この間の出版年次は、Hunting the White Witch (1978)から二年以内で、The Birhgraveの「私」やヴァズカーの感情とSabellaの感情には共通部分があるのははっきりわかる。だけど作品は同年頃でもアズュラーンにはそれは言われないので、仮にタニス・リーの邦訳の全読者でもリー作品のイメージに、リー作品のコアにある感情のひとつがごっそり抜けて今に伝わっている、ぽいのだった。よほど敏感か、イズムや文化的に察しのある読者なら漠然と感じてはいるだろう。
The Birhgraveの「私」については、Sabellaが殺しを狩りと捉えて自分は無慈悲だと自認しているのに、「私は冷酷だ」とくり返すごとに「もう殺したくない」という裏腹な思いを強めていく、心の傷のようなものが、くり返している。
一昨日から読み始め、前回は『Electric Forest』。前回と同じくわたしの今読んでいる電子書籍は旧い版で、今はその販売ページもない。Electric Forestはかなり本文に脱字があった。主に、文末のピリオドが抜けている。今回も同様だろう。目次はついているけどページ表示に不備がある。
わたしのするレビューなどは、現行の版にリンクする。
作者による「まえがき」がついていて、2009年のもの。すでに毎回読んでいるけど、リーのまえがきは毎回結構面白い。これもElectric Forestのときに、当時の作品ジャンルのクロスオーバー的な状況のことに少し気になっていたけど、ちょうどここに作者によるそのコメントがある。やはりジャンル破りには当時、野心的なんだ。
あと、リーの原稿はいつも手書きで執筆していることも書いてある。現在形なので、2009年にも、おそらく晩年までそのようだったのだろう。
今この旧い電子版の誤脱は、いかにも10年以上まえの性能の悪いOCRを通して校正が足りてないような「光学的な誤り」ばかりなので、見ればわかる。読者には、見てわかればいいとはいえ、やはり本は手元に持っておくにはそういう不備のない、綺麗なほうがいいね。
Part Three, Chapter 2 より。
この感情と表現にはThe Birthgrave三部の最後に近く、with no companionという表現を思い出させる。リー作品の中では作品をまたいで連続しているテーマがいくつもあるが、これはなかなか注意して拾いづらい。
Companions on the roadは、そのタイトルでそれがある。わたしの今、未読作品でまだ挙がるかなと。
このたび、ここのトピックで逐一書き留めていないけど『Sabella』はすごく面白い、というかタニス・リーの作家の続きテーマとしても面白い、あれもこれも連想が繋がるようで、ファンとして当時熱心に追いかけていたらこれは面白かっただろうな。短いレビューではちょっと語りきれなさそうなものがある。
この間の出版年次は、Hunting the White Witch (1978)から二年以内で、The Birhgraveの「私」やヴァズカーの感情とSabellaの感情には共通部分があるのははっきりわかる。だけど作品は同年頃でもアズュラーンにはそれは言われないので、仮にタニス・リーの邦訳の全読者でもリー作品のイメージに、リー作品のコアにある感情のひとつがごっそり抜けて今に伝わっている、ぽいのだった。よほど敏感か、イズムや文化的に察しのある読者なら漠然と感じてはいるだろう。
The Birhgraveの「私」については、Sabellaが殺しを狩りと捉えて自分は無慈悲だと自認しているのに、「私は冷酷だ」とくり返すごとに「もう殺したくない」という裏腹な思いを強めていく、心の傷のようなものが、くり返している。
「11歳のとき」「14歳のとき」…とたびたび回想するが、Sabellaが結局いま何歳なのか文中からはどうもわからない気がする。だいたい二十代前半というイメージなくらい。はっきり年齢がわかるという箇所がどこかにあったかな? 今後再読のときのメモかもしれない。
というのは、この通読の間、リー作品のメインキャラクターの年齢設定を手元にメモしていて、はっきり何歳設定とあることとないこととどっちでもある。Sabellaはもしかしたら「19歳」かもしれない……それだとまた意味深な符合を空想してしまう。
Sabella、読了。やはり最後にはまた「The Birthgrave」の別のバージョンの再話のような印象も、少なからずする。
レビューを書くのは今夜もう疲れたかな。通読上のキーワードが多すぎる。「SFヴァンパイアもの」という当時のキャッチがここは基本。