イソームのどこが魅力なのか
このまえ読み始めるまえは「ゲメル萌え以外ない」と書いており、こないだ読み終えてもそう思ったが、一週間くらい経ったあとにふと、この話は結局、「イソーム萌え」の話だったのではないかと思い始める。エピローグでは最後にイソームで終わるのはたしかだ。
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このまえ読み始めるまえは「ゲメル萌え以外ない」と書いており、こないだ読み終えてもそう思ったが、一週間くらい経ったあとにふと、この話は結局、「イソーム萌え」の話だったのではないかと思い始める。エピローグでは最後にイソームで終わるのはたしかだ。
この電子版の二篇「The Castle of Dark」「Prince on a White Horse」は、ヒロインを文中の現実でなかなか美しいとか愛しいと呼ばないという、ラブコメとファンタジーを混ぜた方法について書いた。型通りのツンデレよりは、もう少し高度だ。
リルーンは最後の一行で美しさ(と歓喜)が明かされる。なので、「最後からニ番目の文が良い」という感想だった。ゲメルは、けっこう早くから好感を隠さなくなり、エピローグで会話しているときには「気持ちを隠したことはない」と言っている。読み返してみると、実のところ最初から嘘は言ってない。テレパス戦みたいな心のゲーム的要素があった。
イソームは物語中、彼女の良いところがなにひとつ書かれず、読了後も結局良いところはない。ゲマントだけが彼女に惚れ込んでいるけど、イソームのどこが魅力なのか読者によくわからないし、ゲマント自身も時々うんざりした様子がある。にもかかわらずエピローグはイソームのまた懲りなさと、彼女を連れ去るゲマントの姿で終える。「美女の美しさを語らない」ことではイソームの方が中心話題だったかもしれない。
昨夜「クレルヴォ」を聴きながらカレワラの話を書いており、その連想がまだある。
作中で有害なことしかしておらず、この世界の誰にとっても嫌われていいはずの魔女がなぜ彼一人にとって魅力的な乙女なのか。そういう愛の語り方に気づいたときはそれは強い印象だろうと思う。
この世の誰からも等しく愛される王子様や姫などは結局、それだけのことではないのか。公に認められた美少女路線を大幅に逸脱しても、世界で一人だけ変わらずに追ってくる貴公子……奇公子というか魔女フェチ……もカバーしておく、と言ったらいいか。
フェミニズム・ファンタジー面
この間に読んだり観たりしているものが『アリーテ姫』なので、それもまたどういうこと?の連想ではある。アリーテ姫は、ごく大雑把にいうと男はいらない話ではないのか。
ただ、この中でも原作とアニメ映画の間の「アリーテ姫は美しかったか」に話が行きついている。フェミニズム作品の諸相といえばそうだが、わたしは最近の通読上タニス姉貴の方に寄る……。タニス作品で、「男はいらない」かのような結末になるのは『Volkhavaar』(幻魔の虜囚)があっただろう。一連の関心でまた振り返ってもよい。