「あなたは、この世のすべてが自分のために創られた、とでも思っているの」
(永久帰還装置)
傍若無人さ。ちょっとの言い換えで「脳天気」になる。「脳天気と正義」については前回。
だからといって自分や父のことも小さな、どうでもいい存在なのだ、とは感じなかった。自分と自分の属している世界だけは特別だ。他から見ればまったく特殊ではないにしても、そんな客観的な世界とは独立して存在する。世界が自分のために創られたかどうかは別にして、自分の世界というのは確かにあるのだ。頭ではそう考えたこともあった。しかしその事実を肌で感じたのは生まれて初めての経験だった。視座によって世界は変わるとは思っていた。考え方、物の見方だ。しかしいまのように、眼の位置という意味での視点をちょっと上にしただけで、こんなに世界がちがって感じられるという発見はレムエルには驚きだった。
(猶予の月, 1992)
これは「実在」について、というべき。「実存」かな。
「だれでも同じさ。好きでこの世に生まれてきたやつはいない。人間にできるのは、この世が好きになれるか、嫌いなままでおわるか、だ」
(ルナティカン, 1988)
切りがないそうした妄想を断ち切るには、わたしは、自分がいまなにを望んでいるのか、すなわちどのような世界に生きたいと望んでいるのか、そうした自分の望み、願い、祈りを基準に生きるしかないだろう。
ようするに、狂っているのは自分か、それともそれ以外のなにかなのか、そのどちらをわたしは望むのか、ということだ。
(ぼくらは都市を愛していた, 2012)
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