「蓋然的であるが、便利な」定式の書き方はどういうものを言うかの例にここを憶えておいてもいいか。
昨夜『ブレンパワード』よりビープレート仮説の印象がわたしには残っていた。
内容を挙げていないと不便か。
(a)石=木=祭壇の型。これは宗教生活のもっとも古い層において、有効な小宇宙を構成しているもの(オーストラリア、中国=インドシナ=インド、フェニキア=エーゲ海諸島)。 (b)宇宙像としての木(インド、メソポタミア、北欧、など)。 (c)宇宙における神の顕現としての木(メソポタミア、インド、エーゲ海諸島)。 (d)生命、無尽蔵の豊饒、絶対的実在の象徴としての木。大女神や水のシンボリズムと関係をもつ木(たとえばヤクシャ Yaksha)。不死の源と同一視される木(「生命の木」)など。 (e)世界の中心で、宇宙を支える木(アルタイ人、北欧人、などにおいて)。 (f)木と人間との神秘的な絆(人類を産む木、祖霊の容器としての木、加入儀礼に木が存在すること、など)。 (g)植物の再生、春、年の「再生」の象徴としての木(たとえば「五月木」など)。 以上の分類は簡略で、おそらくは不完全であろうが、少なくとも、すべての資料に共通な特徴に、はじめから注意をむけさせる利点はある。
太字は、原文では傍点部。 これが蓋然的なと断っている理由は、本文のこれまでの章の態度と、序文にあったか「比較宗教学」を提唱するときのスローガンを念頭にする。
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太字は、原文では傍点部。
これが蓋然的なと断っている理由は、本文のこれまでの章の態度と、序文にあったか「比較宗教学」を提唱するときのスローガンを念頭にする。