富野アニメの蓋然論
§2 「なぜ人を殺してはいけないか」~「母系社会」までは、この通読ではトミノ流の蓋然的な言い方の真骨頂ともいえる。富野エッセイだから独擅場で許される。学者がこれをしたら許されない。エリアーデやフレイザーでも両手を振って止めるだろう。
わたしは好感と嫌悪感をこもごもに読み、どういう気持ちかというと、もしも、全面的にトミノが好きだったらあえてトミノを信じる必要ないだろう。「嘘つきだ」と思えばそれまでだ。トミノさんにとっても「そう信じたい」と言っているだけの、これは願望かもしれない。だから読者も、信じるかどうか考えるんだ。それは、トミノは真摯だからじゃない。
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夜の言葉
これが前回『ブレンパワード』での話題だったのは示唆というか象徴的かのようにもわたしは感じるんだが、『ガーゼィ』でもそんなこと言っていたな。ル・グインだったら許さないだろうという。昼の言葉など忘れていいから……『夜の言葉』をおぼえよう、か。
この読み方をしている人は、富野ファンでもまず多くはいないはずなのでわたしは今スリル。今読んでやっぱり良かった。
『ブレンパワードは、情感を排したサイバー・テクノロジーの「世界」を描こうとしたのだが、緻密な世界を描くことには失敗して思いがけずエモーショナルなものが噴出してしまった。結果として出来たものは、こうなったのである』とはいっていない。
もともと、タイトルから誰しも想像されるのと違うところを狙って志向した、と言っている。そんなことを言っていいのか? でも序文に書いてある。どこまで嘘で本当かは、見てみよう。