この世は自分のために創られたと信ずる権利
「人はだれでも、この世は自分のために創られたと信じる権利がある。創っていると信じる権利があると言い直してもいいかもしれない」
(宇宙探査機 迷惑一番, 1986)
これは神林作品で絶えずくり返すことだが、神林作品以外の世間一般で必ずしもこう言い切るわけではない。「そんな権利はない」という人や、社会のほうは珍しくない。
〈タルムードにあったじゃない。『人はだれでも、この世は自分のために創られたと信ずる権利がある』と。この世はあなたのために創られた幻だって信ずる権利はあるわ。でもあくまでも信じる権利、なのであって、真実はそうじゃないってことよ。なにを信じようとあなたの勝手よ。でも現実は、あなたがいようがいまいがたいしたちがいはないわ〉
(七胴落とし, 1983)
タルムードにあったじゃない――という、麻美が作中ここでなんで唐突にタルムードを言い出すのか、本当にタルムードにあるのかはわからないと前回言っていた。
通報 ...
投稿するにはメンバーである必要があります。
狂ってるのは世界だ
傍若無人さ。ちょっとの言い換えで「脳天気」になる。「脳天気と正義」については前回。
これは「実在」について、というべき。「実存」かな。
というか、ユダヤの宗教の教義の解釈にそんな文章があるとは、わたしには一見して信じがたくて、あるとしたらそれはどういう意味で言われるのかは別に興味はあった。が、何を調べるべきかは定まらなくてその後忘れていた。