わたしは『王の心』はアカイアー推しだと書いたが、『ブレンパワード』はクインシィ。無論だ。
依衣子がその後どうなったかは、それももうどうでもいいのだろうが、その後の生涯にわたって空をみればオルファンが滞空し続けているなら、そのオルファンの巫女のようなものがいれば比瑪(や、子供達)よりはやはり依衣子だったんじゃないかと、いくらか余分な想像もする。あと現代詩を読む。
夢に見る銀河をまどろんだまま旅する――
その瞳と 唇
それが誰の瞳と唇かは、「まどろんだまま旅している誰か」のことは、今まどろんでいるので目はつぶっていると思うから、瞳は見えない。「まどろんでいる誰かが、その夢の旅の果てに見ている誰か」のことだろう。なんと理屈っぽい説明だ。理屈だけど、おかげで誰を思うべきかの関心を絞れる。
夢見る者は、夢に自分のことなどは忘れていよう。そして、忘れたい。
分離したカフェオレは二人の心みたいに冷めてる
『二人の心は、分離したカフェオレみたいに冷めてる』と語るのが常識。カフェオレがそんなに好きか?カフェオレのことはもう放っておいてやれ。わたしはそういう詩が好き。カフェオレが愛しいんだな。
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