シフグレソルというのはまだよくわからないが、LとRを区別できないあたり何だか日本人読者には親しみのある星人のようにも思える。
上のアルガーベンの言いぐさは、わたしは今インド古典の物語集『屍鬼二十五話』を隣に開いていて、そのクシャトリヤとヴェーターラがする応答なんかにむしろ似た感じを覚えていて、「狂気の王」というほど狂ってるとも愚かとも感じない。言ってることはわかるわのように思えてしまうな。
ここでは、ダンセイニのジョーキンズものの印象をたびたび蒸し返しているけど、ここでまたダンセイニに戻ってはいつまで経っても話が進まない。とはいうものの、べつに何急いでいるわけでもなし、その気分が昂じてくるのを待ってまた読み返せばいい。
通報 ...
このあたりはやはり隣の富野通読にも連想しそうだ。考え方ではなく、同じ字句が出てくるからだが。光と闇、と言い出せば宮崎駿を連想しそうなくらいの意味で。それは、1980年代や90年代のことで何がどういう経緯を辿っているにせよ年代は憶えている。
18章「氷原の上で」ここにまたまとまった発言があるが、これはまた「エクーメンのスローガンについて」を言っているところで、ここに列べて書き抜きするよりは本文を読み返したほうがいい。邦訳より英語原文でないとややわかりにくいかもしれないくらいだ。
エクーメンの方針についてのことで、それが必ずしも主人公アイの信念だとも、真理だとも作者のル・グインの考えだとも言ってはいないが、ここにメモしておくのは、プラグマティックかどうか、政治的か神秘的か、目的は手段を選ばずか、というワードがどっと列ぶので、余所でまたそれを見たらここを思い返してもよい、等々。
『闇の左手』読了、つぎ『こわれた腕環』
これも日本語訳が難しげ。原文を覗いていないが、faithかな。