かとかの記憶

生き神様考 / 2

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スケープゴート

スケープゴートの概念の説明はここでしない。罪、不幸、悪疫、汚濁を一身に請け負うこと。文章中での使われ方は、

女神トチに扮する女性が殺されて、その皮で仮面をつくる……(略)……トチは最後には贖罪山羊となり、追い払われるときに、トチは一身に社会の罪を負うかのようである。

犠牲は人類同胞のためにささげられるのであるから、……

のように言うとき。上は、エリアーデ『宗教学概論』(131 アズテック人とコンド族における人身供犠)から。ちょうど今日開いていたページ。ここの本文は農耕儀礼における人身供犠についてで、農作物の実りのために犠牲者は捧げられ、贖罪観念はそれに伴う文意。スケープゴートはいつもそれが主題で語られるわけでもない。

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    言葉の通俗的な意味のスケープゴートはもっとラフな使われ方をする。お話の都合上、いずれかの人物がことさらに「悪役」を引っ被るように仕立てられるとその言われ方もされるが、印象としては甘い使われ方。

    ヒーローがスケープゴートを兼ねるダークな語りも行われるが、誰かの犠牲の上に平和に暮らす人々に対してシニカルな目線を向けること、シニシズムは、本来とまたやや別種の語りだろうと思う。それも古代からある話の型で、毎回に一々きれいに峻別できるものでもなく、その意味もそんなにない。まず取っかかり。

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    katka_yg 2025/08/18 (月) 18:43:44 修正 >> 3

    『本当に罪深いのは世間の一般大衆』とか『語られざる真の英雄はべつにいる』のように、読者は特権的な地位からその社会の不正を弾劾するような読みを導くなら、それは犠牲者の心の傷や罪、悪を大衆に転嫁することで、スケープゴートの語りとしては弱々しくなる。

    シニカルな調子にはなる。それはそれで気分のいいことだが、その価値があるとしてそれはまたべつのこと(頽廃的な興味)。