Chapter 20の魔術の場面がこの小説の最大の見せ場と言ってもいいが、この魔術の原理とか方法について、しかじかと説明するのはまた、なんか知ったげに言ってみても、それはそれほど意味のないことだろう。これは実践的な魔術の章だとわたしは先に言っておく。
what Is, is, what Was, was, but what is To Be, may be otherwise.
続けて、what we believe Is, what we believe Was, and what is To Be will be. ――と、ここまではバルバヤート本人が理論を開陳していることだから良いとしよう。タニス・リーを読まなくても他にも書いてある。ここは、呪術の民俗学的説明ではないので、ここは実践するのが大事。小説だからな。
小説家が小説をどう書いているかについて、FTの読者また英文学者は「ここがすごいんです」というだけで、なぜ魔術が発動してるのかのようなことは結局知らない。そもそも、この老魔女と剣の問答において、剣が質問に答えるために剣が言葉を喋リ出していなければ、儀式は始まらない。前のページにもどって、
しかも、It had, fittingly, a bronzy voice. …と。剣が喋らなかった場合のことなどはもう忘れているね。
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邦訳はbronzyは「金属的」と書いてある。青銅的、とはいわないから、こういうのは訳せないかな。
この頃の、初期のリー作品はやっぱり書いてて楽しそうだ。本人も夢中で書いているのがユーモアになって伝わるというか。いかにも、お硬い声だったんだよな。重々しくて。
「強情な」もありだ。