉は薄っぺらく、そして優しすぎて、私はどの涙を堪えるべきか悩んでしまうのだった。

220
剣道少女 Assault 2/3 2022/05/10 (火) 02:33:06 修正

辿り着いた。辿り着いてしまった。
私は数日を費やしてようやく“戦い”へと至った。至ってしまった。
シスターさんの後を追うこと数十分。夜闇に包まれる大阪の市街へと辿り着いた私へ向けて大きな音が響いてくる。
コンクリートが勢いよく砕け散る、発破の現場でしか聞けないような騒々しい音。

「───」

だが、私はその破砕音へ向けてまるで操られるようにふらふらと歩き出してしまっていた。
正直このあたりの記憶は朧気にしか残っていない。残っていないのが心を守ろうとする私の防衛本能の働きだろう。
この破壊の協奏曲にとあるサーヴァントのカリスマというスキルの効能が乗っていたのは後から知った話だ。
理性も本能もどうでもいい。『この音のするところへと向かうべきだ』という感覚は殆ど洗脳に近かった。
さらに言えば『この音と共に死すならばそれは至上の栄誉である』とさえも。
だからビル群を抜けた先の広場にあったその存在を見た時───私は理由も分からず不覚にも涙を流していた。
かのお方はゆるりと宙に浮いていた。一振りの剣を携え、柔らかい微笑みと共に遍くもの全てを睥睨する。
現代人からすれば奇天烈な格好は、その神々しさに比べればあまりに辿々しく稚拙な常識だった。
視線の先に何かいたようだが、心を囚われていた私にはその人影しか目に映らなかった。
その在り方、その微笑み、全てに感動していた。自分の人生の全てがひどくつまらないものに思えた。
あれだけ執着していた剣士としての在り方さえ目に映った人影に比べればくだらないものに思えた。
宙に浮く方の唇が少しだけ動く。それは欠片さえも自分に向けたものではなかったが、それを目の当たりにしたことだけでも恐悦至極に感じた。
そうか。死ぬのだ。これからあの方が剣を振るい、その余波で私は死ぬ。なんて素晴らしいことだろう。
あの方の手にかかって死ぬならばこれほど最上の在り方はない。だから死ぬべきだ。よし、このまま死のう。

………正気ならば絶対にあり得ないそんな思考を私は受容し砕け散ろうとしていた。
宙に浮く人影に比すれば戯れのような敵意を向けて抗しようとする地上の人々のことなど目に入りもしなかった。
ただ、そのサーヴァントに殺されるために頼りにしていた竹刀さえ抜かず自分の終わりを迎えようとしていた。
凝視していたそれが剣を振り抜くのよりも───私の襟首を“何か”が捕まえるの。
時間にしてコンマ5秒ほど。だとしても、後者のほうがギリギリ早かった。

219
剣道少女 Assault 1/3 2022/05/10 (火) 02:32:50 修正

とうとう死ぬのだと。その瞬間まで来て、ようやく悟った。

シスターさんは“気”を放つことができるのと同じくらい、ほぼゼロなまでに“気”を殺すことができる。
それは私の中でおそらく間違いないという認識に至っていた。
まだ私の立場ではその残滓をも掴めないくらい武術の高みにあるとか。私の想像もつかないような修羅場を潜っているとか。あるいは、エトセトラ。
どちらにせよ、剣道という在り方に身を捧げてきた私よりも「戦い」に染まった生き方をしてきたはずという予想は大きく外れてはいないだろう。
まるで本当に命の遣り取りを繰り返してきたみたいだ、と理性が言う。本能が言い返す。みたい、ではない。本当にそう振る舞ってきたはずだと。
そういう人なのではないだろうか、という疑問は九割方はきっとそうだろうと固まっていた。
発することについて操れる。でも感じ取る方は鈍感であろうというのはあまりに虫が良すぎる話だ。
私がいつどんなタイミングでこっそり教会を抜け出そうとしたって、彼女は平気でそれを察知しているに違いない。
昨日の朝の街への探索がそうだった。誰の気配も感じない、というのが今となっては逆に怪しかった。
誰かの気配と足音がした後に、それらがさも存在しなかったかのようにいなくなったことも。

ならば逆転の発想だ。教会にいては動きを察されてしまうならばそもそも当人が教会にいなければいい。
私は待った。辛抱強く待った。シスターさんが夜更けにこの教会から立ち去っていくのを。街の方へ歩んでいくのを。
可能性に賭けた。そうするかもしれないという可能性に。そして賭けに勝った。
窓に映ったシスターさんの小さくなっていく後ろ姿を見て思わずガッツポーズを固めてしまったくらいだ。
彼女が十分に離れたのを確認してから、意気揚々とその後を追いかけたのだ。
シスターさんはこの大阪における「異変」へかなり深いところまで食い込んでいるはずだ。
きっとあの人は私の知らない多くを知っている。昔から勘に関しては鋭かった。彼女を知れば、おのずと今大阪で起きていることも分かる。
だから彼女の行く先には、きっと「何か」があるはずだ。そんな勘を信じ切っていた。
胸に宿るのは恐ろしさ。それを上回る好奇心。興味。高揚。その他、言葉にできない感情の数々。
行くな、と本能が叫び、行こう、と理性がそれへ麻酔をかけていた。

───私の読みは正しかった。そして、その時点でどうしようもなく詰んでいた。

218

「………よく眠っているようですね」

客間の扉を僅かに開いたクエロは内部の様子を確かめてそう呟いた。
梓希が全身に負った傷は彼女の想像以上に消耗を強いている。傷を治すのにも体力がいるのだ。
深い眠りについているのを確かめたクエロは扉を閉じ、その足で音もなく廊下を進んでいく。
客間を覗いていた時に浮かべていたほんの微かな唇の綻びはその時にはもう無機質なものになっていた。
やがて裏口の扉を開いて外に出た。5月になったとはいえ夜半の風はまだ肌寒い。
教会の裏庭は静寂に包まれている。月光の青褪めた色に染まって寝静まるそこは平穏そのもののように見えた。
数歩進み出たクエロはふと身体を軽く沈み込ませ、膝を撓ませる。
そして、そのまま後方へふわりと飛び退った。
まるで重力を無視したかのような、柔らかく孤を描く後ろ宙返り。
ただそれだけで教会の屋根の上へと到達するのだから明らかに人間業ではなかった。
着地と同時に軽くステップを踏んで体勢を整えたクエロは何でもないことのように教会の三角屋根をすたすたと登っていく。
掲げられた十字架のあるあたり、教会の屋根の頂点へ至ったクエロはそこから遠景を見渡した。

「ああ、今夜も」

囁きは夜風に乗って消えていく。
クエロの目には遠い街の一角で轟と炎が燃え盛ったのが見えていた。
続いて大きな爆発。周囲の建物が破壊されて瓦礫が弾け飛ぶのが立ち上る炎の明かりによって見えた。
彼方とはいえ、これだけ派手に“戦い”が起きていてもこちらまで一切音は伝わってこない。
───この聖杯戦争において、クエロはあくまで聖堂教会から送り込まれた監督役。名代に過ぎない。
全体を統括する立場ではあるがそれぞれの役割を持った聖堂教会の人員が数多く裏では動き回っていた。この馬鹿騒ぎの隠匿のために。
聖堂教会は時代遅れの魔術協会と違い科学に対しての抵抗感など無い。
アナログな手段は当然として第八秘蹟も用いられ、そしてサイバー関連に長けた信徒たちも力を尽くしている。
あれだけ目立つことが起きていてもこの街の外からは認識されない。『つい見逃して』しまう。
SNSなどにも写真や動画が出回ることはない。万が一にも針の穴を抜けた証拠が出回るかもしれないがそれもすぐに消される仕組みになっている。
全ては無かったことになる。しかし───
クエロは足元、梓希が眠る部屋のあたりをちらりと見遣った。そして溜め息をつき、教会の屋根を蹴って重力に身を任せた。

217
剣道少女のバスタイム③ 2022/05/09 (月) 19:41:25

このお風呂場が一般的な規模のサイズであったなら、私の理性は蒸発していたかもしれない。
辛うじて保たれた理性を繋ぎ止めるのは、43℃という熱めの温度設定と家族風呂もかくやといった広さの風呂場だ。
シスターさんに促されるがまま服を脱ぎ、汗を流して湯船の中へ。

シャワーを浴びる、という言葉通り、シスターさんは二つ設けられた洗い場で湯をかけ流している。
考えてみればシスターさんは外国の方だ。日本では一般的な「湯船にゆっくり浸かる」という文化に馴染みが薄いのかもしれない。
……そもそも、これまであの人に関するパーソナルな情報について関心を持っていなかった。
落ち着いたアッシュグレーの髪や流暢な日本語も相まって、別段意識を向けることはなかったが……。
穢れ一つ無い、純白とも言い換えられる肌が網膜に焼き付けられた事で認識が改められた。

そしてその肌が、四肢が、2m以内という至近距離に未だ存在しているという事実に思考が沸騰しかける。
本当は駄目だけど……良くないことかもしれないけど!もう一度だけ確かめたい!
そう荒ぶる心を抑えつけ、曇ガラスより透けて見える夜空と水面の波紋を見つめ続ける。
シスターさんが洗い終わるまでは湯船から上がることも……視線を移すことすら許されない。

…………誰かとお風呂に入るなんていつ以来だろう。
温泉のような大浴場ならともかくとして、こういった「お風呂場」に複数人で入るのは本当に久しぶりだ。
親族でない人となれば初めての経験である。となればこの動悸が冷めやらないのも仕方のないことだ、うん。

あ、駄目だ。思考が一段落すると余計な雑念がこみ上げてくる。
真珠のような白と黒のコントラスト。創作の世界でしか見たことがないような装飾品。
ガーターベルトって実在するんだ。妖艶の象徴とも言えるそれを、聖職者であるあの人が付けていたという事実もまた混乱を齎す。
いやそもそも、こんな思考を巡らせる事自体いけないことだ。当の本人が直ぐ側に居るというのに。
目を強く瞑り気持ちを押し殺す。今はただ心頭滅却、純粋に広い湯船で精神を落ち着かせて────

「あらら。結構熱めですねぇ。ここまで熱いとすぐにのぼせてしまいそうです」

────思い掛けず近くから聞こえたその言葉に、思わず目を開く。

水の滴る肌。先程よりも抑えめで、しっとりと艶めかしく輝く淡い白。
タオルの隙間より覗く、濡れて纏め上げられた濃い灰色の髪。
2mという距離を隔てていたことで保たれていた安寧が、またしても一瞬で拭い去られる。
距離にして……どれくらいだろう。最早目測すら覚束ない。ただ、手を伸ばせばすぐに届く距離であることは確かだ。
湯船に足を伸ばすも湯の温度に驚くシスターさん。その姿が門前に、目の前に映し出されて

その姿に、先程存在していたコントラストは見られない。
一面の白。その中で一点映える青い瞳。湯気の立ち込めるお風呂場に霞むその姿は、先程の姿とはまた異なる美しさを漂わせている。
それが何を意味するのか。白しかないということは、つまり。黒色が消えているということは、つまり。
この薄い湯気の中で目を凝らせば、つまり────。

……その日。私は人生で初めて、お風呂場で気を失った。

216
剣道少女のバスタイム② 2/2 2022/05/09 (月) 13:08:22

「「………あっ」」

瞬間、私の中でぱちんと音がした。ブレーカーが落ちた音だった。
1度あったことは2度目もある。なら3度目もあるのだろうか。私には分からない。
だが少なくともシスターさんはそこにいて、そして昨日よりも状況は悪化していた。
修道服を着ていないシスターさんを私はその時初めて見た。というより、何も着ていなかった。
真っ白な裸身が脱衣所の電灯によって照らされ、あたかもシスターさん自身が輝いているようだった。
その身体を下着が包んでいる。黒である。あまりにも黒でありブラックであった。肌とのコントラストが潮目のように境界を際立たせて優勝していた。
レースのついた大人っぽい下着だけでも破壊的なのにシスターさんは更に得物を身に帯びていた。
ガーターベルトである。14年と少し生きてきて初めて見た。ガーターベルトである。
黒いガーターベルトが真っ白なニーソックスを吊っていた。下腹を覆うレースも太ももを這う吊り紐も人を惑わせる悲しき兵器だった。
核弾頭である。幻の不発弾はここにあった。放送はやっぱり嘘じゃなかったのだ。
昨日にみたいに咄嗟に謝るとかそういう次元にない。私はただぽかんと口を半開きにして見惚れてしまっていた。
頭の中はまさにリオのカーニバル状態だった。行ったことないけど。

「あらら。もしかしてこれからアズキさんも使います?」
「え、あ、はい」

何を言っているんだろう私。他に言うべきことがあるんじゃないのか。
謝って脱衣所の扉を閉めるとか………ええと、謝って脱衣所の扉を閉めるとか。
呆けてロボットみたいな返事しかしない私に対し、シスターさんは気にするでもなく名案を思いついたかのようにぽんと両手を合わせて言った。
言ってしまった。

「あはー。私もこれからシャワーを浴びようと思っていたのです。
 一緒に入りませんか? 汗をかいたままでいると風邪を引いてしまいますし、ここのお風呂は無駄に広いんですよ」
「え゛」

何を考えてこんな設計にしたんですかねぇ、分かりませんねぇ、とのんびり答えるシスターさん。
対する私はというと頭の中のブレーカーを上げようと試みるのだが何度やってもうまくいかない。
どうなっているんだ。剣道の修行で鍛え上げてきた鋼の精神はどこに行った。まさかこんな時に限って有給申請してリオに旅立ってしまったのか。
そうこうしている内に私の手首は半裸のシスターさんに優しく握られてしまい、ここに命運尽きたのである。

215
剣道少女のバスタイム② 1/2 2022/05/09 (月) 13:08:04

結論から言うと、その日の朝稽古は非常に有意義なものになった。

瞳を閉じて昨日を思う。シスターさんから発せられた“気”を回想する。冷静になって解読する。
剣………とは、違う気がする。もっと重い感じ。身が竦むほど大きな岩の塊を投げつけられるイメージ。
洪水の大瀑布のような、私をどうしようもなく飲み込む巨大で圧倒的な存在感。
だが虚像の輪郭さえくっきりと浮かべばシミュレーションはできる。
受けるのは論外。例え握るのが真剣だろうと私ごとぽっきり折られる。躱すか、いなすか。
重厚ではあったが鈍重の印象は無かった。簡単に反撃させてはくれない。ならどうすべきか。
もちろんシスターさんを敵視しているわけではない。むしろ現状では唯一頼れる味方といってもいい。
ただ私の中で彼女が只者ではないことは確信となりつつある。きっとあの“気”は本物だ。稽古の相手としてはこの上ない。
今までにない仮想敵を設定しての素振りは驚くほど身が入った。自分の置かれた状況をも忘れるほどに。
そして励めば励むほどシスターさんへの「興味」はむくむくと膨れ上がっていく。
どれほど強いのだろう。どんな道のりを歩いてきたのだろう。───何者なのだろう。

けれど汗まみれで稽古を終えてみると洒落にならない問題が浮上する。
それはこの非日常にあってどうしようもなく日常的な支障だった。

「服、足りないな………。他のものも………どうしよう………」

シャワーを浴びて風呂に浸かろうと脱衣所を目指しながらぼそりと呟く。
まさかこんなことになるなんて思っていなかったから服や日用品の間に合わせが足りなくなってきた。
制服と剣道着と、あとは寝間着くらいしか持ってきていないのだ。稽古のたびに替えることを考えると下着も不足している。
他にも1日や2日程度ならば無くても無視できるものがここに来て気になり始めていた。

「誰もいないお店でお金のこと気にするのもしょうもないけど、かといって泥棒するわけにもなぁ………」

勝手に持っていくのは私の常識と良心が認め難い。だが背に腹は代えられない。
仕方ない。お金と一緒に一筆書いておけば支払ったことになるだろう。幸い手持ちはもしもに備えて両親が持たせてくれた分がそれなりにある。
すべきことは“戦い”の痕跡の捜索と調査だが、加えて生活に必要なものを揃えられるお店探しも並行することにしよう。
今日の探索の予定を頭の中で組み立てながら脱衣所の扉を開い、て………。

213
剣道少女のバスタイム 3/3 2022/05/09 (月) 03:03:42

夜更け。ベッドの中で数時間前の出来事を思い返す。
いや、出来ることならば思い返したくない事ではあるが……ふと一つの疑問が思い浮かんでしまったのだ。

シスターさんの“気”は並々ならぬものである。
明確にその“気”を向けなくとも、ある程度武術を嗜む者であれば独特な気配を感じ取ることが出来るだろう。
事実、修練中のあの一件以前からシスターさんに対しては……普通の人とは異なる雰囲気を覚えていた。
けれど、あの時はその気配が微塵も感じられなかった。“気”のみならず、普段の気配すらも存在しなかった。
言うならば気配を殺していたかのように────彼女という存在に気が付くことが出来なかった。

“気”で相手を飲み込むだけに留まらず、逆に“気”を完全に消すことも出来る……?
だとすれば。あの人は私に悟られぬように動くことも出来るはずだ。先程の一瞬のように。
例えば…………そうだ。こっそりと抜け出した私を、尾行して監視することだって………………。

……そんな私の曖昧な推理は、迫り来る睡魔の中に掻き消えていく。
きっと起きてシャワーを浴びれば消えているような泡沫の思考。それでも想起せずには居られなくて
未だ火照りの治まらない逆上せた身体を丸め、蹲るようにしてベッドの中へと潜り込む。
…………シスターさん。あの人への謎は深まるばかりだ。そして、その謎と同じくらい……私は、あの人に「興味」を抱いている。

いつかこの大阪の「異変」を突き止め、あの人の謎も明かして見せる。
微睡みの中で肥大化した“夢”を心の中で反芻している内に……いつの間にか、眠りの中の“夢”へと落ちていった。

212
剣道少女のバスタイム 2/3 2022/05/09 (月) 03:03:32

「「…………あっ」」

身体と思考が一瞬硬直する。
目の前に現れたのはシスターさん。脱衣所で洗濯機から洗い物を取り出している最中のシスターさんだ。
思いがけぬ鉢合わせが頭の中を吹き飛ばし、脳内が真っ白に塗りつぶされる。
その直後、脳内のファンは高速回転。先程流したはずの汗が再びこみ上げてくるのも感じ────

「ごごご、ごめんなさいっ!!」

何故謝ってしまったのか。自分でも理解出来ぬ内に、素早くバスルームに戻り扉を閉める。
時間にして1秒にも満たない逡巡の間だが……それでも私の精神を乱すには十二分な衝撃を及ぼし
逃げ込むように再び湯船に飛び込むと、顔を沈めて無音の叫びを吐き出した。

『バスタオル、ここに置いておきますねぇ』

扉越しのシスターさんの言葉すら、今の私の耳には届かない。
俯いた先の水面には、上がる直前の倍は紅潮した私の顔が映し出されている。
この頬の上気も水面を揺らしてしまいそうな心臓の鼓動も、全ては長風呂で上せたせい……だと思いたい。
ぶくぶくと音を立てて弾ける呼吸。伴って生じる、今の心境を表すかのような複雑な波紋。
……見られてしまったただろうか。それとも、素早くドアを閉めたから見る間もなかっただろうか。
後者であることを強く願う。そう思いこんでいなければ、この緊張が解けることはない。

暫くした後、私は脱衣所に人が居ないことを確認してから素早く体を拭き、パジャマに着替えて自室へと戻った。
…………お風呂上がりなのに悶々とした気持ちのままなのは、初めてだ。

211
剣道少女のバスタイム 1/3 2022/05/09 (月) 03:03:17

修練で汗ばんだ身体に熱いシャワーを掛け流す。
直で顔に湯を浴びる度、魂に潤いが戻っていくような感覚が心地良い。
例え風邪を引いていても、擦り傷を負っていようと、一日二回の入浴は欠かさない。
熱い湯に浸かり体の芯が火照っていくことで、日々の喧騒や精神的な歪みを正すことが出来るのだ。
宛ら鉄を熱し、打ち直すように。湯に浸かる度に私の心は堅く、研ぎ澄まされていく。

……にしても。
先程シスターさんが漂わせたあの“気”は、一体どういうことなのだろう。

肩まで湯船に浸かりながら思案を巡らせる。
幾度とない戦いの中で、私は人から発せられる……言うなれば“剣気”のようなものを察することが出来るようになった。
打つ。突く。切る。そう判断した時、無意識に生じる微細な身体の緊張。それが“剣気”と言うべきものだ。
それは向かい合い、相対していて初めて感じ取ることが出来るものだが……あの人のそれは、まるで違った。

…………あの人は、私よりも「戦い」の事を知っている。
始めこそ雇われの聖職者だとばかり思っていたが、背後から飲み込むようなあの“気”は常人のそれではない。
きっとあの人もまた、この大阪で巻き起こっている「異変」に関わりを持つ者の一人────。

────まあ、今はまだ考えていても仕方ないか。
複雑に絡み合う思考をリセットするように顔を洗い、身体の水気を拭いて脱衣所へ戻る。
細かいことはまた明日にでも探し歩い、て…………。