かとかの記憶

密会〜アムロとララァ / 6

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「ソロモンの会戦」まで。

少し前のカシミール効果、のところで、モビルスーツのコックピットは宇宙でハッチを開け放しにしていても気流のバリアーがあってそれだけでは空気は抜けていかない設定は、後から順々に理屈付けが加わっていき、結局のところどういうことなのかは今も作品により、場面によりまちまちなんだろうと思う。

わたしは小説通読で『Zガンダム』の最終巻の、ゼータのフタが開いていてカミーユのバイザーも上がっていると書いてあってもかつ、カミーユが窒息しているような気はなくて読んでいたのを思い出す。
わたしの初読時はいつとは言わないが上の設定などは聞いたこともないはずで、なぜそう感じていたのかは今は自分でもわからない。たぶん、ガンダムの小説版は小説版で、Zの後には『ZZ』(遠藤明範著)をその直接続編と理解していたからだろう。今は、富野著は富野でまとめて他著者と切り離して読んでいるから、遠藤氏の文章がどんなだったかもよく憶えていないんだった。宇宙世紀年表なんかに従うとあれもこれも多すぎるばかりだから、従えない。

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    この『密会』のララァはまた、アニメの台詞をなぞっているようにみえるが、たとえば、『そういう言い方、嫌いです』といっても台詞の意図はちょっと違うニュアンスじゃないかのような、解釈が補われている。もとからそうだったとは思わないので、1997年版ララァということになるかな。演出の違いと。

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    まじめにいえば、ガンダムにかぎらず80年代なら前後の星山小説、遠藤小説とか、もちろん安彦小説/漫画などなど、当時の気配は押さえておくべきで、富野作品やエッセイ「だけ」を読んでいるのは何か危ういとは思うけど。手元にあっても数が多いんだって……安彦作品はこの後で追うと思う。

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    katka_yg 2025/06/26 (木) 18:44:41 修正 >> 7

    いや、そうでなくて……わたしは、ガンダムとかの界隈を「再履修」したかったのではなくて、富野由悠季の文章、文体を読みたかったんだ。今の関心は基本それ、文のリズムとか語の意味とか。

    語の意味というのは、用語のSF的や哲学的解説ではなく、『同じ言葉づかいをしていても前の作品と後の作品とで意味を違えてきている』のような、作家史的な。ガノタはとくに文学的教養に弱いからあえて今から始めても新たに価値がある。

    「引用の元ネタを知ってる」という意味でなく、「作家の中でも意味をどういう重層・深化させているか」というはなし。その興味は乏しいとしたら、惜しいだろうといいたい。