『緑色研究』やっと21まで読み終えた。これがどういうものなのか、ふと分からなくなって読めなくなっていた。考えてみれば、西谷作品にはヤクザ女かおぼこ娘しかいないようで、一度そのようなものを引き合いに較べてみるとよくわかる。
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『緑色研究』やっと21まで読み終えた。これがどういうものなのか、ふと分からなくなって読めなくなっていた。考えてみれば、西谷作品にはヤクザ女かおぼこ娘しかいないようで、一度そのようなものを引き合いに較べてみるとよくわかる。
それと、文中にあった房中術のような考え(「接して漏らさず」)というのは官能小説そのものについても考え合わされ、面白い。その言葉自体はもとより知ってる。わたしは中国古典のそれは一時読んだが、関心の方向が定まらずにその後忘れてしまった。
こんなに微に入り細にわたって手順を書き連ねるのは、ポルノだからか……ポルノでもそうはないだろう。長々とやっても下品にならないで済むのか。下品になると、まず必ず「笑ってしまう」で、バカバカしさで笑い草にしながら作者に付き合う義理なんかない。
上のエルセイラムのルシファー(ルイ)は女を犯すにも暴力で、悪魔なのに悪魔的誘惑はしない。今読み返してないが、スレイマン王子は性技の手練れのような人物だったはずだけど、性技らしい攻めはなく、やっぱり暴力。『ダビデの刻印』は性愛がテーマだったと思ったけど実はこういうことはしてないな、と思い出していた。そのおり取材して熟知していたらその作者は書かないわけない。レーベルの違いなんかは当時、あってなきものだろう。
スニーカーやログアウト冒険文庫ではレイプはしてもいいけど、じっくりと章を費して弄び官能のとりこにするような書き方をしては「エロ本」になったのかな、当時。嘆声するような気づき。なんでだ。
「性奴隷にする」「黒魔術」という語りならライトノベルでもその基準をクリアしたのかもしれない。「これは悪いことです」と表示すれば。愛に耽るのは良いことよ、といったら少年少女向けにダメ、かな。
でも、雅や千仞の人格は疑うような気分にはなり、千仞は若くして中国にわたり革命思想に情熱を燃やしたが、性愛術にも没頭して学んだ……というのも、(結局革命とは無関係にエロ魔人じゃないか?)のような脳裏に気分がはさむ。雅が清純は信じようがない。
それは、やおいだから不合理ではないんだよ。革命家の英雄は性の道にも貪欲にちがいない、どんなに淫れても美少年の本質は清廉なまま、という論理が通用するはず。