katka_yg
katka
2025/10/18 (土) 15:55:40
古代オリエント集(アッカド)続き
「アトラ・ハシース物語」杉勇訳 から再開。今、読み始め、第一部第三欄まで。
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第二部第七欄まで。ちょっと日を空いたが、それでなくても全然わからん。あとで通し一遍読み返そう。
第三部第四欄まで。
「アトラ・ハシース物語」おわり。今ここまで。訳で示されているこれだけの断片でも、内容を想像するだけならできるが……。
これがどんなときに語られるか、歌われるのか、何故書き記してあるのか等なかなか想像できない。学校の手習いかもしれない。内容は神話のようだがテキストはとくに神聖でもないのか、など。
『お前達の神々を崇拝するな、お前達の女神どもに祈るな』というのは何らかの解説を読まないとよく分からないが、当時の人間達の信仰が頽廃してでもいる意味なのかな。
アッカド時代でもシュメールの神々の時代から何百年も経ているだろうし、信仰や生活態度が堕落していることを当時としても咎めていたとしても不思議とは思わない。人間はいつの時代にも堕落しているかのようだ。
「エヌマ・エリシュ」のときもそうだが、創造主の神が自分の創造したものらを滅ぼすに当たっての理由が「増えすぎて騒々しい、ゆっくり眠れない」というのは、そのままの意味なのか、翻訳を介して何かのニュアンスを汲みとるべきところなのか、それもわたしには分からなくて思案する。神が生き物を滅ぼす気持ちとしては面白いと思う、それも最も古い型だとそういうものだというが、必ずしも原文が理解できてるわけではないので。
これも、叙事詩の最初の作者はこの時代の人ではなく、前時代から受け継がれてきた伝承を改作、文芸としているのだろうけど、「人間が多すぎて煩い」という気持ちや疫病事情を表現するのは、詩人が都市生活者だからか。
「イシュタルの冥界下り」矢島文夫訳。これはこの前の「ギルガメシュ叙事詩」のちくま文庫に併収で前回も読んでいる。今ここまで。
「バビロンの新年祭」まで。
この中の、「天地創造物語(エヌマ・エリシュ)を詠唱する」という部分が他で引用されていて意味がよくわからなかったが、式次第にそう書いてあるわけか。アキートゥ祭の場面がどんな光景なのかは、想像するだけだが、ティアマトとマルドクの闘いといってもその場では、血湧き肉躍る活劇のようではないな。その祭りは百年くらいは継続されたかもしれないが、テキストは当時千年前というわけではないか。
長い上に事務的、かつほとんど意味不明で手こずった。上のような想像をたくましくしないと退屈。「エヌマ・エリシュ」を除けばあとはそれほど長いものはなく、神話と知恵文学かな。
このイメージを得たければアンドレ・パロ「聖書の考古学」から「ニネヴェとバビロン」を参照、と書いてある。それ自体古い本だが……アンドレ・パロという人は「人類の美術」シリーズのシュメールとアッカドの部で名前をおぼえている。それは今でも利用しているが、今どこまで手を伸ばすべきなのか。
「アダパ物語」まで。
アダパは怨んだか
わたしの最近の考えの跡でこうした気分も記憶にあった。
「ネルガルとエレシュキガル」解説と冒頭のあたりまで。前の「アダパ物語」ではその解説がなくて想像したまでだったが、死(生命)の食べ物や飲み物を断れというのはこれだったのかな。日本の神話を連想するのは自然なことだが、世界中にある話だとも知っている。それは「若水」の話だったか。
「ネルガルとエレシュキガル」まで。黙っているといつまでも停まっているが、「断片的で読みづらい」と愚痴を呟くと短時間で進む。難しい、ではなく、モチベーションが続かない、というにすぎない。