『アベニール』物語中、交戦の合間合間に恒例のディスカッションというか、皆がそれぞれ根拠のない憶測や空想・思いつきを並べて雑談する。1巻の冒頭から謎の敵が口にしていた、「ネオ・フリーメーソン」といういかがわしい名前の団体について、2巻5で、
「フリーメーソン自体、いろんな説があって、石切り工の組合というよりは、十八世紀にイギリスのサロンみたいなものから始まった思索的なフリーメーソンと言われているグループがつづいているというのが定説よ……だけど、そのフリーメーソンの理念をスターバスター・プロジェクトに結びつけるのは、飛躍しているわ」
アケモのそんな説明には、オノレは感心するしかない。こういうことについては、オノレは、まるで素養がないのだ。
アケモちゃんが妙なことに詳しい。オノレは一言もなかったが、そのあと3巻8では、
「ネオ・フリーメーソンのことか?」
「あれに似た組織というか連携……そうだ、シェークスピアなんか読むと、昔のヨーロッパには、国家意識とは別に、王族の連合意識というのがありましたよね。そんな意識の共有が、インスパイアー・エンジンの開発を独自にすすめようとしたんじゃないんですか? フリーメーソンは、石切り工のギルドみたいなものから、ロータリークラブみたいな社交クラブになって、それに思索的な要素がはいって、スプリーム・ビーイングを信奉するクラブ活動になったっていいますから……」
めっちゃしゃべる。オノレは、フリーメーソンの件について自分が先日まで無知だったことを忘れているか、突然降ってわいた知識を語り始めたかのよう。
- 前巻でのやりとりを著者が忘れているんだろう
と思うのが手っ取り早いし、富野小説中でこの種の辻褄の合わない点はこれまで幾つもあった。が、 - インティパの作用する場では、超常的な経緯で今までなかった認識が生じることがある
『アベニール』作中ではベストン・クーリガ以来インティパのせいで人が物わかりがよくなったり説明ぬきに話が通じる例が度々のように、ないとはいえず、この際もオノレが自覚していないとしたら場面と無関係に不気味だが……エンジェル・ハィロゥの場でも似たようなことが最近よくあった。 - 前巻からの時間経過のどこかでアケモちゃんから講義を受けた
穏当な解釈だけど前巻からそんなオタク会話を親しく続けていたような気はしなかった。そうだったら作中にあらためて書いていただろう。
3巻のこのところは上に続いて、「G」という神秘的なキーワードが明かされる。フリーメーソンの秘密教義だ。富野読者で「G」といって誰も興味がないはずはないが、ここの話を取り上げて語ろうとは誰も思われないらしい。
Gの建築
「G」ときいてガンダムのことかと思わない読者はいないが、『アベニールをさがして』はべつにガンダムや宇宙世紀作品ではない。あっけらかんと秘教的な説明をしながら、かといってこの話が本作の全体にそれほど重要な意味があるようでもなかった。
だいたいガンダムのGにそんな深い意味があるわけない、ガンボーイがダムになった名残りだ。あったとして元気のGがgreatest gearだよ。
にかかわらず、わたしはここでの「G」の釈義がこれまでも大変気に入っておりそれは『Gのレコンギスタ』の設定とも通じるものがある。ヘルメス財団は建築家の集団というよりは、ワグネリアンの集まりという最近の印象になってきていたけど……。
富野小説を読み返すたびに音楽を聴く、アニメならその交響組曲アルバムをめくるのだが、『アベニール』にはイメージアルバムもあるわけでないので、このまえは千住明などを紹介していた。アベニールの小説終盤近くは劇のシチュエーションや台詞が『Gレコ』(劇場版)に反映されているか、似ている節はかなりあるから、GレコのOSTでもいい。
劇伴音楽でない菅野祐悟作曲、「交響曲」と銘打った作品が現在2番まである。
この2番の副題「すべては建築である」はまた、Gレコともフリーメーソンとも一周してやはり関係ないのだけど、劇レコ頃に好きに関連づけて聴いていた。わたしは今夜これを聴いておこう。曲は、それほど堅いものでもない。
『アベニールをさがして』は作中の世界情勢にも技術的な事情にも一通り説明があるが、「テンダーギアはなぜ人型か」というロボットものの基本的なところは触れずに事前了解事項になっている。アラフマーンなど神秘の域に入っているのに不動明王か阿弥陀かの前にどうして人型かなどは、今更いうまでもないようだ。
モビルスーツよりはオーラバトラーの人型の理由を思い出したい。『オーラバトラー戦記』5,6巻のあたりにその話がある。それと、上のようなところを思い合わせてみると、「G-セルフ」の名などもまた違った意味を見つけられるように思える。