言葉の通俗的な意味のスケープゴートはもっとラフな使われ方をする。お話の都合上、いずれかの人物がことさらに「悪役」を引っ被るように仕立てられるとその言われ方もされるが、印象としては甘い使われ方。
ヒーローがスケープゴートを兼ねるダークな語りも行われるが、誰かの犠牲の上に平和に暮らす人々に対してシニカルな目線を向けること、シニシズムは、本来とまたやや別種の語りだろうと思う。それも古代からある話の型で、毎回に一々きれいに峻別できるものでもなく、その意味もそんなにない。まず取っかかり。
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『本当に罪深いのは世間の一般大衆』とか『語られざる真の英雄はべつにいる』のように、読者は特権的な地位からその社会の不正を弾劾するような読みを導くなら、それは犠牲者の心の傷や罪、悪を大衆に転嫁することで、スケープゴートの語りとしては弱々しくなる。
シニカルな調子にはなる。それはそれで気分のいいことだが、その価値があるとしてそれはまたべつのこと(頽廃的な興味)。