蓋然的であるが便利な定式
第八章冒頭95、ここに、
われわれは蓋然的であるが便利な定式を用いて、いわゆる「植物礼拝」を次の群に区別してみよう。
のようにあるとき、わたしは「蓋然的」という言葉の意味はもとよりわかっているつもりではあるが、続くリストを眺めてみてどのように蓋然的なのか考えてみないとやはりいまだによくわからなくなったりする。
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第八章冒頭95、ここに、
われわれは蓋然的であるが便利な定式を用いて、いわゆる「植物礼拝」を次の群に区別してみよう。
のようにあるとき、わたしは「蓋然的」という言葉の意味はもとよりわかっているつもりではあるが、続くリストを眺めてみてどのように蓋然的なのか考えてみないとやはりいまだによくわからなくなったりする。
「蓋然的であるが、便利な」定式の書き方はどういうものを言うかの例にここを憶えておいてもいいか。
昨夜『ブレンパワード』よりビープレート仮説の印象がわたしには残っていた。
内容を挙げていないと不便か。
太字は、原文では傍点部。
これが蓋然的なと断っている理由は、本文のこれまでの章の態度と、序文にあったか「比較宗教学」を提唱するときのスローガンを念頭にする。
これが事実だ・実証済みだとは言っていない。範型としてこのような一覧を提供でき、それは今後の論の展開に有用な概観を与えてくれるだろう、と言ってる。「概論」という本の役目はそれだともいう。
しかしこれは、大学生くらい……二十歳かそこそこの初学者にその意味合いを噛み分けてくれというのは、難しいと思う。年数を空けて再読するのがよい。