かとかの記憶

Earthsea

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Earthsea (Ursula K. Le Guin)について。ゲド戦記諸々。

katka_yg
作成: 2025/06/18 (水) 18:37:26
最終更新: 2025/06/18 (水) 18:37:49
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アースシーのシリーズ単位のトピックとして、通読の続き。前回は、

清水真砂子訳。つぎ、『さいはての島へ』より。

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2章まで。アレン君可愛いよな……。

前も触れたが、わたしは『ゲド戦記』のアニメ映画のことはべつに嫌っておらず、というより、以前一度見たきりで今よく憶えていない。前回触れたのは音楽の寺嶋民哉氏のことで、寺嶋音楽アルバムは10年ほど前にかなり多数を蒐集したことがあって、ゲド戦記はその中の印象で、ル・グウィンのことは「アースシー」だと思っている。宮崎吾朗監督が嫌いなわけでもなく、むしろジブリアニメに今頃あまり熱心でない。アニメ以前に映画や動画自体をあまり見てない。

で、前回に寺嶋民哉作曲の最近の作品、

までを聴いていた。これとカレワラのイメージがどうかと思うのは人それぞれだろうけど、昨年わたしは岩波文庫のカレワラ再読していたのもあって、カレワラ自体は好きでもあり、序章以降に続きはないのか、カレワラ中ではクレルヴォの話はやはり好きなので、シベリウス以外のクレルヴォというのはないのかと思ってもいたから、わりとヒロイックな、少しゲーム音楽っぽいそれも連想して楽しい。
それら連想の連想の続きで、いま『トールキンのクレルヴォ物語』というのを仕入れてきて積んである。トールキンに行くとやはりハワード・ショアを聴くかな……と思うものの、思えば色々なくもなかったりする。

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ここアースシーでル・グウィンのトピックだったけど……。わたしはアニメ自体をよく憶えていない今いうことでないが、大体アニメ見てアニメ叩くネットの人民は何に対しても同じようにいうことで、そこに原作者や宮崎駿がどう言ったからと尻馬に乗るような態度のほうがよほど気に入らない。

今週、寺嶋アルバムの昔のものを転々と聴き返してもいたけど、わたしは今イージーリスニングっぽいものは集中して聴けないみたいだ……じきに飽きる。コレクション趣味に費やすには一部高騰していて、過去の未入手分が気にかかる。オペラ紅天女はNHKFMで放送したことがあったらしく、知らずにスルーしていると惜しい。

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katka_yg 2025/06/21 (土) 21:31:14 修正

「竜か! ふむ、たしかに竜は業突張りの欲深で、腹黒いうえに、血も涙もないときてるわな。だが、竜は邪か? 竜の行いの正邪を判定するだと? わしは、いったい、なにものよ……。竜は人間より賢いわい。アレン、竜といるのは、夢といるようなものよ。わしら人間は夢を見る。魔法を使う。善を為し、悪を為す。竜は夢など見ない。竜自身が夢なのだ。竜は魔法も使わない。竜そのもの、その存在自体が魔法だからな。竜はまた、ことを為さない。彼らは在るだけだ。」

文章を引用する者は皆好き勝手な目的でするものだが、『竜は夢を見ない、竜が夢だ』という言い切りは今聴くと気持ちがいいな。夢といえばわたしは前回、先日『天のろくろ』を読み終えたばかりだけど、ここは竜の話、これまでは竜の言葉の話だったが、今度は竜と夢の関係を言われたのは、アースシーでは初めてだろう。『ドラゴンが出てくれば何だってファンタジーである』のようなことは余所で言われていた。

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ブクログの棚に『さいはての島へ』には竜タグを振っておくけど、「夢」タグというのはまた、設けると爆発的に殖えるばかりで扱いにくそうだな。重要そうなものだけ拾う、というやり方では分類タグはいっそ設けないほうがいい。別の基準が入るから。
数が多いとわかっているなら、もっと特定的な名前をつける、たとえば「ユング」タグとか。それは指摘しておいて、今は放っておく。

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ル・グウィンはユングの下位分類じゃないだろ。それがいやだと今回通読の最初に言っているんじゃないか。思い出すと意外にややこしいなあ…。

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ファンタジーの専門自認なら文章も憶えているのだろうが、10年も空けて再読すると今に面白いな……。いまわしい卑しい街はそうなのだが、そこの市場と、気の滅入る会話と、丘の上と、わずかに空が見える狭い路地を行って、夜のランプの場面まで一息に続く。小説の一章も一息に読むことが、わたしは気力か体力が底をついていて、たまにこういうのがいいなと思う。

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そう、こういうところが読むなら原文で読みたい、のだった。夢やユングがどうこうというのだったら何語でもいい。それは、本文読まずに専門家に解説させておけばいいくらいだ。

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4章。ここらは訳者の言葉づかいの按配も多少はあるだろう気はするけど、今それではなく。
一応、青少年向けに書かれている小説だから、「無為自然」のようなことを説く大賢人のことを青少年は鵜呑みにするものとしておく。

少しく齢のいったファンタジー読者なら……、ここは文章がそのまま「老荘だなあ」とは、まず誰しも思うはずで、それだとむしろ、アレン君の素朴な疑問にむかって躍起になって語るハイタカのほうが、いくらか大人げなくもみえるんじゃないか。この場にもしも老子がおれば「やめよ、やめよ」と言われるような気もする。また、「大賢人がいうことだから老荘を信じよ」といえば、それは奇妙に聴こえる。

孔子が「竜を見た」と言って称えたように、この方はわれわれの手の届かない遠い方なんだなあ……と、仰ることは全然わからないながら熱い目で見守ってくれるアレン君の方が、ハイタカにしても居てくれて助かるんじゃないか。このたび、アレン君可愛いしか書いてないみたいだ。

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流石にここに、大賢人ハイタカ(ゲド)の代わりにいかがわしい英国紳士のジョーキンズ氏がいても若者は安心したり信用してくれないか。ジョーキンズはあれで結構、いざとなれば荒事にも頼れる経歴(自称)のはずだが。

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5章まで、今日ここまでにする。今読んでるこれには奥付に「小学6年、中学以上」とある。高校生くらいだと思っていたが、わたしは小学生を侮った。もっとも、大人の読者が読んでももちろんいいが、大人の読者には漢字の読み仮名がいささか多すぎ、かえって煩わしいことだろう。

最近、昔のラノベ文庫をあらためて捜して思ったりすることだが……。今だとこの「ゲド戦記」などはとくに、電子書籍の操作でジュニアモードとアダルトモードの切り替えくらい機能に入れてもいいんじゃないだろうか。わたしは自分用には勝手に編集するかもしれないけど、それはあんまり勧めることではないんだろう。

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7まで。

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10。このまえ、「なんで忠誠心の話なのか」と思ったが、いつかまた思うときはここらを思い出すといいかな……。恋人達の愛なども書いてあるが、愛はよく書かれているだろう。

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katka_yg 2025/06/27 (金) 14:02:17 修正

さいはての島へ(清水真砂子訳)読了。次は、『世界の合言葉は森』

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