かとかの記憶

Volkhavaar / 11

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Part Three終わり。つづき。

読み始めるとすぐ済むのだけど、ここしばらくタニス・リーを開くタイミングが得られず、開いても数ページ読んでは気が済んでまた止んでしまう。この二年あまり、自覚しててそれがくり返す。

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    katka_yg 2025/06/09 (月) 13:33:48 修正 >> 11

    やはり先日のル・グインのエッセイ中(1970年代)で『かもめのジョナサン駄作』という話は読んでいて、わたしはそれはよくわかるのだが、同時にまたこのタニス・リー等を読みつつ、「シャイナの魔法の使い方は駄目」のようには言いたくない。

    まずどういう理由かはおいても、リー作品はこれはこうありたい、これがいいのようには思う。"No,"から始めて火を吐くようなシャイナの台詞を読み返せばいいだろう。ここにモラルがないとは言えない。
    それと、ル・グインはそこではそう書いていないが「まず文体が気に入らない」と思ってるのが第一、に決まってる。どうせ本を読むなら暗誦するくらい熟読したいものな……ここらへんのリーの文章はまず文体のものだ。それあって、英語読むのが楽しい文章でも、あえてつまらない話をテキストにしたくないな。

    これらの話を時代的に振り返るのを何処から読み返せばよいか、わたしは今あまり言えない。わたしの場合コリン・ウィルソンの50-60年代……『アウトサイダー』『オカルト』あたりは一回取り戻しておこうかな。手元にないはず。

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    katka_yg 2025/06/09 (月) 19:30:09 修正 >> 12

    かもめのジョナサンなどはわたしには歴史的遺物で、それ自体にどうもこうも思わない。もっとあとで似た話だとパウロ・コエーリョとかな。『アルケミスト』とか……それ今読んでどんな印象かは、憶えていない。

    樋口康雄の音楽による「かもめのジョナサン」朗読ドラマ盤というのがあって、それは良いものだった。火の鳥2772よりも前の頃のだ。樋口康雄の音楽は「リーンの翼」からしばらく遡りあれこれ捜していた。すでにだいぶタニス・リーの話ではなくなってきたな。
    意思の力の話をしたいわけではない、作品の意図はどこに現れるかだ。シャイナのことは好きになれるだろ。レーデルルみたいな場合は、ある種の読者は嫌おうと思えば嫌える。単純な話を単純に書いたりしませんと言うだけあって、ル・グインはしたたかな作家だとはこのたび思い返した。

    (レーデルルは――は、魔法よりもリア充が気になる種類の読者のこと。わたしだ)