カーニック・ヴォルク
Kernik lived and rovedからその段落が一巡してKernik Volk was cunning and clever.まで、なにか言われないがあらかじめ暗示しているような循環したものがある。カーニック・ヴォルクは
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Volkhavaarという名前は前の章から、本人ではないがバルバヤートがすでにそう呼んでいる。カーニックの生い立ち語りになって、生母が死んだあと山腹の村に引き取られたとき、名前も付けられたが「すぐ忘れた」といい、そこでの四年間は本人の意識では「無名」状態で暮らしていたらしい。
文中でははじめからカーニックと記されているが、ここでは新たにヴォルクと名乗ることになる。そこで、名乗りの由来にその一帯の土地の名から取ったというが、Volkyan Plainなる地名は、いかにも作者がここまで筆任せに書いてきて今思いついたような唐突さで、順序はもともとVolkというキャラ名が先にあって後のここでアドリブで湧いた感じ。
この小説中ではコルキームなどの地名は折々出てくるけど、お話のなかでシャイナとヴォルクの行くところ以外、誰も見ていないところまで緻密な世界設定が広がっているようには思えない。
カーニックという名前についても、ヴォルキヤ平原からヴォルクと名乗った、と言い出すついでに、以前に黒い神からその名を取ったように……と添えて書き足す。前節では山の神と自分を同一視してるとはいっても名乗りのことはとくに書いていなかった。ここで、神の名TakernaとKernikが初めて結びつけられたが、執筆中にはカーニックの名前からあとでタッカーナと思いついて設けたような気分だろう。
物事の由来や語りの順序が始めと終わりが区別なく循環している感覚、上ではwheel(訳:ろくろ)と言っていたかもしれないが、音韻の暗示は必ずしも翻訳には出ていないとはいえ、再読なら読みながら少し気にするか、おとぎ話の不思議さ気分はなぜかと思っていてもいい。
浅羽莢子訳の訳者あとがきは、今読むとなかなか良いことを書いてある。わたしの今のは、お話の叙述の順序、語り方のことで、faithのようなことはべつに上に書いた。この中ではバースグレイブ〈白い魔女〉シリーズにも触れていてそれも、当時ここに書いてあったか、という気分。
わたしは別に浅羽先生を嫌っているわけではないし、もうちょっと言いたいこともある。本作はとくに呪文のところの迫力があるし……。最後のクライマックスがなぜそうなるのか等は、もしかすると今は読み方が違うかもね。
バースグレイブのことは、地名ならエシュコレクやエズランや、マリスマとかシーマ程度はメモっておいて漠然と南北関係くらいは把握していないと混乱するか……というか、くりかえし説明なくて後の方でフッと出てきたりするので、忘れる。深く気にしなくても世界地理は話にそんなに重要じゃない。
シンボルの連想・連環とか、土地や時代によって神の名前の伝わる訛りとか崩れ、似ているものは同一か、それらは継ぎ目なく一つの全体をなすような論理は、説明して「ああ、そういうことか」とわかればいいものではないので。解説を付けようにも難しいところだな。
イニシエーション体験みたいなものがあらかじめ読者にあるといいのか……というか、これはジュブナイルなので、これが初めてでもイニシエーションになれば、いいのか。ちょっと侮れない想像。「連想の環」は持っていたほうがいい。
バースグレイブが思いっきりフェミニズム作品なのは見れば強烈に伝わるけど、フェミニズムにしても色々ある、わたしはタニス・リーのそれは嫌いじゃないタイプ、とも言った。