猫の掲示板です。 猫についてお困りのことなど書き込めます。
AIは 人類を「頭が足りないアホ」にする
科学者どもは 元々、子供みたいな人種で、AI解発が、鬼の首でも取ったかのような栄光に思っているが 人類がアホになるとは分からない
ローマ教皇が 真実を警鐘している
見出し・・教皇レオ14世が、AIに警鐘 バベルの塔の再来と2級の人間の誕生
ローマ教皇レオ14世は米国時間5月25日、自身初となる回勅のなかで、AIや大規模な自動化、急速な技術進歩によって現代版の「バベルの塔」が建設されていると警告し、強欲や不道徳、人間の生命に対する敬意の欠如などによって特徴づけられる、黙示録的な世界観を共有した。
レオ14世は25日、『マニフィカ・フマニタス(壮大なる人類)』と題された83ページの回勅を発表し、資本主義、反移民政策、そして人間がもつ技術的な野心についての見解を述べた。この回勅はすでに、ここ数十年で最も勇敢な意見の1つであるとの評価を集めている。
回勅の大部分ではAIの急速な進歩と社会実装に焦点が当てられており、テック企業が政府よりも強大な権力を持ちつつあるとの見方が示されている。また、AI経済は奴隷制社会に類似しており、「2級の人間」を生み出すことになるだろうとの警告もなされた。
レオ14世は、新たな「バベルの塔」が建設されるリスクを示唆することで、最も重大な警告を発した。旧約聖書に登場するバベルの塔は、天まで届く塔を建てようとした人間の傲慢さと度を越した野心を阻止するため、神が1つの言語によって結束していた人間の言葉を混乱させ、互いに意思疎通ができないようにして団結を挫いたという物語だ。
人類が築きあげようとしているのは長期にわたって人間の管理下に置くことが不可能なシステムであり、最終的にはそれによって貧困層とエリート層との格差が広がり、互いの共感が損なわれ、人間の価値そのものに格差が生まれることになると教皇は指摘している。
その他にも、レオ14世は反移民政策に対する厳しい非難を表明し、現代の資本主義を痛烈に批判したほか、環境破壊は貧困層に対する道徳的な犯罪であると示唆した。
■現代版「バベルの塔」
テクノロジーが発展し続ける中、教皇は人類が「新たなバベルの塔を建設するか、あるいは神と人類がともに暮らす都市を築くか」の選択を迫られていると述べた。聖書で語られるバベルの塔の物語は、神と肩を並べる都市を築こうとする人間の試みを伝えている。
「都市が傲慢さと自己完結の主張の上に築かれるとき、コミュニケーションは崩壊し、言語は混乱して人々はもはやお互いを理解できなくなる。その結果は団結ではなく、離散である。バベルの塔の物語はしたがって、どれほど壮大であっても、自己肯定から生じ、効率性のために人間の尊厳を犠牲にし、神の祝福なしに天に届こうとするあらゆる試みの限界を明らかにしている」とレオ14世は述べる。
「そうであれば、我々は『バベル症候群』、すなわち、弱者を犠牲にすることによって生まれる利益とそれぞれの違いを無くす画一性への傾倒、そして、たとえそれがデジタルな言語であっても、単一の言語が個人の神秘を含むすべてをデータやパフォーマンスに変換できるという思い込みを避けなければならない。今日ではそれは技術的な装いをまとっているものの、人間性を奪う危険性、つまり、神を排除し、他者を手段として利用するような未来を構想する危険性は、古く、かつ常に新しい誘惑なのである」
「時効」の中断
日本で、罪を犯しても ある期間 逮捕されず逃げ切ると「時効」があり、逮捕できない法律になっている
時効は「罪状」により「時効の期限」が決められている
しかし「国外逃亡」すれば「時効が中断」され逮捕される
なぜ「時効により罪が問われなくなる」のか 何時までも罪を問うと裁判所は 次々に終わりなき事件が山積してしまい「裁き切れなく成る」ため、法的に「時効」が認められている
国外逃亡したため「時効が中断」され 30年後 逮捕された男 カルロス・ゴーンも国外逃亡したので 時効の中断で いまだ逮捕される立場
見出し・・<フィリピン逃亡30年>フィリピン逃亡30年 奪った金握り空港へ 拘置所からの独白
奪った金を握りしめ
長い、長い逃亡生活を終え、容疑者として捕まった。
2025年10月、相原久仁雄(62)は成田空港で30年ぶりに日本の土を踏んだ。
周りを警視庁の捜査員が囲む中、搭乗口には報道陣によるカメラの放列があった。顔を下げず、口を真一文字に結んだ。
後に相原は記者に明かす。
「捕まった時は『ああ、ついに来たか』ですよ。一生、日本に戻ることはないと思っていましたから」
結局、フィリピンで拘束され、日本に連れ戻された。時効が止まっていた強盗傷害事件の容疑者として。
人生の半分、30年もの月日を注いだ逃亡とはいったいどんなものなのか――。
面会や手紙を通じて彼が語ったのは、もはや「逃避行」を超えた歩みだった。
◇31歳、強盗の誘いに乗る
東京・蒲田。駅前に小さな飲食店がひしめき合う下町は、再開発が進んだ今も昭和の面影を残す。日本を追われるように出て行く前、相原はこの街で暮らした。
密教・・最澄と空海
平安時代、桓武天皇が、西暦804年 最澄と空海を「遣唐使」として「唐に派遣」する
唐に入唐した最澄は「唐の天台山」の国清寺と龍興寺で「密教」を学び 翌年805年 日本に帰国
比叡山で「天台宗」を開く
他方 空海は 唐に残り「サンスクリット語の仏典」を 音写語で「漢字の仏典」に直していたインド人僧侶三蔵からサンスクリット語を学び 三蔵からサンスクリット語の仏典と中国語の仏典を授かる
さらに唐の都・長安の青龍寺で 密教の太祖・恵果から密教を学ぶ
恵果は 日本に密教を広める為、3か月で 密教の全てを空海に「伝授」する
こうして恵果から密教の全てを伝授された空海は西暦806年 日本に帰国 高野山で「真言密教」を開く
空海の真言密教とは「即身成仏」で「真言を唱える」ことにより大日如来と「一体化」できるという「即身成仏」の教えが、真言密教の本義
そのため最澄は、空海よりも7歳ほど年上だったが 年下の空海から「密教」を習うため145人の弟子たちを引き連れ
空海の「弟子」になり、西暦812年 阿闍梨の空海から「灌頂(かんじょう)」を受ける
灌頂とは 阿闍梨の空海が 弟子たちに密教を授けたという儀式のことで 空海が 密教を授けた僧侶の頭に「水を灌ぐ儀式」を灌頂と言う
しかし 空海は最澄に 密教の全てを伝授しなかったので 最澄は空海に「何時になれば密教」を伝授してくれるのか尋ねる
空海は3年掛かる というので 最澄は3年間も天台宗の弟子たちを放って空海に3年間も弟子入りできないので
最澄は、弟子の「秦範(たいはん)」を空海に預け 比叡山に帰る
ところが 最澄の弟子だった「秦範」は 2度と最澄の元には「戻らなかった」
そのため「秦範」を巡り 最澄と空海は「対立関係」に陥る
人道的には、最澄の方が空海よりも年上だったので「常識性」では 最澄の方が優れていた
だから後の朝廷や幕府は「天台宗」を「擁護」していた
これが室町時代 天下取りを狙う織田信長の「比叡山焼き討ちの令」に繋がる
空海の「怨霊信仰」
空海は、真言密教で「怨霊信仰」の教えを広めた僧侶
「恨みを抱き死んだ故人の霊魂は 天上界の神となり 天皇をも見下し、恨みを晴らすため、雷を落とし 疫病を流行らせる」と説く
なぜ空海が「怨霊信仰」を説いたのか?
その理由は「桓武天皇」が、奈良時代の「聖武天皇」が奈良に築いた「平城京」を長岡に「遷都」しようとして 桓武天皇に忠誠を誓っていた「藤原種継」に 長岡京の建設を任せる
ところが 長岡京の建設を任せられていた「藤原種継」が 何者かによって「暗殺」されてしまう
ところが 桓武天皇の弟だった「早良親王」と 桓武天皇から「長岡京の建設」を任せられていた「藤原種継」は 日頃がら仲が悪く 藤原種継の暗殺は「早良親王」が 犯人とされ
桓武天皇は、弟の早良親王の地位を剥奪 淡路島に流刑する
この流刑の途上 早良親王は無実を訴え 断食 餓死してしまう
そのため 桓武天皇は 長岡京は「早良親王の怨霊」が祟っている、として長岡京を諦め、京都に「平安京」を築く・・これが「平安時代」
そのため藤原種継の一族が 次々に「病死」してしまう
そのため平安時代 空海が「怨霊信仰」で 恨みを抱き死んだ故人の霊魂は 天上界の神となり、天皇をも見下し 雷を落とし 疫病を流行させ恨みを晴らす」と説く
そのため怨霊信仰で 怨霊を鎮めるため「御霊会(ごりょうえ)」が行われるようになった
そのため 同じ平安時代「宇多天皇」から 才能を認められ右大臣になった「菅原道真」を右大臣に抜擢
しかし宇多天皇の死後、宇多天皇の息子の「醍醐天皇」になり 醍醐天皇の弟だった「斎世(ときよ)親王」と 菅原道真の「娘」が結婚
そのため菅原道真は 皇室とは「姻戚関係」となる
そのため 左大臣の「藤原時平」が 右大臣の菅原道真を蹴落とす為・「道真が 天皇の座を狙っている」として醍醐天皇に告げ口
そのため醍醐天皇は 道真を京都の平安京からから追放、大宰府に左遷 大宰府の地で没した「菅原道真」も 菅原時平と醍醐天皇に「恨みを抱き死んだ」との噂が広まり
道真の怨霊を鎮めるため 御霊会が催される
しかし 藤原一族が 次々に病死してしまい 遂に 藤原時平も病魔に倒れる
この時の様子を描いた絵巻物が 北野天満宮に奉納されている
このように「空海が怨霊信仰」を説く
この空海の「怨霊信仰」は「こじつけ」ではなく「現実」で ・・人は他者に「恨みを売る」ような言動を行うと・・ああ アイツを地獄に落としてしまった・・アイツは恨みを抱き死んだのだろうという思いに駆られ
「自責の念と後悔の念」で 怨霊の姿や声を「幻覚」してしまい 悩み続けストレスに陥り「免疫力が低下」
「がん」などの病魔に侵されてしまう、これを説いたのが 現代の「安保徹」教授
だから 恨みを抱かせるような言動は「してはならない」
高市総理は 中国政府に「恨みを抱かせる発言」をしているので 何時の日か 中国政府が、高市総理に、恨みを晴らす時が来るかもしれない
中国政府に 恨みを売った高市総理
高市首相の“一言”に中国が大激怒するワケ…習近平を追い詰める「3つの深刻事情」
強い怒りを示しながらも制裁措置には慎重な中国 高市早苗首相が11月7日の国会答弁で、台湾有事が発生した場合、日本の集団的自衛権行使の前提となる「存立危機事態」に該当しうるとの認識を示した。
この発言は従来の政府解釈や安保法制の枠内に収まるものであるにもかかわらず、中国政府は即座に批判して、その後、制裁の可能性を示しながら答弁の撤回を厳しく求めた。
中国外交部はその後も、強烈な表現で何度も非難声明を発表し、日本産水産物の輸入停止や日本向け渡航の注意喚起を公告するなどの制裁措置をとりはじめた。
11月18日に日中外務省の局長級協議が北京で行われた際、中国外交部の劉勁松アジア局長がポケットに手を突っ込み、険しい表情で日本外務省の金井正彰アジア大洋州局長に応対する映像が公開された。これは中国側が日本に対して高圧的に対応している演出をしたと考えられる。
なぜキスをするのか?
学者の癖に 実態が分かってない
見出し・・・人がキスをする本当の理由 2100万年前の祖先から続く、進化生物学の物語
人間のキスの歴史は、約2100万年前、中新世の熱帯雨林の樹冠から始まる。そこでは、私たちの類人猿の祖先たちが、ロマンスとは無関係の、生存に直結する理由から、唇を重ねていた。
まずは、最大の誤解を解いておこう。キスというもの、少なくとも唇を合わせるという行為そのものは、人間だけのものというわけではない。とはいえ、「人間特有のもの」という感覚は、直感的には理解できる。私たちは、この行為を中心に文化の体系を築き上げてきた種だからだ──約4500年前のメソポタミアの粘土板に刻まれた最古のキスの記録から、地球上のあらゆる社会の求愛、挨拶、別れの儀式に至るまで。
だからこそキスは、私たちに特有のものであるように感じられる。しかし、生物学はそうではないと示唆している。
チンパンジーはキスをする。ボノボもキスをする。オランウータンは、社会的緊張や和解の場面で唇を重ねる。『Evolution and Human Behavior』で2025年に発表された英オックスフォード大学の研究では、霊長類の系統樹における「キスの進化」の歴史が追跡された。
研究論文の著者らはこの行動について、人類及びすべての大型類人猿の共通祖先、つまり、私たちの種が出現する約2100万年前にさかのぼる可能性が高いと結論づけた。
絶滅した近縁種であるネアンデルタール人も、ほぼ間違いなくキスをしていた。この結論は、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人が唾液の交換を通じて口腔内細菌を共有していたこと、そして、両者が交雑していたという証拠によって裏付けられている。
つまり問題は、なぜ人間はキスをするのかということではない。もっと興味深いのは、なぜ私たちはこれほどまでに、文化的な重みと神経化学的な強烈さ、感情的な影響を伴うような形でキスをするのかということだ。
■人間のキスにまつわる進化上の難問
話を進める前に、その行動を正確に定義しておこう。種間比較を行うため、研究チームは、ロマンチックなイメージを排した定義に落ち着いた。キスとは、食物の受け渡しを伴わない、非攻撃的な口と口の接触だ。
この定義は、魅力に欠けるかもしれない。しかし、この最小限の定義でさえ、太古から深く根付いた何かを捉えていることがわかった。だが、キスが科学的に不可解であるのは、従来のダーウィンの論理に従えば、そもそも存在してはならないはずだからだ。
口と口の接触は、病原体の伝播において、極めて効率的な経路だ。唾液には、数百種の細菌や多数のウイルスが含まれており、そのなかには深刻なものもある。この行動は、直接的なエネルギーの確保につながるものではないし、防御につながるものでもない。少なくとも表面的には、生存確率を高めるものではない。それどころか、進化の帳簿という冷徹な視点から見れば、それはコストのかかるものだ。
それにもかかわらずこの行動は、人間だけでなく、数百万年にわたる霊長類の進化においても存続し、私たちの系統の歴史における生態系の大変動をすべて乗り越えてきた。
2025年の研究の筆頭著者であるオックスフォード大学の進化生物学者マチルダ・ブリンドル博士は、これを「進化の難問」と表現している。この表現は的を射ている。明らかな利益がなく、真のコストを伴う行動は、時間の経過とともに淘汰されるはずだ。それにもかかわらず、キスが淘汰されず、むしろ私たちの系統がより複雑になるにつれて、深まり多様化したという事実は、それ自体が示唆を与えてくれる。
つまり、キスとは、すぐにはわからない形で、生物学的にそれだけの価値があるということだ。その仕組みを説明するため、3つの仮説が提唱されている。
■人間のキスに関する3つの仮説
手入れすべき厚い毛皮がない生活では、口を使った接触は、衛生的な機能から切り離され、新たな社会的意味を獲得する余地が生まれた。その行動はすでに存在しており、私たちの行動レパートリーに組み込まれていた。進化は単に、その用途を変えたにすぎない。
免疫機能の中心を担う遺伝子群である「主要組織適合遺伝子複合体(MHC:major histocompatibility complex)」に関する研究により、人間は無意識のうちに、自分とは異なるMHCプロファイルを持つパートナーに引き寄せられることが明らかになった。そのメカニズムは、主に嗅覚によるものと考えられる。
『Proceedings of the Royal Society B』に発表された1995年の研究では、女性は一貫して、自分とはMHCプロファイルが異なる男性が着用したTシャツの香りを好むことが示された。
その進化論的根拠は単純明快だ。MHCプロファイルが異なるパートナーのあいだに生まれた子どもは、より幅広い免疫レパートリーを持ち、より多様な病原体と戦う能力を持つ。MHCプロファイルの相違が大きいカップルほど、体外受精による妊娠成功率が高く、妊娠間隔は短く、流産率が低い。
親密さや、身体的な接近、唾液の交換を伴うキスは、私たちがこうした遺伝的な情報を得るためのメカニズムなのかもしれない。つまり、初めてのキスがうまくいかないのは、テクニックの問題ではなく、あなたの免疫系が何かを伝えているのかもしれない。
以上3つの仮説を総合すると、それらは互いに競合し合う説明ではなく、互いに補完し合う重層的なレイヤー(層)と言える。キスはおそらく、グルーミングとして始まった。その後、遺伝的評価の手段として取り入れられた。そして、それが進化の過程で維持されてきたのは、キスがもたらす強力な神経化学的報酬のためだ。
それぞれの層が互いを強化し合い、社会的衛生の一形態だった行為を、人間の行動レパートリーの中でも最も感情的な行為の一つへと変貌させたのだ。
■人類にとってさえ、キスは普遍的なものではない
キスの起源を2100万年前までさかのぼったオックスフォード大学の研究では、ロマンチックあるいは性的なキスが確認されているのは、人類の文化の約46%にすぎないことも明らかになった。一部の社会では、この行為は広く行われ、儀式化されている。一方で、全く行われない社会もある。
これにより、2025年の研究で完全には解明されなかった疑問が生じる。ロマンチックなキスとは進化の結果ではあるが、一部の文化圏で後に抑制された行動なのか、それとも、特定の集団から広まった文化的発明なのかという疑問だ。
科学の現段階における正直な答えは、確かなことはわかっていない、というものだ。研究で明らかになっているのは、キスをする能力、つまり神経回路、化学感覚器官、神経化学的メカニズムが、霊長類に共通して見られる特徴であるということだ。これは、私たちの種が受け継いだものであり、その後、どこでどのように生きるかによって、極めて多様な形で発展してきた。
誰かに身を寄せると、2100万年前の何かが動き出す。それはかつて、中新世の森での毛づくろいのひとときを終わらせる行動であったし、祖先たちが、見知らぬ相手に適切な免疫プロファイルがあるかどうかを見極める手助けをした行動でもあった。そして、現代の脳にドーパミンやオキシトシン、そして寄り添うことの温もりをあふれさせるものでもある。
キスが、詩や文学、さらには西洋のロマンチック映画の古典的作品の大事なテーマになっているという事実は、進化論的な観点で言えば、「ボーナス(おまけの贈り物)」のようなものなのだ。
男女がキスをする理由
創造主は 動物を地球に誕生させた しかし無限の命ではなく 限りある「有限の命」
これでは創造主が せっかく動物を創造しても、DNAの末端部には テロメアという塩基配列を授けているので無限の命ではなく「限定的な有限の命」なので「絶滅してしまう」
そのため その動物の「種が絶滅しないよう子孫」を作り その動物の種が 絶滅しないよう「子孫が繁栄」するよう オスとメスに「生殖器」を授け
オスとメスが 生殖器を結合させ、オスが精子を メスの生殖器に射精すればメスの卵子と結合・・受精卵となり メスの子宮内で 生命体が 作られる
こうして創造主は 創造した動物の種が 絶滅しないよう 子孫を作る仕組みを授けている
ここで 子孫を作るために、まず「オスとメスの生殖器」を結合させるには オスの生殖器が メスの生殖器の中に「スムース」に挿入できねば
オスとメスは 生殖器で結合できず、子孫が作れないので オスの生殖器が メスの生殖器に「スムースに挿入できる」よう メスの生殖器から「ぬるぬるした油」のような「潤滑油」が分泌される
この「ぬるぬるした潤滑油」で オスの生殖器がメスの生殖器に「スムース」に挿入される「仕組み」になっていて
オスとメスは この生殖器を挿入した時の「ぬるぬるした感触」が、とてもない「快感」
キスも 男と女は 口内から ぬるぬるした唾液を分泌しているので 男と女が唇を合わせると 男女とも唇が ぬるぬるした感触で「オスとメスが生殖器で結合した感触」と「同じ」になり 男と女は「愛情的にも性的」にも満足する
だから 男女のキスでは 男女が「ベロとベロ」で「相手のベロを舐め合う男女」もいて ベロとベロが、ぬるぬる感で 男女は単に唇を合わせるより ずっと「愛情的にも性的」にも満足する仕組みになっている
つまり キスは 男女の「愛情的にも、性的満足する生殖器結合(性行為)」の「代償」行為がキス
キスは「本命となる子孫繁栄」の男女の性行為の「予備行為」がキス
学者の癖に そんな単純な事すら分からないとは なさきけない
さらに「オスの性感帯」は ペニスの「裏側(下部)」に集中していて「メスの性感帯」は ホール内面の上部(腹の方)に 性感帯が「集中」していて これを「G スポット」と言う
そのため「他の動物」は 交尾する際 オスが「メスの後ろ」から 生殖器を挿入すれば
オスの性感帯は「ペニスの下側」に集中していて メスの性感帯は「ホールの上部(腹側)」の方に集中しているので
「オスの性感帯(下部)」と メスの性感帯(上部)が「ぴったりマッチ」するので「この世のものとは思えない最高の快感」になる
つまり「動物の性行為」は「後背位」
創造主は子孫を作るため このような 最高の性的快感を 動物に授けている
ところが人間は 後背位で性行為せず 男女が腹と腹を 合わせて性行為する「正常位」
これでは 男性の性感(下部)と 女性の性感帯(上部)は「マッチせず」 最高の性的快感にならない
他の動物のように「後背位」の性行為のほうが 男女の性感帯が「マッチ」するので この世のものとは思えない最高の性的快感になる
なぜ 人間の男女は、腹と腹を合わせて性行為する「正常位」で性行為するのか 男女が「口と口を合わせキス」するために 腹と腹を合わせて性行為する正常位で性行為した方が キスができるので 愛情表現が 豊かになる
他の動物は 後背位で交尾するので 口と口で「キスできない」
つまり 他の動物は「愛情など関係なく」 ただ子孫を作るためだけの交尾
人間は「男女が愛情」の下で 子孫を作るので「愛情表現のキス」ができるよう 正常位で性行為
このようにキスは「性的欲情や愛情」を高め 男女が性行為するための「予備行為」がキスする理由
学者共は学問バカで「男女の本質」が 分かってない
なぜ中国政府が 高市総理を「非難」するのか
日本識者どもと、高市総理は「歴史に半可通」でよく分かってない
ロシアが「国連安保理」で 日本の軍国化を非難
見出し・・ロシア、安保理で日本批判 中国主宰、「再軍備」主張
国連安全保障理事会の今月の議長国、中国の王毅外相は26日、「国連中心の国際システム強化」をテーマにハイレベル会合をニューヨークの国連本部で主宰した。ロシアのネベンジャ国連大使は、日本が「再軍備」を推進し国連中心の国際システムを損なっていると批判した。王氏は日本に言及しなかった。
・・・日本は「明治政府」から「好戦的な軍国主義」の国家になる
理由は、江戸時代。日本全国には「剣術道場」があり 男どもは「剣術を修行する為」 に道場に通い 剣術の「腕前を磨き」 剣豪になっていた
剣豪になった男どもは 諸藩の大名が 他の大名と「戦う際」 剣術の腕前が優れた剣豪を「剣客」として「召し抱えていた」
こうして「剣術に優れた剣豪たち」が 大名に仕える「武士」
「武士」とは 大名に仕える「剣豪の事」つまり大名に「召し抱えられた剣豪」が[武士」
「大名に召し抱えられていない剣豪」は、ただの素浪人、こうして 大名に仕える剣豪(剣客)の武士たちは 主君の大名が 他の大名と「戦う際」 鎧・兜を身に着け 他の大名に仕える敵の武士を 殺戮していた
この大名に仕える「戦闘的な武士達」が 江戸末期 徳川幕府を「倒幕」し「明治政府を築いた要人」だから当然「明治時代」から 日本は「戦闘的な軍国主義」の国家になる
こうして明治時代「戦闘的な軍国主義」で「日清戦争に勝利」し「朝鮮半島と台湾」を「植民地化」
次に日露戦争でも勝利し 帝政ロシアが支配していた中国東北部(満州)を日本が支配する
こうして 日本人たちが「中国の東北部(満州)」に「移住」 こうして日本人たちが中国東北部(満州)を「支配」する、この「中国東北部(満州)」に「進駐した日本陸軍」を「関東軍」と言う
そして日本陸軍の参謀だった「石原莞爾と板垣征四郎」が 中国東北部(満州)の「吉林省」に 日本の傀儡国家「満州国」を建国するため
渤海に面する「大連」と 満州の内陸部の「吉林省の長春」を結ぶ「南満州鉄道」を建設する、こうして「昭和時代」になり 日本陸軍参謀の「石原莞爾と板垣征四郎¥は。中国東北部(満州)の支配だけでは飽き足らず「中国本土の侵略」を画策する
「中国本土」とは 万里の長城から「南部一帯」が「中国本土」で 漢王朝時代 前漢の武帝が 万里の長城の「東北部」を 領土化したので「中国東北部(満州)」という
日本は明治時代 日露戦争に勝利 帝政ロシアが支配していた「中国東北部(満州)の「支配権」を 帝政ロシアからポーツマス条約で「割譲」され 日本が 中国東北部(満州)を支配する
何故、中国東北部を 満州というのか この東北部は「満州族の居住地」だったので 日本は中国東北部を「満州」と呼んでいた
中国北東部 = 満州
この「中国東北部(満州)」の領土は「中国の領土」で 日本は この中国東北部(満州)を「支配する権利」だけ、こうして日本は 中国東北部(満州)に「南満州鉄道」を建設
そして時代は 昭和時代になり 日本陸軍参謀の石原莞爾と板垣征四郎は 中国本土まで 侵略しようと画策する、しかし 中国本土を 侵略する「大義名分」がないので 中国本土を侵略の「大義名分」を「捏造」する
1931年 日本の南満州鉄道の「柳条湖」という所の「線路」を 日本陸軍(関東軍)が「爆破」する・・自作自演
この爆破した犯人を 中国・国民党政権の「張学良」が 南満州鉄道の柳条湖の線路を「爆破した犯人」として「デッチ上げる」こうすれば 日本軍が 中国本土を侵略できる「大義名分」になる
しかし 中国・国民党政権の張学良は 柳条湖の線路を「爆破してない」ので柳条湖の近郊にある「奉天」で 日本軍と 中国・国民党軍が「戦闘」この戦闘が 満州の北部 ハルピン チチハルまで拡大
これが昭和時代1931年の「満州事変」
そのため中国・国民党政権は「日本軍から侵略された」として「国際連盟」に「訴える」この訴えに呼応して国際連盟が「リットン調査団」を 満州に派遣
リットン調査団は「日本軍による中国侵略を認定」 国際連盟に報告
そのため国際連盟の加盟国は 国連安保理で「日本を非難決議」する、こうして日本軍は 中国侵略が「できなくなり」日本は国際連盟を「脱退」する
しかし「運命は どう転ぶか分からない」
日本軍が 中国の「盧溝橋」という橋の近くで「軍事演習」していると 日本軍から 侵略されたと国際連盟に訴えた「国民党政権の兵士」が 軍事演習していた日本軍に 中国から叩き出すため 軍事演習していた日本軍に「発砲」
これは日本軍にとっては 中国による「戦争の挑発行為」で この1937年7月の「盧溝橋事件」を契機に 日本軍が 中国本土の侵略 開始する
この中国を侵略した日本兵士たちが 中国人を無差別に殺害したり 中国人婦女子を「手当たり次第に強・姦」さらに南京市民を 無差別に殺戮した 1937年12月の「南京虐殺事件」:
何の罪もない中国を 一方的に日本軍が「侵略・凌辱」した 歴史
他方 中国政府は「台湾を中国の一部」にするため 中国軍が 台湾の海で運ぎ演習で 台湾を軍事威圧していたので 高市総理は この台湾有事で「集団的自衛権」を行使する発言
この高市総理の発言は 日本が軍国主義で 中国とは 戦闘的に敵対する発言になっていたので、中国政府は、高市総理に「日本は また昔のように軍国主義の日本に戻るのか」高市総理を非難」
中国は 前述したように 1937年 盧溝橋事件を契機に 何の罪もない中国を一方的に「侵略した過去の歴史」があるため 高市総理を非難
他方 現在の中国政府は 1921年からソ連共産党が 軍事支援したので 今の中国共産党政府が存在しているので
中国と ソ連(ロシア)は「義兄弟の関係」
そのため、ロシア政府要人が 国連安保理で 日本の軍国化を 非難している「理由」かって日本は 明治 大正 昭和時代の「敗戦」までは「好戦的な軍国主義の国家」だった
戦後から 日本は 平和主義の国家に変貌したのである
しかし 高市総理は 戦争を知らない年代なので 戦闘的な「集団的自衛権の行使」発言
畳は「イグサ」という草で「畳の表」が作られている
「イグサ」は、昔 何処の湿地帯にも 自生していた自然界の草で、この「イグサ」で 「畳の表」を作っていた
そのため「新品の畳」には「イグサの匂い」がしていて、心地よい生活を送っていた
特に「備後(びんご)のイグサ」で作った「畳表」は、高級品だった
備後とは「現在の広島県の東部(福山)」の昔の地名
この「備後のイグサで作った畳表」を、室町時代、天下人になった「織田信長」が
安土桃山城を築城する際、備後のイグサで作った畳を用いている
見出し・・信長の安土城天守や宮中でも重用 最高級畳表「備後表」の歴史たどる 広島県立歴史博物館で企画展
福山市など広島県東部の伝統産品「備後表」にスポットを当てた企画展が、広島県立歴史博物館(同市西町)で開かれている。
資料約50点を集め、織田信長が安土城天守に用い、宮中や江戸幕府の指定銘柄として重用された最高級畳表の歴史をたどっている。
室町時代の文献には「備後筵(むしろ)」の表記が登場。寺の祭事用に購入された記録があり、格式高い場で使われていたことがうかがえる。
江戸時代には福山藩が特産品として備後表を奨励。材料のイグサは現在の福山市沼隈町産とし、藩の役人による品質検査を経るなど厳格なルールが確認できる資料もある。イグサ栽培から製品の出荷までの流れを一覧できる絵巻は、幕府御用達の畳師が現地視察して描いた。
ほかにも、備後発祥の製法で美しい艶を特長とする「手織中継(なかつぎ)表」の見本や織機を展示。文化庁の選定保存技術「手織中継表」保持者の来山淳平さん=同市=やイグサ農家を紹介するコーナーもある。
時代とともに備後表の需要は減り、イグサ生産も激減している。尾崎光伸学芸員は「全国に名をはせた伝統産業をどう受け継いでいくか。関心を持つきっかけになってほしい」と話している。
「目から鱗が落ちる」・・由来
これはイエス・キリストの言葉・・「叩けよ、さらば開かれん」に由来
見出し・・「目から鱗が落ちる」って仏教の言葉じゃないの?出典をたどると新約聖書に行き着いた
「目から鱗が落ちる」って仏教の言葉じゃないの?出典をたどると新約聖書に行き着いた 「目から鱗が落ちる」って仏教の言葉じゃないの?出典をたどると新約聖書に行き着いた
「目から鱗」、出典は意外にも新約聖書だった
「目から鱗が落ちる」と聞くと、何かが急にすとんと理解できたとき、つい口にしてしまう言い回しです。なんとなく仏教や中国の故事に由来する言葉だと思っている人もいるかもしれません。
実は私も、ずっと仏教由来の言葉だと思っていました。ところが出典をたどってみると、行き着くのは仏教ではなく、新約聖書でした。
出典は新約聖書『使徒行伝』
国立国会図書館の解説によると、「目から鱗が落ちる」の出典は新約聖書『使徒行伝』第9章です。現在の訳では『使徒言行録』とも呼ばれます。そこには、目から「うろこのようなもの」が落ち、再び見えるようになった場面が記されています。ギリシア語で書かれた原文にも、「うろこのようなもの」にあたる表現があるとされています。
およそ2000年前に記された新約聖書の一節が、いまの日本語の慣用句として残っているのです。
旧約聖書 と 新約聖書
旧約聖書は、ユダヤ教の聖典 新約聖書は、キリスト教の聖典
イエス・キリストは 悟り深い男性で 人民に こう諭している
「叩けよ さらば開かれん」
さらに、こうも 諭している
「神の物は神に返せ カエサルのものはカエサルに返せ」
このイエス・キリストの言葉が 悟りある「目から鱗が落ちる」言葉の由来
ところが ユダヤ教のイスラエルは、パレスチナ人から 居住地を「奪い」イスラエルの領土を拡大している
そのため 居住地を奪われたパレスチナ人たちが パレスチナ解放機構【PLO】を設立 ユダヤ教のイスラエルが奪った居住地を 返還するよう 現在の「パレスチナ戦争」
このパレスチナ戦争で ユダヤ教のイスラエルがパレスチナ人を 無差別に大量殺戮している
そのため 国際刑事裁判所が イスラエルのネタニヤフ首相を 犯罪人として「逮捕状」を発行している
ユダヤ教は キリスト教。イスラム教と「違い」 邪悪で強欲な宗教
「叩けよさらば与えられん」の意味は?
“求めよ、さらば与えられん”――これは、キリスト教のことをよくご存じでない方でも、どこかでお聞きになったことがある、キリストの有名な言葉です。
熱心に求めていけば、必ず与えられるという意味の、励まされる言葉です。
日銀が保有する「国債」が 45兆円の評価損
見出し・・日銀が国債で過去最大の評価損45兆円 金利上昇で前年の1.6倍に
日銀の国債保有残高と評価損益
日本銀行は27日、保有する国債を時価でみた評価損が、3月末時点で45兆4414億円だったと発表した。前年の約1.6倍に膨らみ、過去最大となった。日銀による大規模金融緩和策の転換に、中東情勢を受けた原油高、財政の悪化懸念などが重なって長期金利が上昇し、国債の市場価格が下落したことが響いた。日銀は「財務に問題はない」としている。
日銀が公表した2025年度決算によると、保有する国債残高は前年比7.8%減の530兆8695億円で、2年連続で減った。この額は簿価(取得時の価格)で、時価では485兆4280億円だった。簿価と時価を差し引きした評価損は、前年度の28兆6246億円から拡大した。
日銀は2024年3月に大規模な金融緩和策を転換し、同7月と昨年1月、同12月にも利上げに踏み切った。長期金利は上昇(債券価格は下落)し、大規模緩和時に大量に購入した国債の評価損が膨らんだ。
・・・この「報道の意味」は 安倍政権の時代 日本経済は「物価安」で「円の価値が高く」なる「デフレ経済」に陥った
この「物価安」で「円の価値が高く」なる「デフレ経済」では物価が安いので「消費者」にはプラス
しかし「物を作る生産者」にとっては「物価安」なので 穀物を作る「農家」や 物品を製造する「製造業者」は「破綻してしまう」
さらに「円の価値が高くなる」のでで「政府が抱える借金」の価値も高まり 借金が「増加」してしまうので
安倍総理は 逆に「物価高」で「円の価値が低く」なる 2%インフレ目標を掲げる
この政策は「日銀が行う金融政策」なので 日銀が「円の価値を低く」して「物価高」のインフレ経済にしたのが
日銀による「金融緩和」の政策
この日銀による「円の価値を低く」して「物価高のインフレ誘導」の為に 政府が「借金するために発行」していた国債を 日銀が「無制限に買い取る」・・「買取りオペレーション」を行う・・これが金融緩和・・アベノミクス
そのため「日銀」は 政府が借金する為に発行した「国債」を「多量に保有」していて
この「日銀が保有」する「多量の国債」の「価値が低く」なり 日銀は 保有する国債で「過去最大の評価損45兆円」もの 評価損になったという報道
簡単に言えば 政府の借金を日銀が「肩代わり」したのである その結果 日銀は45兆円もの評価損になった
こうして 現在 日本経済は「物価高の日本」になっている
帝政ロシア時代の残忍な「農奴制」
これは 米国も日本も変わりない
見出し・・ロシア史上最悪級の「悪女」100人以上の農奴を拷問した伯爵夫人ダリヤの末路
今から250年ほど前、18世紀のロシア帝国を治めていたのは、後に大帝と称えられる女帝エカチェリーナ2世でした。
彼女はヨーロッパの進んだ考え方を取り入れ、国を近代化しようと志した知的な指導者です。
しかしその足元では、領主が自分の土地で働く農奴を私物化し、絶対的な権力で支配する歪んだ仕組みが根深く残っていました。
そんな時代に、貴族社会を震え上がらせる凄惨な事件が発覚します。
領主であるダリヤ・ニコライェヴナ・サルトゥイコヴァという女性が、支配下にある100人以上の農奴に対し、長期にわたって執拗な拷問と殺害を繰り返していたのです。
そのあまりの残虐さから、彼女は後世「鬼女、血塗られた女領主」などと呼ばれることになります。
ダリヤの罪が異常だったのは犠牲者の数だけではなく、訴えが何度も握りつぶされ、被害者が主人のもとへ送り返され、虐待が長年にわたって続いていたことにありました。
今回は、ロシア史に残る「悪女」ダリヤ・サルトゥイコヴァについて解説します。
恐怖の邸宅 ダリヤ・サルトゥイコヴァは1730年、名門貴族の家に生まれ、近衛軍の将校グレブ・サルトゥイコフと結婚しました。
その残虐性が顕著に表れるようになったのは、1755年に夫が亡くなり、広大な領地と多くの農奴を相続してからです。 彼女はモスクワの邸宅や、モスクワ近郊のトロイツコエ村を中心に、農奴たちを日常的に虐待したのです。
被害者の多くは10代後半から20代の若い女性や、まだ幼い少女たちでした。 後の裁判では138件の不審死が調査対象となり、そのうち38件についてダリヤの直接的な暴行による死亡責任が認定されました。
彼女の暴力には共通した傾向がありました。 それは些細な理由で、例えば洗濯物のすすぎ方が不十分であるとか、床の掃除が隅々まで行き届いていない、などといった理由で激昂したのです。
自ら丸太や熱湯を用いて農奴を打ち据え、髪の毛を素手でむしり取る、厳冬期に裸で屋外へ放置する、懐妊中の女性に容赦のない打撃を加えて流産に至らせるなど、その行為は常軌を逸していました。
沈黙を破った告発者たち しかし農奴たちは、ダリヤの暴虐に対して無抵抗だったわけではありません。
記録によれば、何度も地方の役所やモスクワの当局に対して訴えを届け出ています。
しかしダリヤは有力な貴族家系との繋がりを持ち、役人たちに多額の賄賂を贈ることで、これらの告発を組織的に握りつぶしていました。 逆に訴え出た農奴たちが「主人に対する不敬」として処罰され、鞭打ちの刑に処された上で、再び彼女のもとへ送り返されるという事態が繰り返されていたのです
2人の農奴、サヴェーリーとエルモライが、決死の覚悟で当時のロシア帝国の首都サンクトペテルブルクへと逃亡し、即位したばかりのエカチェリーナ2世に直接訴状を届けることに成功したのです。
特にエルモライの訴えは悲痛なもので、彼はダリヤによって3人の妻を次々と殺害されており、その怒りと悲しみが女帝を動かしました。
新女帝エカチェリーナ2世は、自らを啓蒙主義的な理性に基づく統治者として位置づけており、法による秩序の確立を急いでいました。 彼女はこの訴えを重く受け止め、法務院に対して徹底的な調査を命じます。
これは、ロシア史上類を見ない貴族に対する大規模な司法介入の始まりとなりました。
法務院から派遣された捜査官ステパン・ヴォルコフらは、1762年から1768年までの6年をかけて、ダリヤの罪を裏づける証拠を集めていきました。
捜査官たちはダリヤの領地に入り、多くの証言を集める一方で、邸宅の会計帳簿や農奴の記録も徹底的に調べあげます。 ですが彼女は一貫して罪を認めず、捜査は証言や帳簿の記録を積み上げる形で進められました
法務院は最終的に、138件の不審死のうち38件について、ダリヤの直接的な暴行による死亡責任を認めました。 判決文は、その行為が懲戒の名目をはるかに逸脱した執拗な虐待であると断じています。
こ
女帝の裁きと永劫の沈黙 1768年10月、エカチェリーナ2世はダリヤに対して最終的な判決を下します。
その内容は、当時の貴族社会において極めて異例なものでした。 ダリヤは貴族の身分を奪われ、名を名乗ることも禁じられ、判決文では「怪物」と呼ばれるほど厳しく断罪されたのです。
まず、モスクワの赤の広場において、首に「この女は拷問者であり殺人者である」という銘板を下げられ、1時間にわたり晒し台に繋がれる辱刑に処されました。 ダリヤはモスクワのイワノフスキー女子修道院に送られ、当初は光の差し込まない狭い地下独房に閉じ込められました。 食事は小さな窓から差し入れられるだけで、外部との接触も厳しく制限されたのです。
その後、小窓のある房へ移されたとも伝えられますが、ダリヤは33年間を獄中で過ごし、1801年に71歳で没しました。 晩年には、窓の外を通る参拝客に罵声を浴びせたり、鉄格子を掴んで叫んだりすることもあったと伝えられています。
遺体はドンスコイ修道院の墓地に埋葬されました。
欧米も日本も かっては帝政ロシアの農奴制と変わりがない
15世紀の頃 西洋白人キリスト教徒たちは「白人こそが創造主が作った人間であり 有色人は人間ではない」と決めつける
これが「白人至上主義(人種差別)に「キリスト教がお墨付き」を与えた「人種差別の元祖」
そのため17世紀頃 白人でキリスト教諸国の欧州各国は 有色人の「アフリカ」を 羊の毛を刈るが如く侵略。植民地化した
西洋の小国ベルギーのレオポルト2世は、アフリカのコンゴを植民地化(ベルギー領コンゴ)とし コンゴ人に「重税」を課し 払わないコンゴ人の 両腕 両足を切断
コンゴ人から 重税を搾取 世界一の「大富豪」になっていた
英国も アフリカの巨大な湖を ヴィクトリア女王に因み「ビクトリア湖」と名付けアフリカのナイル川に生息する巨大魚ナイルパーチを ヴィクトリア湖でアフリカ人に養殖させ
英国人はナイルパーチの肉だけを 削ぎ落し食肉とし 西洋や 日本にナイルパーチの肉を輸出していて 日本では学校給食にナイルパーチの肉を使っていた
こうして西洋白人キリスト強国の西洋諸国は 有色人のアフリカ人を 虐待、奴隷化 が それでも飽き足らず アフリカ人を「商品」として扱い 奴隷貿易
アフリカで 奴隷船の船底に アフリカ人を すし詰めのように 詰めこみ 西洋に運搬
しかし 船底に詰め込まれたアフリカ人たちに 疫病蔓延 死亡すれば 海に放棄していた船主は アフリカ人に保険を掛けていたので アフリカ人が疫病で死亡しても「保険金が入る」
生き残ったアフリカ人は「西洋に陸揚げ」され「奴隷商人」や「貴族」が「セリ」でアフリカ人を競り落とす 生殖器がデカいアフリカ人男性は西洋の貴婦人たちが 性の慰め者に擦るためセリ落とし
肉体労働に耐えるアフリカ人の男女は、奴隷商人がセリ落とし 再度 奴隷船に詰め込み
当時、北米大陸ではアメリカ人が「西部開拓」時代で 北米大陸の南部が 農園地帯で 農園で アフリカ人を強制労働させた これがアメリカ人がおこなった有色人のアフリカ人に対する「人種差別」の「虐待の奴隷」
オバマ大統領の祖父も、アフリカ人で 同じ境遇を受けた一人
日本も同じで 平安時代 宇多天皇は 菅原道真の才能を見抜き 右大臣に抜擢する
しかし宇多天皇は 自分の息子の「敦仁(あつひと)皇太子」に天皇の座を譲位する
こうして 宇多天皇の敦仁皇太子は 17歳で「醍醐天皇」に即位する
ところが後醍醐天皇の弟・・つまり宇多天皇の次男で 斎世(ときよ)親王と菅原道真の娘が「結婚」
そのため菅原道真は 皇室の姻戚関係となり 左大臣の藤原時平が菅原道真を「蹴落とす」ため まだ未熟で17歳の醍醐天皇に入れ知恵
そのため醍醐天皇が 道真の右大臣の地位を剥奪、平安京から 道真を大宰府に追放
こうして朝廷は 未熟な醍醐天皇と左大臣の藤原時平が 朝廷を 我が物顔で支配
そのため 各地の豪族たちが山野を開拓 農地を拡大する為、農民や非人を奴隷として酷使
豪族たちは「広大な農地」を所有 領主(大地主)になる これが昭和時代まで続き 大地主は 小作人たちに 自分の農地を貸与 小作料を取り 農作物を栽培させていた
しかし 戦後 米国GHQの「マッカサー」は「農業改革」で 大地主が保有する広大な農地を 分割させ 小作人たちに 分け与えた
だから現代 農家は自分が所有する農地で 農作物を作れるようになっている
帝政ロシアだけが農奴で 残忍だった訳でなく 米国も日本も 弱者は 奴隷(奴婢)同然に扱われていた
奴隷(奴婢)以下で、人間として 扱われなかった人達が「非人」
アメリカ人
ウクライナは「何処の国が支配すべきか」の領土問題
これが ロシアと ウクライナのゼレンスキー政権とが ウクライナ㋾巡り「ウクライナ戦争」している「核心」
このウクライナ戦争は 1950年 朝鮮戦争から始まった 資本主義と 共産主義が軍事的に敵対する「東西冷戦」の「延長戦」がウクライナ戦争
そのため資本主義国と共産主義国の「教科書の説明」が「違っていて当然」
日本人識者どもは何時も頭がボケているので 肝心な核心チン玉が分からず4ページのグダ解説
見出し・・ロシアの教科書「ウクライナ侵略は人類の文明を救う行為」世界の歴史教科書を比較してわかった“国の価値観と政治的意図”
他国の教科書を覗き見ることで、自国の歴史教育のあり方が見えてくる
各国の歴史の教科書を読み比べると、その記述の仕方や学び方にはかなり差があることがわかります。本記事では、『世界の歴史教科書を読み比べてみた』の制作に携わった西岡壱誠氏が、ロシアの教科書の記述から見る歴史教育について考察します。
■「特別軍事作戦」を子どもにこう教える
歴史の教科書、と聞いて、多くの日本人が思い浮かべるのは「クロマニョン人」「四大文明」「メソポタミア」といった、人類の起源から積み上げられた淡々とした記述ではないでしょうか。年号を覚え、テストに備える。そんな“無色透明”なイメージかもしれません。
しかし、世界を見渡すと、教科書の姿は驚くほどバラバラです。何より興味深いのは、そこに国家の意思や政治性が、最初の一行から色濃く滲んでいるということです。
例えば、ロシアの教科書を例に挙げましょう。2023年8月、ロシアで初めての国定歴史教科書が発表されました。『ロシアの歴史 1914-1945年』『ロシア史:1945-21世紀初頭』の2冊です。
編纂を主導したのは、元文化相で現大統領補佐官のウラジーミル・メディンスキー氏と、外交官・諜報員養成機関として知られるモスクワ国際関係大学学長のアナトリー・トルクノフ氏です。
衝撃的なのは、教科書のなかにこんな一文が現れることです。
「ウラジーミル・プーチン大統領がウクライナに対する『特別軍事作戦』を開始していなければ、人類の文明はおしまいだったかもしれない」
(注:本記事ではこのように教科書の翻訳を掲載していますが、いずれも原語からの翻訳を経たものです。翻訳の都合上、語感や細かなニュアンスについては原文と完全に一致しない箇所がある可能性がありますが、各記述の大意や論旨に違いはないものとお読みください)
つまり、主権国家への侵略戦争が、「人類の文明を救う行為」として描かれているのです。
教科書はさらに踏み込み、もしウクライナがNATOに加盟したのちに「クリミアかドンバスで挑発行動を起こし紛争を仕掛けていたら」、ロシアはNATO全加盟国と戦争になり、「そのようなことになれば、文明の終わりだったかもしれない」と主張しています。先制攻撃こそが世界を救った、という論理です。
西側諸国の描かれ方も鮮烈です。
ウクライナ戦争は「東西冷戦の延長戦」
この歴史的な詳細は、既に何度も投稿した
大昔 1200年代以前から ウクライナ ベラルーシ ロシアの3国は 同じ「スラブ人」だったので ウクライナの「キエフを首都」として3国統一
「キエフルーシ公国」を築いていた
ところが1200年代に入り ユーラシア大陸の東北部モンゴルのチンギス・ハンが ユーラシア大陸に「モンゴル帝国」を築く野望に燃える
そのためモンゴルの南部に位置する中国を侵略するがチンギス・ハンは 中国の「六盤山」で死去
そのため4代目の」モンケ・ハン」が チンギス・ハンの野望を引き継ぎ 弟のフビライにユーラシア大陸の東部一帯を 征服するよう命じ
もう1人の弟「フラグ」には ユーラシア大陸の西部一帯を征服するよう命じる
こうして モンゴル族フラグにより キエフルーシ公国は滅ぼされウクライナウクライナ ベラルーシ ロシアの「3国に分離」してしまう
ところが1600年代 ロシア人が「ロマノフ王朝」を築き「帝政ロシア」を築く
この帝政ロシア時代 外交手腕に優れたエカテリーナ2世が かってウクライナ ベラルーシ、ロシアは 3国一体化したキエフルーシ公国を築いていたので
エカテリーナ2世は 帝政ロシアに ウクライナ ベラルーシを「併合」する
この併合で ウクライナのウクライナ人には 帝政ロシアからの「独立を目指す反ロシア派のウクライナ人」と ロシアに寄り添う「親ロシア派のウクライナ人」に「分裂」してしまう
これは 明治時代の「日韓併合」も同じで 朝鮮人には 日本からの「独立を目指す反日派の朝鮮人」 と 日本に寄り添う「親日派の朝鮮人」に分裂したのと同じ
ところが 第1次世界大戦の最中1917年、レーニンの「ロシア革命」で 帝政ロシアが 共産主義の「ソ連」になる
共産主義のソ連になっても ウクライナとベラルーシは「ソ連に併合された儘」
そして次は1939年 ドイツヒトラーとソ連スターリンが 互いに戦争しない「独ソ不可侵条約」を締結、同年1939年から 第2次世界大戦に突入
ところが 2年後の1941年 ドイツヒトラーは ソ連の領土が必要になり 独ソ不可侵条約を「一方的に破棄」
ドイツ軍(ナチス)が ソ連のレニングラート スターリングラード侵略
ここで ソ連に併合されていた「ウクライナの反ロシア派」が「ナチスに加担」ソ連に銃口を向ける
だから「ロシアのプーチン」が テレビで・・「ウクライナの反ロシア派はナチスだ」と発言していた理由
そして今度は1950年 朝鮮戦争で 資本主義と共産主義が「軍事的に敵対」する「東西冷戦」時代に突入
そのため資本主義の米国は 共産主義に「対抗」するため 資本主義の諸国を結束させた「北大西洋条約機構(NATO)」を結成
対する共産主義のソ連も 資本主義に「対抗」するため 共産主義の諸国を結束させた「ワルシャワ条約機構(WTO)」結成
ここで ソ連に併合されていた「ウクライナ ベラルーシ」も 共産主義の「ワルシャワ条約機構(WTO)」に「加盟していた」
しかし「東西冷戦」では 共産主義諸国が加盟する「ワルシャワ条約機構」が 資本主義諸国が加盟する「北大西洋条約機構」より「軍事的に劣勢」で
1991年 ソ連ゴルバチョフ書記長が 東西冷戦の「原因」になっていた ソ連共産主義を「解体」する、そのため 1991年、共産主義の諸国が 加盟していた「ワルシャワ条約機構(WTO)」も「解体」する
そのため共産主義の「ワルシャワ条約機構に加盟」していた「ウクライナ・ベラルーシ」は「ソ連から独立」する、そして国号が ソ連から「ロシア連邦」に国号が 変更
ロシア連邦から 独立した「ウクライナ」には 前述したように、帝政ロシア時代から 「ロシアからの独立を目指す反ロシア派」と ロシアに寄り添う「親ロシア派のウクライナ人」に分裂していて
ロシアから「独立」すれば、当然の成り行きで「独立派で反ロシア派のウクライナ人」が ウクライナに「反ロシア派の政権」を樹立する
しかしウクライナにはロシアに寄り添う「親ロシア派のウクライナ人」もいるので
反ロシア派の政権を「糾弾」今度は ウクライナに「親ロシア派のヤヌコビッチ政権」が 樹立される
しかしウクライナには「反ロシア派」もいるので 親ロシア派のヤヌコビッチ政権を「糾弾」
この当時 米国は、オバマ大統領で 副大統領は「バイデン」
バイデンが ウクライナの「反ロシア派」を「支援」
そのためウクライナの「親ロシア派のヤヌコビッチ政権」は追放され ロシアに亡命、こうしてウクライナには「反ロシア派の政権」が樹立された
この「反ロシア派の政権」が 現在の「反ロシア派のゼレンスキー政権」
ウクライナのゼレンスキー政権は「反ロシア派」なので 米国主導の北大西洋条約機構(NATO)加盟を希望、
ここで もし ウクライナの「反ロシア派のゼレンスキー政権」が NATOに「加盟」すれば
ロシアにとって ウクライナは「敵国」になり ロシアは「ウクライナから攻撃されてしまう」
かっては ロシアの一部だった「ウクライナが敵国」になってしまう・・昨日の友は 今日の敵になってしまう・・子供でも分かる理屈
だからロシアのプーチンは ウクライナの「反ロシア派のゼレンスキー政権」を「打倒」し ウクライナに「親ロシア派」の政権を 樹立するため
ロシア軍が「ウクライナ侵攻」した理由
だからプーチンはテレビで「これは戦争ではない」と言っていた理由
反ロシア派の政権を打倒し 親ロシア派の政権を樹立するために「ウクライナ侵攻」
プーチンは デタラメを言っていない デタラメは 米国バイデン
ところが ウクライナのゼレンスキー政権は「反ロシア派」なので ロシア軍に「銃口を向けてしまい」 ロシアプーチンと ゼレンスキーが ウクライナを巡り「ウクライナ戦争」に発展
ウクライナ戦争は 東西冷戦の「延長」
なぜ織田信長が 浅井長政と朝倉義景を 滅ぼすことができたのか
ある識者が 延々と理由を解説しているが 次の投稿で 理由を簡単に説明
見出し・・信長は、なぜ浅井・朝倉を滅ぼせたのか?裏切りと悲劇が招いた「二大勢力」の最期とは?
天正元年(1573)8月から9月にかけて、織田信長は長年にわたり対峙してきた浅井氏・朝倉氏という二大勢力を相次いで滅ぼした。両氏は信長包囲網の中核を担った存在であり、その滅亡は戦国の勢力図を大きく塗り替える転機となった。
では、なぜ浅井氏と朝倉氏は、短期間のうちに相次いで崩壊することになったのか。その背景には、信長の迅速な軍事行動だけでなく、重臣や一族の裏切りが大きく影響していた。本稿では、浅井・朝倉滅亡に至る一連の戦いの経緯を追っていきたい。
湖西から攻勢開始――木戸・田中両城を攻略 天正元年(1573)7月26日、京都を発った信長は、巨大船に乗って近江高島郡へ出陣した。近江高島郡は、江北の浅井氏と越前から南下する朝倉氏の合流地点にあたる重要な地域だった。
信長は陸路からも軍勢を差し向け、木戸城(滋賀県大津市)、田中城(同高島市)を次々と落とした。木戸・田中の両城は、明智光秀に与えられた。この勝利により、湖西方面において織田方は優位な立場を確立したのである。
相次ぐ寝返り――浅井方内部の動揺 同年8月になると、浅井氏の配下にあった阿閉氏、浅見氏が相次いで信長方へ寝返ったので、朝倉・浅井連合軍は不利な状況に傾いた。同じ頃、越前の朝倉氏は余呉、木之本(以上、滋賀県長浜市)まで出陣し、信長軍と交戦したが、信長は自ら出陣して朝倉軍を蹴散らすと、そのまま逃げる敵を追撃した。
織田軍は越前へ退却する朝倉軍を追い続け、敦賀(福井県敦賀市)付近に至るまで戦闘を繰り広げた。この戦いで朝倉軍は約3000の兵を失い、一族や重臣にも多くの死者が出たと伝えられている。朝倉氏にとって、極めて大きな打撃となったのである。
一乗谷放棄――名門朝倉氏の崩壊 同年8月、織田軍が敦賀から越前国内へと攻め込むと、義景は本拠である一乗谷(福井市)を捨て、賢松寺(福井県大野市)へ逃亡した。一乗谷に住んでいた武士や町人たちも織田軍を恐れ、散り散りになって逃げ出した。
8月20日には、朝倉景鏡(義景の従弟)が織田方へ寝返るという決定的な出来事が起こる。これにより義景は完全に孤立し、最終的に自害して果てた。こうして、越前の名門・朝倉氏はここに滅亡したのである。
次なる標的は浅井氏――小谷城への総攻撃 朝倉氏を討った信長が次に矛先を向けたのは、かつて同盟関係にあった浅井氏である。8月26日、越前を発した信長は、浅井氏の居城・小谷城に近い虎御前山(以上、滋賀県長浜市)に陣を敷き、総攻撃の準備を整えた。
翌8月27日、羽柴(豊臣)秀吉が小谷城の京極丸に攻め込むと、戦況は一気に動いた。その翌日には、長政の父・久政が自害に追い込まれたのである。この時点で、浅井氏の命運はすでに尽きかけていた。そして9月1日、小谷城はついに落城し、当主・長政も自害して果てた。
長政の妻であるお市(信長の妹)と娘3人(茶々、初、江)は辛うじて城を脱出することに成功した。しかし、嫡男でわずか10歳の万福丸は織田軍に捕らえられ、関ヶ原(岐阜県関ヶ原町)において磔刑に処せられたという。3人の娘はその後、信長のもとに引き取られたが、これにより浅井氏は完全に滅亡したのである。
二大名門の滅亡がもたらした歴史の転換点 こうして天正元年(1573)、越前の朝倉氏と江北の浅井氏という二大勢力は、わずか1か月余りの間に相次いで滅亡した。この戦いで大きな軍功を挙げた羽柴秀吉には、浅井氏の旧領が与えられた。
のちに天下人へと成長していく秀吉にとって、この時の活躍は重要な転機となったといえるだろう。そして、浅井・朝倉という信長包囲網の中核勢力を失ったことで、信長の天下統一への道は大きく開かれていくことになったのである。
※今後もこのテーマで記事を投稿して参りますので、フォローして温かく見守っていただけたら嬉しいです。
織田信長が 浅井長政と朝倉義景を 滅ぼすことができた理由
室町幕府は「足利尊氏」が「自分の天下を築く」ため 後醍醐天皇を「裏切り」 代わりに「光明天皇を擁立」し
光明天皇の「威光を利用」し 征夷大将軍となり 足利尊氏が 室町幕府を築く そのため 足利尊氏が築いた室町幕府は「実力がない軟弱な幕府」
そのため 室町幕府は「衰退に向かう」
こうして室町幕府が 12代征夷大将軍だった「足利義信」の時代 12代征夷大将軍の足利義信には 長男の「足利義輝」と 次男の「足利義昭」がいて
長男の「足利義輝」を室町幕府の「13代目の征夷大将軍」にする
次男の足利義昭には 征夷大将軍の地位を継承する資格がないので 次男の「足利義昭」は出家 僧侶になる
つまり 室町幕府は「衰退」に向かっていた為「諸藩の大名たち」は 衰退している室町幕府の征夷大将軍に「従わなかった」
しかし 近江の大名だった「浅井長政」と 越前の大名だった「朝倉義景」は 衰退していた室町幕府に「忠誠を誓っていた」
しかし三河の大名だった「織田信長」は 自分が「天下人」になるために「室町幕府」の 征夷大将軍を「支配させねば天下人になれない」ので
織田信長は前述したように「出家して僧侶になっていた足利義昭」を 15代の征夷大将軍に祭り上げれば 室町幕府の征夷大将軍・足利義昭を「操り人形」にして
織田信長は 室町幕府を支配し 天下人になれるため 僧侶になっていて征夷大将軍の「資格がない足利義昭」を 室町幕府の15代征夷大将軍に「祭り上げる」
こうして15代征夷大将軍になった足利義昭は 織田信長の「操り人形」になってしまう
そのため 15代征夷大将軍になった足利義昭は 家臣である三河の大名「織田信長」の「操り人形にされていた為」
「足利義昭征・夷大将軍」は、織田信長を「不忠義な裏切り者」として 諸藩の大名たちに織田信長を「討ち取る」よう命じる
そのため室町幕府に「忠誠を誓っていた浅井長政と朝倉義景」が 不忠義者の「織田信長」を成敗しようとする
つまり 織田信長と 浅井・朝倉は「敵対関係」になる
しかし織田信長が 室町幕府を「実質的に支配」していたので 諸藩の大名たちは 織田信長に追従
こうして 駿河の大名だった徳川家康が 織田信長と 連合を組み
浅井長政と朝倉義景を「滅ぼし」 織田信長が、天下人に向かい 遂に室町幕府を滅ぼし「安土桃山時代」を築く
頭の発達が、未熟な日本族
日本人は 世界一 頭が幼稚な民族で いい歳こいても、まだ子供レベル 先輩の娘も55歳になるが ま~~だ幼稚なゲームに熱中 シラけてしまう
75歳の女も いい歳こいて 言っていい事 悪い事すら分からないアンポンタン
高市もいい歳ぶちこいいて 言っていいこと悪い事すら理解できず かって罪もない中国を侵略 中国人を虐殺 婦女子を手当たり次第強・・姦しても 悪い事をした罪の意識もなく 中国に またもや戦争を売るような発言 中国政府を激高させている
それほど米国トランプの脱糞が大好きな証拠
中国政府は 明確に日本に対し 友好の握手を求めている
しかし「日本人は EQが世界一低い未熟児」で、それすら分からずNOタリン日本人どもが 中国を嫌っている
こういう日本人に限って臭い屁をこく 中国は 日本が弥生時代から 日本を 言語 文化で導いた恩師
日本人は 識者(学者・大学教授)でも 世界共通の常識が分からない子供民族
唯一 田中角栄だけは 中国と友好関係を築いた
見出し・・・日中関係悪化「根源直視を」 閣僚会談見送りで中国共同通信
中国商務省の何亜東報道官は28日の記者会見で、日本が日中関係悪化の「根源を直視し、正常な交流の条件を整えるよう求める」と述べた。
日本は22、23日に江蘇省で開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)貿易相会合に合わせ、赤沢亮正経済産業相と王文濤商務相の正式な会談を求めたが、中国側が応じなかった。
立派な女性
見出し・・「鮮血でトイレが真っ赤に…」32歳女性を襲った大腸がんの恐怖 「ステージ4でも人生謳歌」闘病発信を続ける理由
「私のように、何も分からないうちにがんが進行してしまう人を減らすことができれば」
大腸がんと闘う寝り子さん。体調によってはラーメンセットを平らげる【写真:本人提供】
ラーメンは「白米のおかず」というぐらい、食べることが大好きな女性の人生が一変した。2025年5月、32歳で大腸がんステージ4の告知を受けた。「リンパ節と肺への転移が確認されました」。一時は絶望に打ちひしがれ、不眠にも陥った。がん告知から約1年がたった33歳の今、抗がん剤治療を続けながら、体調によってはラーメン・チャーハン・ギョーザのセットを食べられるぐらいまでになった。YouTubeを通して、闘病生活を発信し続けている。「ステージ4でもこうやって人生を謳歌(おうか)できることを伝えたいです」。確かな勇気を届けている。(取材・文=吉原知也)
女性は、寝り子(ねりこ)さん。経理事務で働くごくごく普通の生活で、ラーメンや激辛グルメ、焼き肉が大好物。お酒もたばこもやらない。大きな病気とは無縁だった。
20代の頃、一度病院で「痔」と診断されたことがあった。それからは時折トイレットペーパーに血がつくことがあった。自分で対処して市販薬で「しのいでいました」。痔の検査が恥ずかしかったという理由も大きかった。
明らかな体の異変が生じてきたのは、25年1月。便器が真っ赤に染まるほどの出血が出始めた。「鮮血でトイレの水が染まって。次第に、レバーのようなものと一緒に出るようになりました」。ただ、痛みに関しては「我慢できない痛みではなかった」という。痔の悪化だと思い込んでいた。本格的な受診は足が遠のいた。
一般的に、大腸がんと痔の出血は見分けが難しい面があると言われ、勘違いに注意することが呼びかけられている。
寝り子さんは、ある日突然に歩けないほどの体の痛みに襲われた。限界を感じ、4月下旬、町医者に駆け込んだ。医師が診察を進めると、空気が変わった。「できるだけ早く大きい病院に行ってほしい」。GW直前の時期だったが、がんの可能性を示され、「仕事を休んででも、すぐに検査を」と強く促された。その後の精密検査で判明したのが、大腸がんステージ4、肺とリンパ節への転移だった。
告知を受けた日は「俯瞰(ふかん)して見ているようでした」と表現する。現実感がなかった。でも頭の中には、「余命」という言葉が絶えず浮かんでいた。
3姉妹の5人家族。何よりつらかったのが、両親への報告だ。誰よりも家族思いの寝り子さんは「今もそう思って行動していますが、家族を悲しませたくないと心に決めています」。できる限り前向きな言葉を選んだ。「これから頑張っていくね」。母は「ドラマの世界だと思っていた」と絶句、家族みんなで泣いた。
治療を始める一方で、当初は夜が怖かった。「目を閉じて、開けたらもう私はいないんじゃないか」。それまで死について深く考えたことのなかった30代前半の人生が急変した。一時は眠れなくなり、精神科のサポートを受けた。
心が変わり始めたのは、ある思考の転換からだった。「死んだらどうなるんだろう」から「生きるためにどうするか」へ。夜もぐっすり眠れるようになった。昨年冬ごろには精神科の薬が必要なくなり、今は飲んでいない。「一皮むけた感じです」と笑みを見せる
田中角栄は、他者を思う心があった
見出し・・なぜ田中角栄は「敵を作らない政治家」になれたのか?神楽坂の花街で磨いた“人たらしの極意”
田中角栄は、国会では雄弁な政治家として知られる一方、私生活では相手の話にじっくり耳を傾ける“聞き上手”だったという。その素顔を知るのが、花街・神楽坂で彼と交流した芸者たちだ。角栄の愛人の甥・山科薫と親交を持つ筆者が、その証言をもとに、相手を引き込む対人術の原点に迫る。
● 政界を夢見る若き田中角栄と 芸者・円弥が出会うまで
山科薫、本名山梨貢。1957年7月14日生まれ。俳優、声優、官能小説家といったさまざまな顔を持つ。
山科の父は都庁勤めの公務員で、和子という妹がいた。親が事業に失敗し、食うことさえままならなくなり、妹は面倒を見てくれる家を転々としてやっと辻家のやっかいになった。
辻家は神楽坂で芸者置屋、金満津を経営していた。本来なら、親が借金する際に子どもがそこで住み込みとして何年間か働く年季奉公というシステムがあるが、骨と皮ばかりの和子を見て哀れに思ったのか、辻家を仕切る辻むらという女将は和子を養女にした。
そのころ、神楽坂の隣、飯田橋の土建会社に若きころの田中角栄が入社した。政界進出を夢見る青年であり、天下国家を論じるのが好きな若者だった。
土建会社の社長には娘がいた。田中青年を気に入った社長は、病弱の娘と結婚することを熱望した。独立して田中土建を創業した田中青年は、社長の娘と結婚する。
土建業と政治は深い関係がある。政界に打って出てやると野心を抱きながら、田中角栄は仕事に励んだ。神楽坂にある料亭で芸者と交遊した。そのうちの1人に円弥という10代の半玉(編集部注/一人前の芸妓になるために修行中の15〜20歳前後の少女)がいた。山科の叔母、辻和子である。
円弥と田中角栄は互いに好意を寄せ合う。円弥――辻和子は田中青年がのちに内閣総理大臣になるなど夢にも思っていない。
● 田中角栄が羽を伸ばした 辻和子邸でのプライベート
山科薫は叔母、辻和子をとおして生身の田中角栄を知ることになり、田中角栄研究正史とは別にリアルな素顔の証言者となる。
「田中さんはね、記者会見や国会では立て板に水のようにしゃべるけど、プライベートではむしろ聞き役でしたよ」と山科が語る。
「朝から晩まで陳情が押しかける。すべてさばくにも短い時間で相手の話を聞かなければならないでしょ。だからなのか、聞き上手でした」
山科の父は都庁勤務だったこともあって、田中角栄は庶民の意見、反応を山科の父から得ていた。
目白の田中御殿とは別に、神楽坂の辻和子邸では角栄は田中派の重鎮とも距離を置き、プライベートな空間で羽を伸ばした。
のちに辻和子は女児と2人の男児を授かる。不幸にも女児は病死するが、2人の男児、京と祐は元気に育った。角栄は2人の男児に田中姓を名乗らせた。
長男・京は成長すると父親に似てきた。角栄も期することがあったのか、目白の本妻が産んだ眞紀子とは別に政界への道を想定していたふしがあった。
立候補して、選挙活動する際、新人なので選挙民に名前を覚えてもらう必要がある。そのために名前の入ったのぼりを何本も立てるのだが、“京”という名前は表からも裏からも同じ左右対称の一文字だから、覚えやすく、書きやすい。選挙対策をすでに頭の片隅に描いていたようだ。
・・・新米の新聞記者にも 椅子を勧めていた 人の感情を害する言動を行わなかった
極めつけは「日中国交正常化」
1950年の朝鮮戦争で 共産主義の「北朝鮮軍と中国軍」が 資本主義の米国が建国した「韓国」を共産主義化するため 一方的に侵略
他方、1945年 日本敗戦で 戦勝国の米国が 1945年から日本を支配していたため
米国は 共産主義勢力の「拡大を阻止」するため 日本列島に「米軍基地」を置くため
翌年1951年「サンフランシスコ講和条約」で 日米同盟 日米安全保障条約を締結、
この条約が翌年、1952年「実効」となり ここから日本は「資本主義の国家」になる・・それまでは 民主社会主義の日本だった
こうして日本は1952年から資本主義国となり共産主義の中国 北朝鮮 ソ連と敵対国となり「国交断絶」
つまり 日本と中国は「国交断絶」していた そのため田中総理は「日中国交正常化」するため訪中、中国の周恩来首相と会談 こうして日本と中国の国交は回復された
その後、田中総理は「ロッキード疑惑」で 日本人からパッシングされたが中国政府は 日中国交正常化した田中角栄が 死ぬまで「礼節を忘れなかった」:
中国は 日本との「友好を望んでいる」しかし日本は狭量が狭く、中国を嫌っている
中国は大陸人で 容量が大きい 日本は島国で、容量が小さい
遣隋使の小野妹子(おののいもこ)男性
中国は「隋王朝」の時代 皇帝は「煬帝」で 日本は「飛鳥時代」
この飛鳥時代 日本で最初の女天皇になった「推古天皇」に 20歳前後の厩戸皇子(うまやどのおうじ)が「摂政」となり「聖徳太子」になる
摂政(せっしょう)とは 天皇をサポートする役職で天皇に次ぐ地位
平安時代「摂政」が「関白(かんぱく)に変更される
安土桃山時代 豊臣秀吉は 天皇をサポートする「関白(摂政)」の地位になり、天皇に次ぐ地位で 関白秀吉と呼ばれた
そして朝廷が遣隋使として小野妹子に 隋の皇帝(煬帝)に宛てた書簡を持たせる
この書簡には「陽いずる処の天子 陽ぼっする処の天子に致す、つつがなきや」
意味は・・太陽が昇る東の国(日本)の天子(推古天皇)が 太陽が沈む西の隋の天子(皇帝)に書簡を送る つつがなきや(問題ないか)・・という意味
これは日本の推古天皇が、隋の皇帝だった煬帝を「見下した書簡」
当然 隋の煬帝は「激高」
そのため激高した隋の煬帝は 小野妹子に 推古天皇を「罵倒する書簡」を持たせ 日本に帰国させる
しかし この煬帝の返書は 推古天皇を「罵倒する書簡」だった為 小野妹子はこの罵倒する返書を 推古天皇に献上すれば 推古天皇や摂政の聖徳太子から
「遣隋使の役目を果たしていない」として 推古天皇や聖徳太子から、またも罵倒されるため
小野妹子は、煬帝の返書を「握り潰し」 言い訳として朝鮮半島の百済人から返書を「奪われた」と言い訳する
小野妹子は、利口な男 推古天皇と聖徳太子は「他者の感情も分からないアホ」
このように日本の要人は「他者が気分を害する事」も分からないバカ
この他者の感情が分からず 中国政府を 激高させたのが高市総理
見出し・・小野妹子は国書を紛失、高向玄理は帰国できず...海を渡り中国に学んだ日本人
航海すること自体が命懸けだった古代において、海を渡って中国に向かい、国づくりに尽力した人々がいた。国書を紛失した者、大化の改新に貢献した者、異国の土となった者......。ここでは前後編に分け、七人の男たちを取り上げ、果たした役割とその足跡をたどる。
小野妹子――煬帝から文書を授かるも...
中国へ渡った古代の人物というと、小野妹子が、真っ先に脳裏に浮かぶのではないだろうか。
『日本書紀』には、推古天皇15年(607)、「大礼(だいらい)」小野臣妹子が大唐(隋)に遣わされたことが記されている。
「大礼」とは位階で、冠位十二階のなかの第五位にあたる。この時点で妹子の位階は、特別に高いわけではなかった。 妹子は有名な「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)無きや」ではじまる国書を携えて、隋に渡った。
この国書を見た隋の第二代皇帝・煬帝は、「蛮夷の書、無礼なる者有り」と怒りをあらわにしたという(『隋書倭国伝』)。
翌推古16年(608)、妹子は隋からの返答使・裴世清(はいせいせい)を伴い、帰国した。 妹子は帰国にあたり、煬帝から文書を授かっていたが、百済国を通った際に、その文書を百済人に奪われてしまったため、届けることができないと奏上した。文書を紛失した妹子を群臣は、流刑に処すべきだとしたが、推古天皇は赦(ゆる)した。
この妹子の文書紛失に関しては諸説あるが、倭国に不都合な内容が記されていたため、妹子が握りつぶしたともいわれる。
同年9月、裴世清を送るため、妹子は再び、隋に派遣された。このとき、後述する南淵請安(みなぶちのしょうあん)、旻(みん)、高向玄理(たかむこのげんり)らも、随行している。彼らは、隋の滅亡と唐の興隆を目の当たりにしながら中国で学び続けることになる。一方の妹子は、翌推古17年(609)9月に帰国した。
帰国後の妹子に関しては、よくわかっていない。だが、大礼から、冠位十二階の最高位である「大徳(だいとく)」に昇進したようなので、しばらくは朝廷で任につき、高い評価を得ていたのではないだろうか。
妹子の没年は不明である。政界を引退してからは、故郷の近江国滋賀郡小野村(滋賀県大津市)で過ごしたともいわれる。穏やかな晩年を送れたのだろうか
糖尿病の治療薬「マンジャロ」を、通信販売している業者
病院が「使用する薬剤」は 医師の「処方箋がない」と「患者に使えない」
医師でない者が「処方箋なしに使う」と「薬事法」違反になる
見出し・・「直ちに販売を中止して下さい」東京都庁薬務課、「マンジャロ」めぐりXで警告 歓迎の声相次ぐ
東京都庁が異例の取り組み
X上での医薬品の不正販売の監視を行っている公式Xアカウント「東京都庁薬務課」による2型糖尿病治療薬「マンジャロ」の無許可販売をめぐる注意喚起が、SNS上で注目を集めている。 マンジャロの違法販売を見逃さない都庁。リプをつけて警告だ
■2型糖尿病の治療薬「マンジャロ」めぐりダイエット目的での使用が横行
昨今、2型糖尿病の治療薬としてのみ承認されている薬「マンジャロ」を、ダイエットなどの美容目的で使用する行為が問題視されている。美容クリニックなどで販売されているものだが、SNS上では個人間取引も確認される。
医薬品は適切に使用した場合でも副作用が生じる可能性がある。特に、適応外使用による健康被害はすべてが自己責任となるため、安易な使用は思わぬトラブルにつながるリスクの高い行為だ。
また、個人が医薬品等を販売する行為は、法律に抵触する可能性がある。東京都保健医療局は「フリマ・オークションサイト(アプリ)で許可なく医薬品等を販売することはできません」と題したページで、注意喚起を行っている。
同局によると、「許可無く医薬品をフリマサイト等で販売すること」「許可や届出無く医療機器(一般医療機器除く)をフリマサイト等で販売すること」「国内で医薬品に指定されている成分を含む海外製のサプリメントを出品すること」などは、「たとえ1回のみの販売であっても医薬品医療機器等法に違反する恐れ」があるという。
「医者でなければ医薬品に関わってはいけないのですか?」 SNSでは、インフルエンサーとしても活動する人気キャバクラ嬢「ゆいぴす」さんの発言も波紋を広げていた。
以前からマンジャロを使用していることを公言しているゆいぴすさんは、実業家の溝口勇児さんが出資したマンジャロのオンライン処方サービス「diet beauty」のアンバサダーに就任し、発信活動を行っている。
2026年5月25日のX投稿では、自身への批判について「リスクは個人的に使ってるので分かりますし、経験してます。あとは、私はそもそも医者でもないですよ。医者でなければ医薬品に関わってはいけないのですか?」と反論。
「日本人ってなぜここまでマンジャロに批判的なのでしょう? 世界中での売り上げはご存じですか?」と主張していた。
マンジャロ売るユーザーに返信して警告 こうした中、薬務課はSNSでマンジャロを販売するXユーザーらに対し、「東京都保健医療局健康安全部薬務課です。医薬品であるマンジャロを許可等なく販売等することは医薬品医療機器等法に違反します。直ちに販売を中止して下さい」とのリプライを送っている。
一連の投稿はSNSで拡散され、「安心できる」と受け止める声が広がった。薬務課だけでなく、警察庁も対応に乗り出すべきだとする意見もある。
東京都議の青木英太氏も、「マンジャロの適正な販売について 東京都もこのようにいっています」と反応している。
糖尿病とは
糖尿病は「難病」で 現在の医療では「治療法が無い」
「悪化を防ぐ」のが「唯一の治療」
糖尿病が 悪化すると 目の網膜が「糖尿病性網膜症」になり「目が見えなくなったり」
足が壊疽を起こし「足を切断」したり 腎臓が機能しなくなり「人工透析」せねばならなくなる「難病」
まず「人体の仕組み」を説明
人間には「膵臓」という臓器があり この膵臓には「ランゲルハンス」という部位があり この膵臓のランゲルハンスから「インシュリン」というホルモンが分泌されている
このインシュリンは「人間が体を動かし」たり「脳が機能する為」には「エネルギー源」とする「糖分」が必要で
この「糖分」を「エネルギーに変換」するのが「インシュリン」
ところが不運にも 生まれながら 膵臓のランゲルハンスから「インシュリンが分泌されない人」が「1型糖尿病」と言われ
外部から注射器で「インシュリンを体内に注射」せねばならない糖尿病が「1型糖尿病」で
インシュリンを注射せねば 血液の糖分が増加してしまい 血糖値が上昇し 血液が糖分で ドロドロの粘液性の血液になる
脳や 腎臓には「毛細血管」が集中していて 毛細血管は、髪の毛よりも細く「赤血球が1列縦隊」でしか「通過できない細い血管」で
血液の糖分が増加(血糖値が上昇)すれば「糖分でドロドロした血液」は 毛細血管を「通過できなくなり」
「脳神経細胞」に 酸素 糖分を「供給できなくなる」ので 脳が「機能しなく」なり 「意識不明」に陥り「死亡してしまう」
生まれながらインシュリンが分泌されない「1型糖尿病」に対し、日頃「暴飲暴食」で 糖分を「過剰に摂取」していると インシュリンを分泌する「膵臓のランゲルハンス」が「疲弊」してしまい
過剰に摂取した糖分を、エネルギーに変換できず 血液に 過剰な糖分が混じり
血液がドロドロした粘液性の血液になり 上述したように 脳に酸素・糖分が「供給されなくなり」
そのため、脳が機能しなくなり 意識不明に陥り、死亡してしまう これが「2型糖尿病」
ここで 生まれながらの「1型糖尿病」は「外部から注射器でインシュリンを体内に注入する」が
「2型糖尿病」は「血糖降下剤」を服用する
この「2型糖尿病」の 血糖降下剤の 1種が「マンジャロ」で 空腹感を無くし
過剰に糖分を摂取しない薬剤
だから 「肥満体」の人が 過剰に暴飲暴食して「肥満体」にならないよう「ダイエット」として、マンジャロが使われているので 警告
注意・・「いかなる薬剤」にも「副作用」があるので 要注意
不適切なコンテンツとして通報するには以下の「送信」ボタンを押して下さい。 管理チームへ匿名通報が送信されます。あなたが誰であるかを管理チームに特定されることはありません。
どのように不適切か説明したい場合、メッセージをご記入下さい。空白のままでも通報は送信されます。
通報履歴 で、あなたの通報と対応時のメッセージを確認できます。
トピックをWIKIWIKIに埋め込む
次のコードをWIKIWIKIのページに埋め込むと最新のコメントがその場に表示されます。
// generating...
プレビュー
ここまでがあなたのコンテンツ
ここからもあなたのコンテンツ
AIは 人類を「頭が足りないアホ」にする
科学者どもは 元々、子供みたいな人種で、AI解発が、鬼の首でも取ったかのような栄光に思っているが 人類がアホになるとは分からない
ローマ教皇が 真実を警鐘している
見出し・・教皇レオ14世が、AIに警鐘 バベルの塔の再来と2級の人間の誕生
ローマ教皇レオ14世は米国時間5月25日、自身初となる回勅のなかで、AIや大規模な自動化、急速な技術進歩によって現代版の「バベルの塔」が建設されていると警告し、強欲や不道徳、人間の生命に対する敬意の欠如などによって特徴づけられる、黙示録的な世界観を共有した。
レオ14世は25日、『マニフィカ・フマニタス(壮大なる人類)』と題された83ページの回勅を発表し、資本主義、反移民政策、そして人間がもつ技術的な野心についての見解を述べた。この回勅はすでに、ここ数十年で最も勇敢な意見の1つであるとの評価を集めている。
回勅の大部分ではAIの急速な進歩と社会実装に焦点が当てられており、テック企業が政府よりも強大な権力を持ちつつあるとの見方が示されている。また、AI経済は奴隷制社会に類似しており、「2級の人間」を生み出すことになるだろうとの警告もなされた。
レオ14世は、新たな「バベルの塔」が建設されるリスクを示唆することで、最も重大な警告を発した。旧約聖書に登場するバベルの塔は、天まで届く塔を建てようとした人間の傲慢さと度を越した野心を阻止するため、神が1つの言語によって結束していた人間の言葉を混乱させ、互いに意思疎通ができないようにして団結を挫いたという物語だ。
人類が築きあげようとしているのは長期にわたって人間の管理下に置くことが不可能なシステムであり、最終的にはそれによって貧困層とエリート層との格差が広がり、互いの共感が損なわれ、人間の価値そのものに格差が生まれることになると教皇は指摘している。
その他にも、レオ14世は反移民政策に対する厳しい非難を表明し、現代の資本主義を痛烈に批判したほか、環境破壊は貧困層に対する道徳的な犯罪であると示唆した。
■現代版「バベルの塔」
テクノロジーが発展し続ける中、教皇は人類が「新たなバベルの塔を建設するか、あるいは神と人類がともに暮らす都市を築くか」の選択を迫られていると述べた。聖書で語られるバベルの塔の物語は、神と肩を並べる都市を築こうとする人間の試みを伝えている。
「都市が傲慢さと自己完結の主張の上に築かれるとき、コミュニケーションは崩壊し、言語は混乱して人々はもはやお互いを理解できなくなる。その結果は団結ではなく、離散である。バベルの塔の物語はしたがって、どれほど壮大であっても、自己肯定から生じ、効率性のために人間の尊厳を犠牲にし、神の祝福なしに天に届こうとするあらゆる試みの限界を明らかにしている」とレオ14世は述べる。
「そうであれば、我々は『バベル症候群』、すなわち、弱者を犠牲にすることによって生まれる利益とそれぞれの違いを無くす画一性への傾倒、そして、たとえそれがデジタルな言語であっても、単一の言語が個人の神秘を含むすべてをデータやパフォーマンスに変換できるという思い込みを避けなければならない。今日ではそれは技術的な装いをまとっているものの、人間性を奪う危険性、つまり、神を排除し、他者を手段として利用するような未来を構想する危険性は、古く、かつ常に新しい誘惑なのである」
「時効」の中断
日本で、罪を犯しても ある期間 逮捕されず逃げ切ると「時効」があり、逮捕できない法律になっている
時効は「罪状」により「時効の期限」が決められている
しかし「国外逃亡」すれば「時効が中断」され逮捕される
なぜ「時効により罪が問われなくなる」のか 何時までも罪を問うと裁判所は 次々に終わりなき事件が山積してしまい「裁き切れなく成る」ため、法的に「時効」が認められている
国外逃亡したため「時効が中断」され 30年後 逮捕された男 カルロス・ゴーンも国外逃亡したので 時効の中断で いまだ逮捕される立場
見出し・・<フィリピン逃亡30年>フィリピン逃亡30年 奪った金握り空港へ 拘置所からの独白
奪った金を握りしめ
長い、長い逃亡生活を終え、容疑者として捕まった。
2025年10月、相原久仁雄(62)は成田空港で30年ぶりに日本の土を踏んだ。
周りを警視庁の捜査員が囲む中、搭乗口には報道陣によるカメラの放列があった。顔を下げず、口を真一文字に結んだ。
後に相原は記者に明かす。
「捕まった時は『ああ、ついに来たか』ですよ。一生、日本に戻ることはないと思っていましたから」
結局、フィリピンで拘束され、日本に連れ戻された。時効が止まっていた強盗傷害事件の容疑者として。
人生の半分、30年もの月日を注いだ逃亡とはいったいどんなものなのか――。
面会や手紙を通じて彼が語ったのは、もはや「逃避行」を超えた歩みだった。
◇31歳、強盗の誘いに乗る
東京・蒲田。駅前に小さな飲食店がひしめき合う下町は、再開発が進んだ今も昭和の面影を残す。日本を追われるように出て行く前、相原はこの街で暮らした。
密教・・最澄と空海
平安時代、桓武天皇が、西暦804年 最澄と空海を「遣唐使」として「唐に派遣」する
唐に入唐した最澄は「唐の天台山」の国清寺と龍興寺で「密教」を学び 翌年805年 日本に帰国
比叡山で「天台宗」を開く
他方 空海は 唐に残り「サンスクリット語の仏典」を 音写語で「漢字の仏典」に直していたインド人僧侶三蔵からサンスクリット語を学び 三蔵からサンスクリット語の仏典と中国語の仏典を授かる
さらに唐の都・長安の青龍寺で 密教の太祖・恵果から密教を学ぶ
恵果は 日本に密教を広める為、3か月で 密教の全てを空海に「伝授」する
こうして恵果から密教の全てを伝授された空海は西暦806年 日本に帰国 高野山で「真言密教」を開く
空海の真言密教とは「即身成仏」で「真言を唱える」ことにより大日如来と「一体化」できるという「即身成仏」の教えが、真言密教の本義
そのため最澄は、空海よりも7歳ほど年上だったが 年下の空海から「密教」を習うため145人の弟子たちを引き連れ
空海の「弟子」になり、西暦812年 阿闍梨の空海から「灌頂(かんじょう)」を受ける
灌頂とは 阿闍梨の空海が 弟子たちに密教を授けたという儀式のことで 空海が 密教を授けた僧侶の頭に「水を灌ぐ儀式」を灌頂と言う
しかし 空海は最澄に 密教の全てを伝授しなかったので 最澄は空海に「何時になれば密教」を伝授してくれるのか尋ねる
空海は3年掛かる というので 最澄は3年間も天台宗の弟子たちを放って空海に3年間も弟子入りできないので
最澄は、弟子の「秦範(たいはん)」を空海に預け 比叡山に帰る
ところが 最澄の弟子だった「秦範」は 2度と最澄の元には「戻らなかった」
そのため「秦範」を巡り 最澄と空海は「対立関係」に陥る
人道的には、最澄の方が空海よりも年上だったので「常識性」では 最澄の方が優れていた
だから後の朝廷や幕府は「天台宗」を「擁護」していた
これが室町時代 天下取りを狙う織田信長の「比叡山焼き討ちの令」に繋がる
空海の「怨霊信仰」
空海は、真言密教で「怨霊信仰」の教えを広めた僧侶
「恨みを抱き死んだ故人の霊魂は 天上界の神となり 天皇をも見下し、恨みを晴らすため、雷を落とし 疫病を流行らせる」と説く
空海の「怨霊信仰」
なぜ空海が「怨霊信仰」を説いたのか?
その理由は「桓武天皇」が、奈良時代の「聖武天皇」が奈良に築いた「平城京」を長岡に「遷都」しようとして 桓武天皇に忠誠を誓っていた「藤原種継」に 長岡京の建設を任せる
ところが 長岡京の建設を任せられていた「藤原種継」が 何者かによって「暗殺」されてしまう
ところが 桓武天皇の弟だった「早良親王」と 桓武天皇から「長岡京の建設」を任せられていた「藤原種継」は 日頃がら仲が悪く 藤原種継の暗殺は「早良親王」が 犯人とされ
桓武天皇は、弟の早良親王の地位を剥奪 淡路島に流刑する
この流刑の途上 早良親王は無実を訴え 断食 餓死してしまう
そのため 桓武天皇は 長岡京は「早良親王の怨霊」が祟っている、として長岡京を諦め、京都に「平安京」を築く・・これが「平安時代」
そのため藤原種継の一族が 次々に「病死」してしまう
そのため平安時代 空海が「怨霊信仰」で 恨みを抱き死んだ故人の霊魂は 天上界の神となり、天皇をも見下し 雷を落とし 疫病を流行させ恨みを晴らす」と説く
そのため怨霊信仰で 怨霊を鎮めるため「御霊会(ごりょうえ)」が行われるようになった
そのため 同じ平安時代「宇多天皇」から 才能を認められ右大臣になった「菅原道真」を右大臣に抜擢
しかし宇多天皇の死後、宇多天皇の息子の「醍醐天皇」になり 醍醐天皇の弟だった「斎世(ときよ)親王」と 菅原道真の「娘」が結婚
そのため菅原道真は 皇室とは「姻戚関係」となる
そのため 左大臣の「藤原時平」が 右大臣の菅原道真を蹴落とす為・「道真が 天皇の座を狙っている」として醍醐天皇に告げ口
そのため醍醐天皇は 道真を京都の平安京からから追放、大宰府に左遷 大宰府の地で没した「菅原道真」も 菅原時平と醍醐天皇に「恨みを抱き死んだ」との噂が広まり
道真の怨霊を鎮めるため 御霊会が催される
しかし 藤原一族が 次々に病死してしまい 遂に 藤原時平も病魔に倒れる
この時の様子を描いた絵巻物が 北野天満宮に奉納されている
このように「空海が怨霊信仰」を説く
この空海の「怨霊信仰」は「こじつけ」ではなく「現実」で ・・人は他者に「恨みを売る」ような言動を行うと・・ああ アイツを地獄に落としてしまった・・アイツは恨みを抱き死んだのだろうという思いに駆られ
「自責の念と後悔の念」で 怨霊の姿や声を「幻覚」してしまい 悩み続けストレスに陥り「免疫力が低下」
「がん」などの病魔に侵されてしまう、これを説いたのが 現代の「安保徹」教授
だから 恨みを抱かせるような言動は「してはならない」
高市総理は 中国政府に「恨みを抱かせる発言」をしているので 何時の日か 中国政府が、高市総理に、恨みを晴らす時が来るかもしれない
中国政府に 恨みを売った高市総理
高市首相の“一言”に中国が大激怒するワケ…習近平を追い詰める「3つの深刻事情」
強い怒りを示しながらも制裁措置には慎重な中国
高市早苗首相が11月7日の国会答弁で、台湾有事が発生した場合、日本の集団的自衛権行使の前提となる「存立危機事態」に該当しうるとの認識を示した。
この発言は従来の政府解釈や安保法制の枠内に収まるものであるにもかかわらず、中国政府は即座に批判して、その後、制裁の可能性を示しながら答弁の撤回を厳しく求めた。
中国外交部はその後も、強烈な表現で何度も非難声明を発表し、日本産水産物の輸入停止や日本向け渡航の注意喚起を公告するなどの制裁措置をとりはじめた。
11月18日に日中外務省の局長級協議が北京で行われた際、中国外交部の劉勁松アジア局長がポケットに手を突っ込み、険しい表情で日本外務省の金井正彰アジア大洋州局長に応対する映像が公開された。これは中国側が日本に対して高圧的に対応している演出をしたと考えられる。
なぜキスをするのか?
学者の癖に 実態が分かってない
見出し・・・人がキスをする本当の理由 2100万年前の祖先から続く、進化生物学の物語
人間のキスの歴史は、約2100万年前、中新世の熱帯雨林の樹冠から始まる。そこでは、私たちの類人猿の祖先たちが、ロマンスとは無関係の、生存に直結する理由から、唇を重ねていた。
まずは、最大の誤解を解いておこう。キスというもの、少なくとも唇を合わせるという行為そのものは、人間だけのものというわけではない。とはいえ、「人間特有のもの」という感覚は、直感的には理解できる。私たちは、この行為を中心に文化の体系を築き上げてきた種だからだ──約4500年前のメソポタミアの粘土板に刻まれた最古のキスの記録から、地球上のあらゆる社会の求愛、挨拶、別れの儀式に至るまで。
だからこそキスは、私たちに特有のものであるように感じられる。しかし、生物学はそうではないと示唆している。
チンパンジーはキスをする。ボノボもキスをする。オランウータンは、社会的緊張や和解の場面で唇を重ねる。『Evolution and Human Behavior』で2025年に発表された英オックスフォード大学の研究では、霊長類の系統樹における「キスの進化」の歴史が追跡された。
研究論文の著者らはこの行動について、人類及びすべての大型類人猿の共通祖先、つまり、私たちの種が出現する約2100万年前にさかのぼる可能性が高いと結論づけた。
絶滅した近縁種であるネアンデルタール人も、ほぼ間違いなくキスをしていた。この結論は、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人が唾液の交換を通じて口腔内細菌を共有していたこと、そして、両者が交雑していたという証拠によって裏付けられている。
つまり問題は、なぜ人間はキスをするのかということではない。もっと興味深いのは、なぜ私たちはこれほどまでに、文化的な重みと神経化学的な強烈さ、感情的な影響を伴うような形でキスをするのかということだ。
■人間のキスにまつわる進化上の難問
話を進める前に、その行動を正確に定義しておこう。種間比較を行うため、研究チームは、ロマンチックなイメージを排した定義に落ち着いた。キスとは、食物の受け渡しを伴わない、非攻撃的な口と口の接触だ。
この定義は、魅力に欠けるかもしれない。しかし、この最小限の定義でさえ、太古から深く根付いた何かを捉えていることがわかった。だが、キスが科学的に不可解であるのは、従来のダーウィンの論理に従えば、そもそも存在してはならないはずだからだ。
口と口の接触は、病原体の伝播において、極めて効率的な経路だ。唾液には、数百種の細菌や多数のウイルスが含まれており、そのなかには深刻なものもある。この行動は、直接的なエネルギーの確保につながるものではないし、防御につながるものでもない。少なくとも表面的には、生存確率を高めるものではない。それどころか、進化の帳簿という冷徹な視点から見れば、それはコストのかかるものだ。
それにもかかわらずこの行動は、人間だけでなく、数百万年にわたる霊長類の進化においても存続し、私たちの系統の歴史における生態系の大変動をすべて乗り越えてきた。
2025年の研究の筆頭著者であるオックスフォード大学の進化生物学者マチルダ・ブリンドル博士は、これを「進化の難問」と表現している。この表現は的を射ている。明らかな利益がなく、真のコストを伴う行動は、時間の経過とともに淘汰されるはずだ。それにもかかわらず、キスが淘汰されず、むしろ私たちの系統がより複雑になるにつれて、深まり多様化したという事実は、それ自体が示唆を与えてくれる。
つまり、キスとは、すぐにはわからない形で、生物学的にそれだけの価値があるということだ。その仕組みを説明するため、3つの仮説が提唱されている。
■人間のキスに関する3つの仮説
グルーミング仮説は最も古く、ある意味では最も洗練された仮説だ。英ウォーリック大学のアドリアーノ・ラメイラが『Evolutionary Anthropology』に発表した2024年の研究によれば、キスは、霊長類のグルーミングの最終段階に由来する可能性が高いという。つまり類人猿において、ある個体が、別の個体の毛並みを整えた後、付着したごみや寄生虫を取り除くため、突き出した唇を皮膚に吸い付けるような動きをする瞬間のことだ。
手入れすべき厚い毛皮がない生活では、口を使った接触は、衛生的な機能から切り離され、新たな社会的意味を獲得する余地が生まれた。その行動はすでに存在しており、私たちの行動レパートリーに組み込まれていた。進化は単に、その用途を変えたにすぎない。
この仮説は、より驚きを誘うものであり、率直に言って、少し謙虚な気持ちにさせられる。二人がキスをするとき、知らず知らずのうちに、互いに対して生物学的検査を行なっているという説だ。
免疫機能の中心を担う遺伝子群である「主要組織適合遺伝子複合体(MHC:major histocompatibility complex)」に関する研究により、人間は無意識のうちに、自分とは異なるMHCプロファイルを持つパートナーに引き寄せられることが明らかになった。そのメカニズムは、主に嗅覚によるものと考えられる。
『Proceedings of the Royal Society B』に発表された1995年の研究では、女性は一貫して、自分とはMHCプロファイルが異なる男性が着用したTシャツの香りを好むことが示された。
その進化論的根拠は単純明快だ。MHCプロファイルが異なるパートナーのあいだに生まれた子どもは、より幅広い免疫レパートリーを持ち、より多様な病原体と戦う能力を持つ。MHCプロファイルの相違が大きいカップルほど、体外受精による妊娠成功率が高く、妊娠間隔は短く、流産率が低い。
親密さや、身体的な接近、唾液の交換を伴うキスは、私たちがこうした遺伝的な情報を得るためのメカニズムなのかもしれない。つまり、初めてのキスがうまくいかないのは、テクニックの問題ではなく、あなたの免疫系が何かを伝えているのかもしれない。
この仮説は、なぜ私たちが、すでに評価し、選んだ相手とキスを続けるのかを説明している。キスは、脳内で化学反応の連鎖を引き起こす。欲望や報酬に関わるドーパミン、信頼や愛着に関わるオキシトシン(「愛のホルモン」とも呼ばれる)、そして、安らぎや落ち着きをもたらすエンドルフィンだ。
以上3つの仮説を総合すると、それらは互いに競合し合う説明ではなく、互いに補完し合う重層的なレイヤー(層)と言える。キスはおそらく、グルーミングとして始まった。その後、遺伝的評価の手段として取り入れられた。そして、それが進化の過程で維持されてきたのは、キスがもたらす強力な神経化学的報酬のためだ。
それぞれの層が互いを強化し合い、社会的衛生の一形態だった行為を、人間の行動レパートリーの中でも最も感情的な行為の一つへと変貌させたのだ。
■人類にとってさえ、キスは普遍的なものではない
キスの起源を2100万年前までさかのぼったオックスフォード大学の研究では、ロマンチックあるいは性的なキスが確認されているのは、人類の文化の約46%にすぎないことも明らかになった。一部の社会では、この行為は広く行われ、儀式化されている。一方で、全く行われない社会もある。
これにより、2025年の研究で完全には解明されなかった疑問が生じる。ロマンチックなキスとは進化の結果ではあるが、一部の文化圏で後に抑制された行動なのか、それとも、特定の集団から広まった文化的発明なのかという疑問だ。
科学の現段階における正直な答えは、確かなことはわかっていない、というものだ。研究で明らかになっているのは、キスをする能力、つまり神経回路、化学感覚器官、神経化学的メカニズムが、霊長類に共通して見られる特徴であるということだ。これは、私たちの種が受け継いだものであり、その後、どこでどのように生きるかによって、極めて多様な形で発展してきた。
誰かに身を寄せると、2100万年前の何かが動き出す。それはかつて、中新世の森での毛づくろいのひとときを終わらせる行動であったし、祖先たちが、見知らぬ相手に適切な免疫プロファイルがあるかどうかを見極める手助けをした行動でもあった。そして、現代の脳にドーパミンやオキシトシン、そして寄り添うことの温もりをあふれさせるものでもある。
キスが、詩や文学、さらには西洋のロマンチック映画の古典的作品の大事なテーマになっているという事実は、進化論的な観点で言えば、「ボーナス(おまけの贈り物)」のようなものなのだ。
男女がキスをする理由
創造主は 動物を地球に誕生させた しかし無限の命ではなく 限りある「有限の命」
これでは創造主が せっかく動物を創造しても、DNAの末端部には テロメアという塩基配列を授けているので無限の命ではなく「限定的な有限の命」なので「絶滅してしまう」
そのため その動物の「種が絶滅しないよう子孫」を作り その動物の種が 絶滅しないよう「子孫が繁栄」するよう オスとメスに「生殖器」を授け
オスとメスが 生殖器を結合させ、オスが精子を メスの生殖器に射精すればメスの卵子と結合・・受精卵となり メスの子宮内で 生命体が 作られる
こうして創造主は 創造した動物の種が 絶滅しないよう 子孫を作る仕組みを授けている
ここで 子孫を作るために、まず「オスとメスの生殖器」を結合させるには オスの生殖器が メスの生殖器の中に「スムース」に挿入できねば
オスとメスは 生殖器で結合できず、子孫が作れないので オスの生殖器が メスの生殖器に「スムースに挿入できる」よう メスの生殖器から「ぬるぬるした油」のような「潤滑油」が分泌される
この「ぬるぬるした潤滑油」で オスの生殖器がメスの生殖器に「スムース」に挿入される「仕組み」になっていて
オスとメスは この生殖器を挿入した時の「ぬるぬるした感触」が、とてもない「快感」
キスも 男と女は 口内から ぬるぬるした唾液を分泌しているので 男と女が唇を合わせると 男女とも唇が ぬるぬるした感触で「オスとメスが生殖器で結合した感触」と「同じ」になり 男と女は「愛情的にも性的」にも満足する
だから 男女のキスでは 男女が「ベロとベロ」で「相手のベロを舐め合う男女」もいて ベロとベロが、ぬるぬる感で 男女は単に唇を合わせるより ずっと「愛情的にも性的」にも満足する仕組みになっている
つまり キスは 男女の「愛情的にも、性的満足する生殖器結合(性行為)」の「代償」行為がキス
キスは「本命となる子孫繁栄」の男女の性行為の「予備行為」がキス
学者の癖に そんな単純な事すら分からないとは なさきけない
さらに「オスの性感帯」は ペニスの「裏側(下部)」に集中していて「メスの性感帯」は ホール内面の上部(腹の方)に 性感帯が「集中」していて これを「G スポット」と言う
そのため「他の動物」は 交尾する際 オスが「メスの後ろ」から 生殖器を挿入すれば
オスの性感帯は「ペニスの下側」に集中していて メスの性感帯は「ホールの上部(腹側)」の方に集中しているので
「オスの性感帯(下部)」と メスの性感帯(上部)が「ぴったりマッチ」するので「この世のものとは思えない最高の快感」になる
つまり「動物の性行為」は「後背位」
創造主は子孫を作るため このような 最高の性的快感を 動物に授けている
ところが人間は 後背位で性行為せず 男女が腹と腹を 合わせて性行為する「正常位」
これでは 男性の性感(下部)と 女性の性感帯(上部)は「マッチせず」 最高の性的快感にならない
他の動物のように「後背位」の性行為のほうが 男女の性感帯が「マッチ」するので この世のものとは思えない最高の性的快感になる
なぜ 人間の男女は、腹と腹を合わせて性行為する「正常位」で性行為するのか 男女が「口と口を合わせキス」するために 腹と腹を合わせて性行為する正常位で性行為した方が キスができるので 愛情表現が 豊かになる
他の動物は 後背位で交尾するので 口と口で「キスできない」
つまり 他の動物は「愛情など関係なく」 ただ子孫を作るためだけの交尾
人間は「男女が愛情」の下で 子孫を作るので「愛情表現のキス」ができるよう 正常位で性行為
このようにキスは「性的欲情や愛情」を高め 男女が性行為するための「予備行為」がキスする理由
学者共は学問バカで「男女の本質」が 分かってない
なぜ中国政府が 高市総理を「非難」するのか
日本識者どもと、高市総理は「歴史に半可通」でよく分かってない
ロシアが「国連安保理」で 日本の軍国化を非難
見出し・・ロシア、安保理で日本批判 中国主宰、「再軍備」主張
国連安全保障理事会の今月の議長国、中国の王毅外相は26日、「国連中心の国際システム強化」をテーマにハイレベル会合をニューヨークの国連本部で主宰した。ロシアのネベンジャ国連大使は、日本が「再軍備」を推進し国連中心の国際システムを損なっていると批判した。王氏は日本に言及しなかった。
・・・日本は「明治政府」から「好戦的な軍国主義」の国家になる
理由は、江戸時代。日本全国には「剣術道場」があり 男どもは「剣術を修行する為」
に道場に通い 剣術の「腕前を磨き」 剣豪になっていた
剣豪になった男どもは 諸藩の大名が 他の大名と「戦う際」 剣術の腕前が優れた剣豪を「剣客」として「召し抱えていた」
こうして「剣術に優れた剣豪たち」が 大名に仕える「武士」
「武士」とは 大名に仕える「剣豪の事」つまり大名に「召し抱えられた剣豪」が[武士」
「大名に召し抱えられていない剣豪」は、ただの素浪人、こうして 大名に仕える剣豪(剣客)の武士たちは 主君の大名が 他の大名と「戦う際」 鎧・兜を身に着け 他の大名に仕える敵の武士を 殺戮していた
この大名に仕える「戦闘的な武士達」が 江戸末期 徳川幕府を「倒幕」し「明治政府を築いた要人」だから当然「明治時代」から 日本は「戦闘的な軍国主義」の国家になる
こうして明治時代「戦闘的な軍国主義」で「日清戦争に勝利」し「朝鮮半島と台湾」を「植民地化」
次に日露戦争でも勝利し 帝政ロシアが支配していた中国東北部(満州)を日本が支配する
こうして 日本人たちが「中国の東北部(満州)」に「移住」 こうして日本人たちが中国東北部(満州)を「支配」する、この「中国東北部(満州)」に「進駐した日本陸軍」を「関東軍」と言う
そして日本陸軍の参謀だった「石原莞爾と板垣征四郎」が 中国東北部(満州)の「吉林省」に 日本の傀儡国家「満州国」を建国するため
渤海に面する「大連」と 満州の内陸部の「吉林省の長春」を結ぶ「南満州鉄道」を建設する、こうして「昭和時代」になり 日本陸軍参謀の「石原莞爾と板垣征四郎¥は。中国東北部(満州)の支配だけでは飽き足らず「中国本土の侵略」を画策する
「中国本土」とは 万里の長城から「南部一帯」が「中国本土」で 漢王朝時代 前漢の武帝が 万里の長城の「東北部」を 領土化したので「中国東北部(満州)」という
日本は明治時代 日露戦争に勝利 帝政ロシアが支配していた「中国東北部(満州)の「支配権」を 帝政ロシアからポーツマス条約で「割譲」され 日本が 中国東北部(満州)を支配する
何故、中国東北部を 満州というのか この東北部は「満州族の居住地」だったので 日本は中国東北部を「満州」と呼んでいた
中国北東部 = 満州
この「中国東北部(満州)」の領土は「中国の領土」で 日本は この中国東北部(満州)を「支配する権利」だけ、こうして日本は 中国東北部(満州)に「南満州鉄道」を建設
そして時代は 昭和時代になり 日本陸軍参謀の石原莞爾と板垣征四郎は 中国本土まで 侵略しようと画策する、しかし 中国本土を 侵略する「大義名分」がないので 中国本土を侵略の「大義名分」を「捏造」する
1931年 日本の南満州鉄道の「柳条湖」という所の「線路」を 日本陸軍(関東軍)が「爆破」する・・自作自演
この爆破した犯人を 中国・国民党政権の「張学良」が 南満州鉄道の柳条湖の線路を「爆破した犯人」として「デッチ上げる」こうすれば 日本軍が 中国本土を侵略できる「大義名分」になる
しかし 中国・国民党政権の張学良は 柳条湖の線路を「爆破してない」ので柳条湖の近郊にある「奉天」で 日本軍と 中国・国民党軍が「戦闘」この戦闘が 満州の北部 ハルピン チチハルまで拡大
これが昭和時代1931年の「満州事変」
そのため中国・国民党政権は「日本軍から侵略された」として「国際連盟」に「訴える」この訴えに呼応して国際連盟が「リットン調査団」を 満州に派遣
リットン調査団は「日本軍による中国侵略を認定」 国際連盟に報告
そのため国際連盟の加盟国は 国連安保理で「日本を非難決議」する、こうして日本軍は 中国侵略が「できなくなり」日本は国際連盟を「脱退」する
しかし「運命は どう転ぶか分からない」
日本軍が 中国の「盧溝橋」という橋の近くで「軍事演習」していると 日本軍から 侵略されたと国際連盟に訴えた「国民党政権の兵士」が 軍事演習していた日本軍に 中国から叩き出すため 軍事演習していた日本軍に「発砲」
これは日本軍にとっては 中国による「戦争の挑発行為」で この1937年7月の「盧溝橋事件」を契機に 日本軍が 中国本土の侵略 開始する
この中国を侵略した日本兵士たちが 中国人を無差別に殺害したり 中国人婦女子を「手当たり次第に強・姦」さらに南京市民を 無差別に殺戮した 1937年12月の「南京虐殺事件」:
何の罪もない中国を 一方的に日本軍が「侵略・凌辱」した 歴史
他方 中国政府は「台湾を中国の一部」にするため 中国軍が 台湾の海で運ぎ演習で 台湾を軍事威圧していたので 高市総理は この台湾有事で「集団的自衛権」を行使する発言
この高市総理の発言は 日本が軍国主義で 中国とは 戦闘的に敵対する発言になっていたので、中国政府は、高市総理に「日本は また昔のように軍国主義の日本に戻るのか」高市総理を非難」
中国は 前述したように 1937年 盧溝橋事件を契機に 何の罪もない中国を一方的に「侵略した過去の歴史」があるため 高市総理を非難
他方 現在の中国政府は 1921年からソ連共産党が 軍事支援したので 今の中国共産党政府が存在しているので
中国と ソ連(ロシア)は「義兄弟の関係」
そのため、ロシア政府要人が 国連安保理で 日本の軍国化を 非難している「理由」かって日本は 明治 大正 昭和時代の「敗戦」までは「好戦的な軍国主義の国家」だった
戦後から 日本は 平和主義の国家に変貌したのである
しかし 高市総理は 戦争を知らない年代なので 戦闘的な「集団的自衛権の行使」発言
畳は「イグサ」という草で「畳の表」が作られている
「イグサ」は、昔 何処の湿地帯にも 自生していた自然界の草で、この「イグサ」で
「畳の表」を作っていた
そのため「新品の畳」には「イグサの匂い」がしていて、心地よい生活を送っていた
特に「備後(びんご)のイグサ」で作った「畳表」は、高級品だった
備後とは「現在の広島県の東部(福山)」の昔の地名
この「備後のイグサで作った畳表」を、室町時代、天下人になった「織田信長」が
安土桃山城を築城する際、備後のイグサで作った畳を用いている
見出し・・信長の安土城天守や宮中でも重用 最高級畳表「備後表」の歴史たどる 広島県立歴史博物館で企画展
福山市など広島県東部の伝統産品「備後表」にスポットを当てた企画展が、広島県立歴史博物館(同市西町)で開かれている。
資料約50点を集め、織田信長が安土城天守に用い、宮中や江戸幕府の指定銘柄として重用された最高級畳表の歴史をたどっている。
室町時代の文献には「備後筵(むしろ)」の表記が登場。寺の祭事用に購入された記録があり、格式高い場で使われていたことがうかがえる。
江戸時代には福山藩が特産品として備後表を奨励。材料のイグサは現在の福山市沼隈町産とし、藩の役人による品質検査を経るなど厳格なルールが確認できる資料もある。イグサ栽培から製品の出荷までの流れを一覧できる絵巻は、幕府御用達の畳師が現地視察して描いた。
ほかにも、備後発祥の製法で美しい艶を特長とする「手織中継(なかつぎ)表」の見本や織機を展示。文化庁の選定保存技術「手織中継表」保持者の来山淳平さん=同市=やイグサ農家を紹介するコーナーもある。
時代とともに備後表の需要は減り、イグサ生産も激減している。尾崎光伸学芸員は「全国に名をはせた伝統産業をどう受け継いでいくか。関心を持つきっかけになってほしい」と話している。
「目から鱗が落ちる」・・由来
これはイエス・キリストの言葉・・「叩けよ、さらば開かれん」に由来
見出し・・「目から鱗が落ちる」って仏教の言葉じゃないの?出典をたどると新約聖書に行き着いた
「目から鱗が落ちる」って仏教の言葉じゃないの?出典をたどると新約聖書に行き着いた
「目から鱗が落ちる」って仏教の言葉じゃないの?出典をたどると新約聖書に行き着いた
「目から鱗」、出典は意外にも新約聖書だった
「目から鱗が落ちる」と聞くと、何かが急にすとんと理解できたとき、つい口にしてしまう言い回しです。なんとなく仏教や中国の故事に由来する言葉だと思っている人もいるかもしれません。
実は私も、ずっと仏教由来の言葉だと思っていました。ところが出典をたどってみると、行き着くのは仏教ではなく、新約聖書でした。
出典は新約聖書『使徒行伝』
国立国会図書館の解説によると、「目から鱗が落ちる」の出典は新約聖書『使徒行伝』第9章です。現在の訳では『使徒言行録』とも呼ばれます。そこには、目から「うろこのようなもの」が落ち、再び見えるようになった場面が記されています。ギリシア語で書かれた原文にも、「うろこのようなもの」にあたる表現があるとされています。
およそ2000年前に記された新約聖書の一節が、いまの日本語の慣用句として残っているのです。
旧約聖書 と 新約聖書
旧約聖書は、ユダヤ教の聖典 新約聖書は、キリスト教の聖典
イエス・キリストは 悟り深い男性で 人民に こう諭している
「叩けよ さらば開かれん」
さらに、こうも 諭している
「神の物は神に返せ カエサルのものはカエサルに返せ」
このイエス・キリストの言葉が 悟りある「目から鱗が落ちる」言葉の由来
ところが ユダヤ教のイスラエルは、パレスチナ人から 居住地を「奪い」イスラエルの領土を拡大している
そのため 居住地を奪われたパレスチナ人たちが パレスチナ解放機構【PLO】を設立 ユダヤ教のイスラエルが奪った居住地を 返還するよう 現在の「パレスチナ戦争」
このパレスチナ戦争で ユダヤ教のイスラエルがパレスチナ人を 無差別に大量殺戮している
そのため 国際刑事裁判所が イスラエルのネタニヤフ首相を 犯罪人として「逮捕状」を発行している
ユダヤ教は キリスト教。イスラム教と「違い」 邪悪で強欲な宗教
「叩けよさらば与えられん」の意味は?
“求めよ、さらば与えられん”――これは、キリスト教のことをよくご存じでない方でも、どこかでお聞きになったことがある、キリストの有名な言葉です。
熱心に求めていけば、必ず与えられるという意味の、励まされる言葉です。
日銀が保有する「国債」が 45兆円の評価損
見出し・・日銀が国債で過去最大の評価損45兆円 金利上昇で前年の1.6倍に
日銀の国債保有残高と評価損益
日本銀行は27日、保有する国債を時価でみた評価損が、3月末時点で45兆4414億円だったと発表した。前年の約1.6倍に膨らみ、過去最大となった。日銀による大規模金融緩和策の転換に、中東情勢を受けた原油高、財政の悪化懸念などが重なって長期金利が上昇し、国債の市場価格が下落したことが響いた。日銀は「財務に問題はない」としている。
日銀が公表した2025年度決算によると、保有する国債残高は前年比7.8%減の530兆8695億円で、2年連続で減った。この額は簿価(取得時の価格)で、時価では485兆4280億円だった。簿価と時価を差し引きした評価損は、前年度の28兆6246億円から拡大した。
日銀は2024年3月に大規模な金融緩和策を転換し、同7月と昨年1月、同12月にも利上げに踏み切った。長期金利は上昇(債券価格は下落)し、大規模緩和時に大量に購入した国債の評価損が膨らんだ。
・・・この「報道の意味」は 安倍政権の時代 日本経済は「物価安」で「円の価値が高く」なる「デフレ経済」に陥った
この「物価安」で「円の価値が高く」なる「デフレ経済」では物価が安いので「消費者」にはプラス
しかし「物を作る生産者」にとっては「物価安」なので 穀物を作る「農家」や 物品を製造する「製造業者」は「破綻してしまう」
さらに「円の価値が高くなる」のでで「政府が抱える借金」の価値も高まり 借金が「増加」してしまうので
安倍総理は 逆に「物価高」で「円の価値が低く」なる 2%インフレ目標を掲げる
この政策は「日銀が行う金融政策」なので 日銀が「円の価値を低く」して「物価高」のインフレ経済にしたのが
日銀による「金融緩和」の政策
この日銀による「円の価値を低く」して「物価高のインフレ誘導」の為に 政府が「借金するために発行」していた国債を 日銀が「無制限に買い取る」・・「買取りオペレーション」を行う・・これが金融緩和・・アベノミクス
そのため「日銀」は 政府が借金する為に発行した「国債」を「多量に保有」していて
この「日銀が保有」する「多量の国債」の「価値が低く」なり 日銀は 保有する国債で「過去最大の評価損45兆円」もの 評価損になったという報道
簡単に言えば 政府の借金を日銀が「肩代わり」したのである その結果 日銀は45兆円もの評価損になった
こうして 現在 日本経済は「物価高の日本」になっている
帝政ロシア時代の残忍な「農奴制」
これは 米国も日本も変わりない
見出し・・ロシア史上最悪級の「悪女」100人以上の農奴を拷問した伯爵夫人ダリヤの末路
今から250年ほど前、18世紀のロシア帝国を治めていたのは、後に大帝と称えられる女帝エカチェリーナ2世でした。
彼女はヨーロッパの進んだ考え方を取り入れ、国を近代化しようと志した知的な指導者です。
しかしその足元では、領主が自分の土地で働く農奴を私物化し、絶対的な権力で支配する歪んだ仕組みが根深く残っていました。
そんな時代に、貴族社会を震え上がらせる凄惨な事件が発覚します。
領主であるダリヤ・ニコライェヴナ・サルトゥイコヴァという女性が、支配下にある100人以上の農奴に対し、長期にわたって執拗な拷問と殺害を繰り返していたのです。
そのあまりの残虐さから、彼女は後世「鬼女、血塗られた女領主」などと呼ばれることになります。
ダリヤの罪が異常だったのは犠牲者の数だけではなく、訴えが何度も握りつぶされ、被害者が主人のもとへ送り返され、虐待が長年にわたって続いていたことにありました。
今回は、ロシア史に残る「悪女」ダリヤ・サルトゥイコヴァについて解説します。
恐怖の邸宅
ダリヤ・サルトゥイコヴァは1730年、名門貴族の家に生まれ、近衛軍の将校グレブ・サルトゥイコフと結婚しました。
その残虐性が顕著に表れるようになったのは、1755年に夫が亡くなり、広大な領地と多くの農奴を相続してからです。
彼女はモスクワの邸宅や、モスクワ近郊のトロイツコエ村を中心に、農奴たちを日常的に虐待したのです。
被害者の多くは10代後半から20代の若い女性や、まだ幼い少女たちでした。
後の裁判では138件の不審死が調査対象となり、そのうち38件についてダリヤの直接的な暴行による死亡責任が認定されました。
彼女の暴力には共通した傾向がありました。
それは些細な理由で、例えば洗濯物のすすぎ方が不十分であるとか、床の掃除が隅々まで行き届いていない、などといった理由で激昂したのです。
自ら丸太や熱湯を用いて農奴を打ち据え、髪の毛を素手でむしり取る、厳冬期に裸で屋外へ放置する、懐妊中の女性に容赦のない打撃を加えて流産に至らせるなど、その行為は常軌を逸していました。
沈黙を破った告発者たち
しかし農奴たちは、ダリヤの暴虐に対して無抵抗だったわけではありません。
記録によれば、何度も地方の役所やモスクワの当局に対して訴えを届け出ています。
しかしダリヤは有力な貴族家系との繋がりを持ち、役人たちに多額の賄賂を贈ることで、これらの告発を組織的に握りつぶしていました。
逆に訴え出た農奴たちが「主人に対する不敬」として処罰され、鞭打ちの刑に処された上で、再び彼女のもとへ送り返されるという事態が繰り返されていたのです
2人の農奴、サヴェーリーとエルモライが、決死の覚悟で当時のロシア帝国の首都サンクトペテルブルクへと逃亡し、即位したばかりのエカチェリーナ2世に直接訴状を届けることに成功したのです。
特にエルモライの訴えは悲痛なもので、彼はダリヤによって3人の妻を次々と殺害されており、その怒りと悲しみが女帝を動かしました。
新女帝エカチェリーナ2世は、自らを啓蒙主義的な理性に基づく統治者として位置づけており、法による秩序の確立を急いでいました。
彼女はこの訴えを重く受け止め、法務院に対して徹底的な調査を命じます。
これは、ロシア史上類を見ない貴族に対する大規模な司法介入の始まりとなりました。
法務院から派遣された捜査官ステパン・ヴォルコフらは、1762年から1768年までの6年をかけて、ダリヤの罪を裏づける証拠を集めていきました。
捜査官たちはダリヤの領地に入り、多くの証言を集める一方で、邸宅の会計帳簿や農奴の記録も徹底的に調べあげます。
ですが彼女は一貫して罪を認めず、捜査は証言や帳簿の記録を積み上げる形で進められました
法務院は最終的に、138件の不審死のうち38件について、ダリヤの直接的な暴行による死亡責任を認めました。
判決文は、その行為が懲戒の名目をはるかに逸脱した執拗な虐待であると断じています。
こ
女帝の裁きと永劫の沈黙
1768年10月、エカチェリーナ2世はダリヤに対して最終的な判決を下します。
その内容は、当時の貴族社会において極めて異例なものでした。
ダリヤは貴族の身分を奪われ、名を名乗ることも禁じられ、判決文では「怪物」と呼ばれるほど厳しく断罪されたのです。
まず、モスクワの赤の広場において、首に「この女は拷問者であり殺人者である」という銘板を下げられ、1時間にわたり晒し台に繋がれる辱刑に処されました。
ダリヤはモスクワのイワノフスキー女子修道院に送られ、当初は光の差し込まない狭い地下独房に閉じ込められました。
食事は小さな窓から差し入れられるだけで、外部との接触も厳しく制限されたのです。
その後、小窓のある房へ移されたとも伝えられますが、ダリヤは33年間を獄中で過ごし、1801年に71歳で没しました。
晩年には、窓の外を通る参拝客に罵声を浴びせたり、鉄格子を掴んで叫んだりすることもあったと伝えられています。
遺体はドンスコイ修道院の墓地に埋葬されました。
欧米も日本も かっては帝政ロシアの農奴制と変わりがない
15世紀の頃 西洋白人キリスト教徒たちは「白人こそが創造主が作った人間であり 有色人は人間ではない」と決めつける
これが「白人至上主義(人種差別)に「キリスト教がお墨付き」を与えた「人種差別の元祖」
そのため17世紀頃 白人でキリスト教諸国の欧州各国は 有色人の「アフリカ」を 羊の毛を刈るが如く侵略。植民地化した
西洋の小国ベルギーのレオポルト2世は、アフリカのコンゴを植民地化(ベルギー領コンゴ)とし コンゴ人に「重税」を課し 払わないコンゴ人の 両腕 両足を切断
コンゴ人から 重税を搾取 世界一の「大富豪」になっていた
英国も アフリカの巨大な湖を ヴィクトリア女王に因み「ビクトリア湖」と名付けアフリカのナイル川に生息する巨大魚ナイルパーチを ヴィクトリア湖でアフリカ人に養殖させ
英国人はナイルパーチの肉だけを 削ぎ落し食肉とし 西洋や 日本にナイルパーチの肉を輸出していて 日本では学校給食にナイルパーチの肉を使っていた
こうして西洋白人キリスト強国の西洋諸国は 有色人のアフリカ人を 虐待、奴隷化
が
それでも飽き足らず アフリカ人を「商品」として扱い 奴隷貿易
アフリカで 奴隷船の船底に アフリカ人を すし詰めのように 詰めこみ 西洋に運搬
しかし 船底に詰め込まれたアフリカ人たちに 疫病蔓延 死亡すれば 海に放棄していた船主は アフリカ人に保険を掛けていたので アフリカ人が疫病で死亡しても「保険金が入る」
生き残ったアフリカ人は「西洋に陸揚げ」され「奴隷商人」や「貴族」が「セリ」でアフリカ人を競り落とす
生殖器がデカいアフリカ人男性は西洋の貴婦人たちが 性の慰め者に擦るためセリ落とし
肉体労働に耐えるアフリカ人の男女は、奴隷商人がセリ落とし 再度 奴隷船に詰め込み
当時、北米大陸ではアメリカ人が「西部開拓」時代で 北米大陸の南部が 農園地帯で 農園で アフリカ人を強制労働させた これがアメリカ人がおこなった有色人のアフリカ人に対する「人種差別」の「虐待の奴隷」
オバマ大統領の祖父も、アフリカ人で 同じ境遇を受けた一人
日本も同じで 平安時代 宇多天皇は 菅原道真の才能を見抜き 右大臣に抜擢する
しかし宇多天皇は 自分の息子の「敦仁(あつひと)皇太子」に天皇の座を譲位する
こうして 宇多天皇の敦仁皇太子は 17歳で「醍醐天皇」に即位する
ところが後醍醐天皇の弟・・つまり宇多天皇の次男で 斎世(ときよ)親王と菅原道真の娘が「結婚」
そのため菅原道真は 皇室の姻戚関係となり 左大臣の藤原時平が菅原道真を「蹴落とす」ため まだ未熟で17歳の醍醐天皇に入れ知恵
そのため醍醐天皇が 道真の右大臣の地位を剥奪、平安京から 道真を大宰府に追放
こうして朝廷は 未熟な醍醐天皇と左大臣の藤原時平が 朝廷を 我が物顔で支配
そのため 各地の豪族たちが山野を開拓 農地を拡大する為、農民や非人を奴隷として酷使
豪族たちは「広大な農地」を所有 領主(大地主)になる これが昭和時代まで続き
大地主は 小作人たちに 自分の農地を貸与 小作料を取り 農作物を栽培させていた
しかし 戦後 米国GHQの「マッカサー」は「農業改革」で 大地主が保有する広大な農地を 分割させ 小作人たちに 分け与えた
だから現代 農家は自分が所有する農地で 農作物を作れるようになっている
帝政ロシアだけが農奴で 残忍だった訳でなく 米国も日本も 弱者は 奴隷(奴婢)同然に扱われていた
奴隷(奴婢)以下で、人間として 扱われなかった人達が「非人」
アメリカ人
ウクライナは「何処の国が支配すべきか」の領土問題
これが ロシアと ウクライナのゼレンスキー政権とが ウクライナ㋾巡り「ウクライナ戦争」している「核心」
このウクライナ戦争は 1950年 朝鮮戦争から始まった 資本主義と 共産主義が軍事的に敵対する「東西冷戦」の「延長戦」がウクライナ戦争
そのため資本主義国と共産主義国の「教科書の説明」が「違っていて当然」
日本人識者どもは何時も頭がボケているので 肝心な核心チン玉が分からず4ページのグダ解説
見出し・・ロシアの教科書「ウクライナ侵略は人類の文明を救う行為」世界の歴史教科書を比較してわかった“国の価値観と政治的意図”
他国の教科書を覗き見ることで、自国の歴史教育のあり方が見えてくる
各国の歴史の教科書を読み比べると、その記述の仕方や学び方にはかなり差があることがわかります。本記事では、『世界の歴史教科書を読み比べてみた』の制作に携わった西岡壱誠氏が、ロシアの教科書の記述から見る歴史教育について考察します。
■「特別軍事作戦」を子どもにこう教える
歴史の教科書、と聞いて、多くの日本人が思い浮かべるのは「クロマニョン人」「四大文明」「メソポタミア」といった、人類の起源から積み上げられた淡々とした記述ではないでしょうか。年号を覚え、テストに備える。そんな“無色透明”なイメージかもしれません。
しかし、世界を見渡すと、教科書の姿は驚くほどバラバラです。何より興味深いのは、そこに国家の意思や政治性が、最初の一行から色濃く滲んでいるということです。
例えば、ロシアの教科書を例に挙げましょう。2023年8月、ロシアで初めての国定歴史教科書が発表されました。『ロシアの歴史 1914-1945年』『ロシア史:1945-21世紀初頭』の2冊です。
編纂を主導したのは、元文化相で現大統領補佐官のウラジーミル・メディンスキー氏と、外交官・諜報員養成機関として知られるモスクワ国際関係大学学長のアナトリー・トルクノフ氏です。
衝撃的なのは、教科書のなかにこんな一文が現れることです。
「ウラジーミル・プーチン大統領がウクライナに対する『特別軍事作戦』を開始していなければ、人類の文明はおしまいだったかもしれない」
(注:本記事ではこのように教科書の翻訳を掲載していますが、いずれも原語からの翻訳を経たものです。翻訳の都合上、語感や細かなニュアンスについては原文と完全に一致しない箇所がある可能性がありますが、各記述の大意や論旨に違いはないものとお読みください)
つまり、主権国家への侵略戦争が、「人類の文明を救う行為」として描かれているのです。
教科書はさらに踏み込み、もしウクライナがNATOに加盟したのちに「クリミアかドンバスで挑発行動を起こし紛争を仕掛けていたら」、ロシアはNATO全加盟国と戦争になり、「そのようなことになれば、文明の終わりだったかもしれない」と主張しています。先制攻撃こそが世界を救った、という論理です。
西側諸国の描かれ方も鮮烈です。
ウクライナ戦争は「東西冷戦の延長戦」
この歴史的な詳細は、既に何度も投稿した
大昔 1200年代以前から ウクライナ ベラルーシ ロシアの3国は 同じ「スラブ人」だったので ウクライナの「キエフを首都」として3国統一
「キエフルーシ公国」を築いていた
ところが1200年代に入り ユーラシア大陸の東北部モンゴルのチンギス・ハンが ユーラシア大陸に「モンゴル帝国」を築く野望に燃える
そのためモンゴルの南部に位置する中国を侵略するがチンギス・ハンは 中国の「六盤山」で死去
そのため4代目の」モンケ・ハン」が チンギス・ハンの野望を引き継ぎ 弟のフビライにユーラシア大陸の東部一帯を 征服するよう命じ
もう1人の弟「フラグ」には ユーラシア大陸の西部一帯を征服するよう命じる
こうして モンゴル族フラグにより キエフルーシ公国は滅ぼされウクライナウクライナ ベラルーシ ロシアの「3国に分離」してしまう
ところが1600年代 ロシア人が「ロマノフ王朝」を築き「帝政ロシア」を築く
この帝政ロシア時代 外交手腕に優れたエカテリーナ2世が かってウクライナ ベラルーシ、ロシアは 3国一体化したキエフルーシ公国を築いていたので
エカテリーナ2世は 帝政ロシアに ウクライナ ベラルーシを「併合」する
この併合で ウクライナのウクライナ人には 帝政ロシアからの「独立を目指す反ロシア派のウクライナ人」と ロシアに寄り添う「親ロシア派のウクライナ人」に「分裂」してしまう
これは 明治時代の「日韓併合」も同じで 朝鮮人には 日本からの「独立を目指す反日派の朝鮮人」 と 日本に寄り添う「親日派の朝鮮人」に分裂したのと同じ
ところが 第1次世界大戦の最中1917年、レーニンの「ロシア革命」で 帝政ロシアが 共産主義の「ソ連」になる
共産主義のソ連になっても ウクライナとベラルーシは「ソ連に併合された儘」
そして次は1939年 ドイツヒトラーとソ連スターリンが 互いに戦争しない「独ソ不可侵条約」を締結、同年1939年から 第2次世界大戦に突入
ところが 2年後の1941年 ドイツヒトラーは ソ連の領土が必要になり 独ソ不可侵条約を「一方的に破棄」
ドイツ軍(ナチス)が ソ連のレニングラート スターリングラード侵略
ここで ソ連に併合されていた「ウクライナの反ロシア派」が「ナチスに加担」ソ連に銃口を向ける
だから「ロシアのプーチン」が テレビで・・「ウクライナの反ロシア派はナチスだ」と発言していた理由
そして今度は1950年 朝鮮戦争で 資本主義と共産主義が「軍事的に敵対」する「東西冷戦」時代に突入
そのため資本主義の米国は 共産主義に「対抗」するため 資本主義の諸国を結束させた「北大西洋条約機構(NATO)」を結成
対する共産主義のソ連も 資本主義に「対抗」するため 共産主義の諸国を結束させた「ワルシャワ条約機構(WTO)」結成
ここで ソ連に併合されていた「ウクライナ ベラルーシ」も 共産主義の「ワルシャワ条約機構(WTO)」に「加盟していた」
しかし「東西冷戦」では 共産主義諸国が加盟する「ワルシャワ条約機構」が 資本主義諸国が加盟する「北大西洋条約機構」より「軍事的に劣勢」で
1991年 ソ連ゴルバチョフ書記長が 東西冷戦の「原因」になっていた ソ連共産主義を「解体」する、そのため 1991年、共産主義の諸国が 加盟していた「ワルシャワ条約機構(WTO)」も「解体」する
そのため共産主義の「ワルシャワ条約機構に加盟」していた「ウクライナ・ベラルーシ」は「ソ連から独立」する、そして国号が ソ連から「ロシア連邦」に国号が 変更
ロシア連邦から 独立した「ウクライナ」には 前述したように、帝政ロシア時代から 「ロシアからの独立を目指す反ロシア派」と ロシアに寄り添う「親ロシア派のウクライナ人」に分裂していて
ロシアから「独立」すれば、当然の成り行きで「独立派で反ロシア派のウクライナ人」が ウクライナに「反ロシア派の政権」を樹立する
しかしウクライナにはロシアに寄り添う「親ロシア派のウクライナ人」もいるので
反ロシア派の政権を「糾弾」今度は ウクライナに「親ロシア派のヤヌコビッチ政権」が 樹立される
しかしウクライナには「反ロシア派」もいるので 親ロシア派のヤヌコビッチ政権を「糾弾」
この当時 米国は、オバマ大統領で 副大統領は「バイデン」
バイデンが ウクライナの「反ロシア派」を「支援」
そのためウクライナの「親ロシア派のヤヌコビッチ政権」は追放され ロシアに亡命、こうしてウクライナには「反ロシア派の政権」が樹立された
この「反ロシア派の政権」が 現在の「反ロシア派のゼレンスキー政権」
ウクライナのゼレンスキー政権は「反ロシア派」なので 米国主導の北大西洋条約機構(NATO)加盟を希望、
ここで もし ウクライナの「反ロシア派のゼレンスキー政権」が NATOに「加盟」すれば
ロシアにとって ウクライナは「敵国」になり ロシアは「ウクライナから攻撃されてしまう」
かっては ロシアの一部だった「ウクライナが敵国」になってしまう・・昨日の友は 今日の敵になってしまう・・子供でも分かる理屈
だからロシアのプーチンは ウクライナの「反ロシア派のゼレンスキー政権」を「打倒」し ウクライナに「親ロシア派」の政権を 樹立するため
ロシア軍が「ウクライナ侵攻」した理由
だからプーチンはテレビで「これは戦争ではない」と言っていた理由
反ロシア派の政権を打倒し 親ロシア派の政権を樹立するために「ウクライナ侵攻」
プーチンは デタラメを言っていない デタラメは 米国バイデン
ところが ウクライナのゼレンスキー政権は「反ロシア派」なので ロシア軍に「銃口を向けてしまい」 ロシアプーチンと ゼレンスキーが ウクライナを巡り「ウクライナ戦争」に発展
ウクライナ戦争は 東西冷戦の「延長」
なぜ織田信長が 浅井長政と朝倉義景を 滅ぼすことができたのか
ある識者が 延々と理由を解説しているが 次の投稿で 理由を簡単に説明
見出し・・信長は、なぜ浅井・朝倉を滅ぼせたのか?裏切りと悲劇が招いた「二大勢力」の最期とは?
天正元年(1573)8月から9月にかけて、織田信長は長年にわたり対峙してきた浅井氏・朝倉氏という二大勢力を相次いで滅ぼした。両氏は信長包囲網の中核を担った存在であり、その滅亡は戦国の勢力図を大きく塗り替える転機となった。
では、なぜ浅井氏と朝倉氏は、短期間のうちに相次いで崩壊することになったのか。その背景には、信長の迅速な軍事行動だけでなく、重臣や一族の裏切りが大きく影響していた。本稿では、浅井・朝倉滅亡に至る一連の戦いの経緯を追っていきたい。
湖西から攻勢開始――木戸・田中両城を攻略
天正元年(1573)7月26日、京都を発った信長は、巨大船に乗って近江高島郡へ出陣した。近江高島郡は、江北の浅井氏と越前から南下する朝倉氏の合流地点にあたる重要な地域だった。
信長は陸路からも軍勢を差し向け、木戸城(滋賀県大津市)、田中城(同高島市)を次々と落とした。木戸・田中の両城は、明智光秀に与えられた。この勝利により、湖西方面において織田方は優位な立場を確立したのである。
相次ぐ寝返り――浅井方内部の動揺
同年8月になると、浅井氏の配下にあった阿閉氏、浅見氏が相次いで信長方へ寝返ったので、朝倉・浅井連合軍は不利な状況に傾いた。同じ頃、越前の朝倉氏は余呉、木之本(以上、滋賀県長浜市)まで出陣し、信長軍と交戦したが、信長は自ら出陣して朝倉軍を蹴散らすと、そのまま逃げる敵を追撃した。
織田軍は越前へ退却する朝倉軍を追い続け、敦賀(福井県敦賀市)付近に至るまで戦闘を繰り広げた。この戦いで朝倉軍は約3000の兵を失い、一族や重臣にも多くの死者が出たと伝えられている。朝倉氏にとって、極めて大きな打撃となったのである。
一乗谷放棄――名門朝倉氏の崩壊
同年8月、織田軍が敦賀から越前国内へと攻め込むと、義景は本拠である一乗谷(福井市)を捨て、賢松寺(福井県大野市)へ逃亡した。一乗谷に住んでいた武士や町人たちも織田軍を恐れ、散り散りになって逃げ出した。
8月20日には、朝倉景鏡(義景の従弟)が織田方へ寝返るという決定的な出来事が起こる。これにより義景は完全に孤立し、最終的に自害して果てた。こうして、越前の名門・朝倉氏はここに滅亡したのである。
次なる標的は浅井氏――小谷城への総攻撃
朝倉氏を討った信長が次に矛先を向けたのは、かつて同盟関係にあった浅井氏である。8月26日、越前を発した信長は、浅井氏の居城・小谷城に近い虎御前山(以上、滋賀県長浜市)に陣を敷き、総攻撃の準備を整えた。
翌8月27日、羽柴(豊臣)秀吉が小谷城の京極丸に攻め込むと、戦況は一気に動いた。その翌日には、長政の父・久政が自害に追い込まれたのである。この時点で、浅井氏の命運はすでに尽きかけていた。そして9月1日、小谷城はついに落城し、当主・長政も自害して果てた。
長政の妻であるお市(信長の妹)と娘3人(茶々、初、江)は辛うじて城を脱出することに成功した。しかし、嫡男でわずか10歳の万福丸は織田軍に捕らえられ、関ヶ原(岐阜県関ヶ原町)において磔刑に処せられたという。3人の娘はその後、信長のもとに引き取られたが、これにより浅井氏は完全に滅亡したのである。
二大名門の滅亡がもたらした歴史の転換点
こうして天正元年(1573)、越前の朝倉氏と江北の浅井氏という二大勢力は、わずか1か月余りの間に相次いで滅亡した。この戦いで大きな軍功を挙げた羽柴秀吉には、浅井氏の旧領が与えられた。
のちに天下人へと成長していく秀吉にとって、この時の活躍は重要な転機となったといえるだろう。そして、浅井・朝倉という信長包囲網の中核勢力を失ったことで、信長の天下統一への道は大きく開かれていくことになったのである。
※今後もこのテーマで記事を投稿して参りますので、フォローして温かく見守っていただけたら嬉しいです。
織田信長が 浅井長政と朝倉義景を 滅ぼすことができた理由
室町幕府は「足利尊氏」が「自分の天下を築く」ため 後醍醐天皇を「裏切り」 代わりに「光明天皇を擁立」し
光明天皇の「威光を利用」し 征夷大将軍となり 足利尊氏が 室町幕府を築く
そのため 足利尊氏が築いた室町幕府は「実力がない軟弱な幕府」
そのため 室町幕府は「衰退に向かう」
こうして室町幕府が 12代征夷大将軍だった「足利義信」の時代 12代征夷大将軍の足利義信には 長男の「足利義輝」と 次男の「足利義昭」がいて
長男の「足利義輝」を室町幕府の「13代目の征夷大将軍」にする
次男の足利義昭には 征夷大将軍の地位を継承する資格がないので 次男の「足利義昭」は出家 僧侶になる
つまり 室町幕府は「衰退」に向かっていた為「諸藩の大名たち」は 衰退している室町幕府の征夷大将軍に「従わなかった」
しかし 近江の大名だった「浅井長政」と 越前の大名だった「朝倉義景」は 衰退していた室町幕府に「忠誠を誓っていた」
しかし三河の大名だった「織田信長」は 自分が「天下人」になるために「室町幕府」の 征夷大将軍を「支配させねば天下人になれない」ので
織田信長は前述したように「出家して僧侶になっていた足利義昭」を 15代の征夷大将軍に祭り上げれば 室町幕府の征夷大将軍・足利義昭を「操り人形」にして
織田信長は 室町幕府を支配し 天下人になれるため 僧侶になっていて征夷大将軍の「資格がない足利義昭」を 室町幕府の15代征夷大将軍に「祭り上げる」
こうして15代征夷大将軍になった足利義昭は 織田信長の「操り人形」になってしまう
そのため 15代征夷大将軍になった足利義昭は 家臣である三河の大名「織田信長」の「操り人形にされていた為」
「足利義昭征・夷大将軍」は、織田信長を「不忠義な裏切り者」として 諸藩の大名たちに織田信長を「討ち取る」よう命じる
そのため室町幕府に「忠誠を誓っていた浅井長政と朝倉義景」が 不忠義者の「織田信長」を成敗しようとする
つまり 織田信長と 浅井・朝倉は「敵対関係」になる
しかし織田信長が 室町幕府を「実質的に支配」していたので 諸藩の大名たちは 織田信長に追従
こうして 駿河の大名だった徳川家康が 織田信長と 連合を組み
浅井長政と朝倉義景を「滅ぼし」 織田信長が、天下人に向かい 遂に室町幕府を滅ぼし「安土桃山時代」を築く
頭の発達が、未熟な日本族
日本人は 世界一 頭が幼稚な民族で いい歳こいても、まだ子供レベル
先輩の娘も55歳になるが ま~~だ幼稚なゲームに熱中 シラけてしまう
75歳の女も いい歳こいて 言っていい事 悪い事すら分からないアンポンタン
高市もいい歳ぶちこいいて 言っていいこと悪い事すら理解できず かって罪もない中国を侵略 中国人を虐殺 婦女子を手当たり次第強・・姦しても 悪い事をした罪の意識もなく 中国に またもや戦争を売るような発言 中国政府を激高させている
それほど米国トランプの脱糞が大好きな証拠
中国政府は 明確に日本に対し 友好の握手を求めている
しかし「日本人は EQが世界一低い未熟児」で、それすら分からずNOタリン日本人どもが 中国を嫌っている
こういう日本人に限って臭い屁をこく 中国は 日本が弥生時代から 日本を 言語 文化で導いた恩師
日本人は 識者(学者・大学教授)でも 世界共通の常識が分からない子供民族
唯一 田中角栄だけは 中国と友好関係を築いた
見出し・・・日中関係悪化「根源直視を」 閣僚会談見送りで中国共同通信
中国商務省の何亜東報道官は28日の記者会見で、日本が日中関係悪化の「根源を直視し、正常な交流の条件を整えるよう求める」と述べた。
日本は22、23日に江蘇省で開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)貿易相会合に合わせ、赤沢亮正経済産業相と王文濤商務相の正式な会談を求めたが、中国側が応じなかった。
立派な女性
見出し・・「鮮血でトイレが真っ赤に…」32歳女性を襲った大腸がんの恐怖 「ステージ4でも人生謳歌」闘病発信を続ける理由
「私のように、何も分からないうちにがんが進行してしまう人を減らすことができれば」
大腸がんと闘う寝り子さん。体調によってはラーメンセットを平らげる【写真:本人提供】
ラーメンは「白米のおかず」というぐらい、食べることが大好きな女性の人生が一変した。2025年5月、32歳で大腸がんステージ4の告知を受けた。「リンパ節と肺への転移が確認されました」。一時は絶望に打ちひしがれ、不眠にも陥った。がん告知から約1年がたった33歳の今、抗がん剤治療を続けながら、体調によってはラーメン・チャーハン・ギョーザのセットを食べられるぐらいまでになった。YouTubeを通して、闘病生活を発信し続けている。「ステージ4でもこうやって人生を謳歌(おうか)できることを伝えたいです」。確かな勇気を届けている。(取材・文=吉原知也)
女性は、寝り子(ねりこ)さん。経理事務で働くごくごく普通の生活で、ラーメンや激辛グルメ、焼き肉が大好物。お酒もたばこもやらない。大きな病気とは無縁だった。
20代の頃、一度病院で「痔」と診断されたことがあった。それからは時折トイレットペーパーに血がつくことがあった。自分で対処して市販薬で「しのいでいました」。痔の検査が恥ずかしかったという理由も大きかった。
明らかな体の異変が生じてきたのは、25年1月。便器が真っ赤に染まるほどの出血が出始めた。「鮮血でトイレの水が染まって。次第に、レバーのようなものと一緒に出るようになりました」。ただ、痛みに関しては「我慢できない痛みではなかった」という。痔の悪化だと思い込んでいた。本格的な受診は足が遠のいた。
一般的に、大腸がんと痔の出血は見分けが難しい面があると言われ、勘違いに注意することが呼びかけられている。
寝り子さんは、ある日突然に歩けないほどの体の痛みに襲われた。限界を感じ、4月下旬、町医者に駆け込んだ。医師が診察を進めると、空気が変わった。「できるだけ早く大きい病院に行ってほしい」。GW直前の時期だったが、がんの可能性を示され、「仕事を休んででも、すぐに検査を」と強く促された。その後の精密検査で判明したのが、大腸がんステージ4、肺とリンパ節への転移だった。
告知を受けた日は「俯瞰(ふかん)して見ているようでした」と表現する。現実感がなかった。でも頭の中には、「余命」という言葉が絶えず浮かんでいた。
3姉妹の5人家族。何よりつらかったのが、両親への報告だ。誰よりも家族思いの寝り子さんは「今もそう思って行動していますが、家族を悲しませたくないと心に決めています」。できる限り前向きな言葉を選んだ。「これから頑張っていくね」。母は「ドラマの世界だと思っていた」と絶句、家族みんなで泣いた。
治療を始める一方で、当初は夜が怖かった。「目を閉じて、開けたらもう私はいないんじゃないか」。それまで死について深く考えたことのなかった30代前半の人生が急変した。一時は眠れなくなり、精神科のサポートを受けた。
心が変わり始めたのは、ある思考の転換からだった。「死んだらどうなるんだろう」から「生きるためにどうするか」へ。夜もぐっすり眠れるようになった。昨年冬ごろには精神科の薬が必要なくなり、今は飲んでいない。「一皮むけた感じです」と笑みを見せる
田中角栄は、他者を思う心があった
見出し・・なぜ田中角栄は「敵を作らない政治家」になれたのか?神楽坂の花街で磨いた“人たらしの極意”
田中角栄は、国会では雄弁な政治家として知られる一方、私生活では相手の話にじっくり耳を傾ける“聞き上手”だったという。その素顔を知るのが、花街・神楽坂で彼と交流した芸者たちだ。角栄の愛人の甥・山科薫と親交を持つ筆者が、その証言をもとに、相手を引き込む対人術の原点に迫る。
● 政界を夢見る若き田中角栄と 芸者・円弥が出会うまで
山科薫、本名山梨貢。1957年7月14日生まれ。俳優、声優、官能小説家といったさまざまな顔を持つ。
山科の父は都庁勤めの公務員で、和子という妹がいた。親が事業に失敗し、食うことさえままならなくなり、妹は面倒を見てくれる家を転々としてやっと辻家のやっかいになった。
辻家は神楽坂で芸者置屋、金満津を経営していた。本来なら、親が借金する際に子どもがそこで住み込みとして何年間か働く年季奉公というシステムがあるが、骨と皮ばかりの和子を見て哀れに思ったのか、辻家を仕切る辻むらという女将は和子を養女にした。
そのころ、神楽坂の隣、飯田橋の土建会社に若きころの田中角栄が入社した。政界進出を夢見る青年であり、天下国家を論じるのが好きな若者だった。
土建会社の社長には娘がいた。田中青年を気に入った社長は、病弱の娘と結婚することを熱望した。独立して田中土建を創業した田中青年は、社長の娘と結婚する。
土建業と政治は深い関係がある。政界に打って出てやると野心を抱きながら、田中角栄は仕事に励んだ。神楽坂にある料亭で芸者と交遊した。そのうちの1人に円弥という10代の半玉(編集部注/一人前の芸妓になるために修行中の15〜20歳前後の少女)がいた。山科の叔母、辻和子である。
円弥と田中角栄は互いに好意を寄せ合う。円弥――辻和子は田中青年がのちに内閣総理大臣になるなど夢にも思っていない。
● 田中角栄が羽を伸ばした 辻和子邸でのプライベート
山科薫は叔母、辻和子をとおして生身の田中角栄を知ることになり、田中角栄研究正史とは別にリアルな素顔の証言者となる。
「田中さんはね、記者会見や国会では立て板に水のようにしゃべるけど、プライベートではむしろ聞き役でしたよ」と山科が語る。
「朝から晩まで陳情が押しかける。すべてさばくにも短い時間で相手の話を聞かなければならないでしょ。だからなのか、聞き上手でした」
山科の父は都庁勤務だったこともあって、田中角栄は庶民の意見、反応を山科の父から得ていた。
目白の田中御殿とは別に、神楽坂の辻和子邸では角栄は田中派の重鎮とも距離を置き、プライベートな空間で羽を伸ばした。
のちに辻和子は女児と2人の男児を授かる。不幸にも女児は病死するが、2人の男児、京と祐は元気に育った。角栄は2人の男児に田中姓を名乗らせた。
長男・京は成長すると父親に似てきた。角栄も期することがあったのか、目白の本妻が産んだ眞紀子とは別に政界への道を想定していたふしがあった。
立候補して、選挙活動する際、新人なので選挙民に名前を覚えてもらう必要がある。そのために名前の入ったのぼりを何本も立てるのだが、“京”という名前は表からも裏からも同じ左右対称の一文字だから、覚えやすく、書きやすい。選挙対策をすでに頭の片隅に描いていたようだ。
・・・新米の新聞記者にも 椅子を勧めていた 人の感情を害する言動を行わなかった
極めつけは「日中国交正常化」
1950年の朝鮮戦争で 共産主義の「北朝鮮軍と中国軍」が 資本主義の米国が建国した「韓国」を共産主義化するため 一方的に侵略
他方、1945年 日本敗戦で 戦勝国の米国が 1945年から日本を支配していたため
米国は 共産主義勢力の「拡大を阻止」するため 日本列島に「米軍基地」を置くため
翌年1951年「サンフランシスコ講和条約」で 日米同盟 日米安全保障条約を締結、
この条約が翌年、1952年「実効」となり ここから日本は「資本主義の国家」になる・・それまでは 民主社会主義の日本だった
こうして日本は1952年から資本主義国となり共産主義の中国 北朝鮮 ソ連と敵対国となり「国交断絶」
つまり 日本と中国は「国交断絶」していた そのため田中総理は「日中国交正常化」するため訪中、中国の周恩来首相と会談 こうして日本と中国の国交は回復された
その後、田中総理は「ロッキード疑惑」で 日本人からパッシングされたが中国政府は 日中国交正常化した田中角栄が 死ぬまで「礼節を忘れなかった」:
中国は 日本との「友好を望んでいる」しかし日本は狭量が狭く、中国を嫌っている
中国は大陸人で 容量が大きい 日本は島国で、容量が小さい
遣隋使の小野妹子(おののいもこ)男性
中国は「隋王朝」の時代 皇帝は「煬帝」で 日本は「飛鳥時代」
この飛鳥時代 日本で最初の女天皇になった「推古天皇」に 20歳前後の厩戸皇子(うまやどのおうじ)が「摂政」となり「聖徳太子」になる
摂政(せっしょう)とは 天皇をサポートする役職で天皇に次ぐ地位
平安時代「摂政」が「関白(かんぱく)に変更される
安土桃山時代 豊臣秀吉は 天皇をサポートする「関白(摂政)」の地位になり、天皇に次ぐ地位で 関白秀吉と呼ばれた
そして朝廷が遣隋使として小野妹子に 隋の皇帝(煬帝)に宛てた書簡を持たせる
この書簡には「陽いずる処の天子 陽ぼっする処の天子に致す、つつがなきや」
意味は・・太陽が昇る東の国(日本)の天子(推古天皇)が 太陽が沈む西の隋の天子(皇帝)に書簡を送る つつがなきや(問題ないか)・・という意味
これは日本の推古天皇が、隋の皇帝だった煬帝を「見下した書簡」
当然 隋の煬帝は「激高」
そのため激高した隋の煬帝は 小野妹子に 推古天皇を「罵倒する書簡」を持たせ 日本に帰国させる
しかし この煬帝の返書は 推古天皇を「罵倒する書簡」だった為 小野妹子はこの罵倒する返書を 推古天皇に献上すれば 推古天皇や摂政の聖徳太子から
「遣隋使の役目を果たしていない」として 推古天皇や聖徳太子から、またも罵倒されるため
小野妹子は、煬帝の返書を「握り潰し」 言い訳として朝鮮半島の百済人から返書を「奪われた」と言い訳する
小野妹子は、利口な男 推古天皇と聖徳太子は「他者の感情も分からないアホ」
このように日本の要人は「他者が気分を害する事」も分からないバカ
この他者の感情が分からず 中国政府を 激高させたのが高市総理
見出し・・小野妹子は国書を紛失、高向玄理は帰国できず...海を渡り中国に学んだ日本人
航海すること自体が命懸けだった古代において、海を渡って中国に向かい、国づくりに尽力した人々がいた。国書を紛失した者、大化の改新に貢献した者、異国の土となった者......。ここでは前後編に分け、七人の男たちを取り上げ、果たした役割とその足跡をたどる。
小野妹子――煬帝から文書を授かるも...
中国へ渡った古代の人物というと、小野妹子が、真っ先に脳裏に浮かぶのではないだろうか。
『日本書紀』には、推古天皇15年(607)、「大礼(だいらい)」小野臣妹子が大唐(隋)に遣わされたことが記されている。
「大礼」とは位階で、冠位十二階のなかの第五位にあたる。この時点で妹子の位階は、特別に高いわけではなかった。 妹子は有名な「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)無きや」ではじまる国書を携えて、隋に渡った。
この国書を見た隋の第二代皇帝・煬帝は、「蛮夷の書、無礼なる者有り」と怒りをあらわにしたという(『隋書倭国伝』)。
翌推古16年(608)、妹子は隋からの返答使・裴世清(はいせいせい)を伴い、帰国した。 妹子は帰国にあたり、煬帝から文書を授かっていたが、百済国を通った際に、その文書を百済人に奪われてしまったため、届けることができないと奏上した。文書を紛失した妹子を群臣は、流刑に処すべきだとしたが、推古天皇は赦(ゆる)した。
この妹子の文書紛失に関しては諸説あるが、倭国に不都合な内容が記されていたため、妹子が握りつぶしたともいわれる。
同年9月、裴世清を送るため、妹子は再び、隋に派遣された。このとき、後述する南淵請安(みなぶちのしょうあん)、旻(みん)、高向玄理(たかむこのげんり)らも、随行している。彼らは、隋の滅亡と唐の興隆を目の当たりにしながら中国で学び続けることになる。一方の妹子は、翌推古17年(609)9月に帰国した。
帰国後の妹子に関しては、よくわかっていない。だが、大礼から、冠位十二階の最高位である「大徳(だいとく)」に昇進したようなので、しばらくは朝廷で任につき、高い評価を得ていたのではないだろうか。
妹子の没年は不明である。政界を引退してからは、故郷の近江国滋賀郡小野村(滋賀県大津市)で過ごしたともいわれる。穏やかな晩年を送れたのだろうか
糖尿病の治療薬「マンジャロ」を、通信販売している業者
病院が「使用する薬剤」は 医師の「処方箋がない」と「患者に使えない」
医師でない者が「処方箋なしに使う」と「薬事法」違反になる
見出し・・「直ちに販売を中止して下さい」東京都庁薬務課、「マンジャロ」めぐりXで警告 歓迎の声相次ぐ
東京都庁が異例の取り組み
X上での医薬品の不正販売の監視を行っている公式Xアカウント「東京都庁薬務課」による2型糖尿病治療薬「マンジャロ」の無許可販売をめぐる注意喚起が、SNS上で注目を集めている。
マンジャロの違法販売を見逃さない都庁。リプをつけて警告だ
■2型糖尿病の治療薬「マンジャロ」めぐりダイエット目的での使用が横行
昨今、2型糖尿病の治療薬としてのみ承認されている薬「マンジャロ」を、ダイエットなどの美容目的で使用する行為が問題視されている。美容クリニックなどで販売されているものだが、SNS上では個人間取引も確認される。
医薬品は適切に使用した場合でも副作用が生じる可能性がある。特に、適応外使用による健康被害はすべてが自己責任となるため、安易な使用は思わぬトラブルにつながるリスクの高い行為だ。
また、個人が医薬品等を販売する行為は、法律に抵触する可能性がある。東京都保健医療局は「フリマ・オークションサイト(アプリ)で許可なく医薬品等を販売することはできません」と題したページで、注意喚起を行っている。
同局によると、「許可無く医薬品をフリマサイト等で販売すること」「許可や届出無く医療機器(一般医療機器除く)をフリマサイト等で販売すること」「国内で医薬品に指定されている成分を含む海外製のサプリメントを出品すること」などは、「たとえ1回のみの販売であっても医薬品医療機器等法に違反する恐れ」があるという。
「医者でなければ医薬品に関わってはいけないのですか?」
SNSでは、インフルエンサーとしても活動する人気キャバクラ嬢「ゆいぴす」さんの発言も波紋を広げていた。
以前からマンジャロを使用していることを公言しているゆいぴすさんは、実業家の溝口勇児さんが出資したマンジャロのオンライン処方サービス「diet beauty」のアンバサダーに就任し、発信活動を行っている。
2026年5月25日のX投稿では、自身への批判について「リスクは個人的に使ってるので分かりますし、経験してます。あとは、私はそもそも医者でもないですよ。医者でなければ医薬品に関わってはいけないのですか?」と反論。
「日本人ってなぜここまでマンジャロに批判的なのでしょう? 世界中での売り上げはご存じですか?」と主張していた。
マンジャロ売るユーザーに返信して警告
こうした中、薬務課はSNSでマンジャロを販売するXユーザーらに対し、「東京都保健医療局健康安全部薬務課です。医薬品であるマンジャロを許可等なく販売等することは医薬品医療機器等法に違反します。直ちに販売を中止して下さい」とのリプライを送っている。
一連の投稿はSNSで拡散され、「安心できる」と受け止める声が広がった。薬務課だけでなく、警察庁も対応に乗り出すべきだとする意見もある。
東京都議の青木英太氏も、「マンジャロの適正な販売について 東京都もこのようにいっています」と反応している。
糖尿病とは
糖尿病は「難病」で 現在の医療では「治療法が無い」
「悪化を防ぐ」のが「唯一の治療」
糖尿病が 悪化すると 目の網膜が「糖尿病性網膜症」になり「目が見えなくなったり」
足が壊疽を起こし「足を切断」したり 腎臓が機能しなくなり「人工透析」せねばならなくなる「難病」
まず「人体の仕組み」を説明
人間には「膵臓」という臓器があり この膵臓には「ランゲルハンス」という部位があり この膵臓のランゲルハンスから「インシュリン」というホルモンが分泌されている
このインシュリンは「人間が体を動かし」たり「脳が機能する為」には「エネルギー源」とする「糖分」が必要で
この「糖分」を「エネルギーに変換」するのが「インシュリン」
ところが不運にも 生まれながら 膵臓のランゲルハンスから「インシュリンが分泌されない人」が「1型糖尿病」と言われ
外部から注射器で「インシュリンを体内に注射」せねばならない糖尿病が「1型糖尿病」で
インシュリンを注射せねば 血液の糖分が増加してしまい 血糖値が上昇し 血液が糖分で ドロドロの粘液性の血液になる
脳や 腎臓には「毛細血管」が集中していて 毛細血管は、髪の毛よりも細く「赤血球が1列縦隊」でしか「通過できない細い血管」で
血液の糖分が増加(血糖値が上昇)すれば「糖分でドロドロした血液」は 毛細血管を「通過できなくなり」
「脳神経細胞」に 酸素 糖分を「供給できなくなる」ので 脳が「機能しなく」なり
「意識不明」に陥り「死亡してしまう」
生まれながらインシュリンが分泌されない「1型糖尿病」に対し、日頃「暴飲暴食」で 糖分を「過剰に摂取」していると インシュリンを分泌する「膵臓のランゲルハンス」が「疲弊」してしまい
過剰に摂取した糖分を、エネルギーに変換できず 血液に 過剰な糖分が混じり
血液がドロドロした粘液性の血液になり 上述したように 脳に酸素・糖分が「供給されなくなり」
そのため、脳が機能しなくなり 意識不明に陥り、死亡してしまう これが「2型糖尿病」
ここで 生まれながらの「1型糖尿病」は「外部から注射器でインシュリンを体内に注入する」が
「2型糖尿病」は「血糖降下剤」を服用する
この「2型糖尿病」の 血糖降下剤の 1種が「マンジャロ」で 空腹感を無くし
過剰に糖分を摂取しない薬剤
だから 「肥満体」の人が 過剰に暴飲暴食して「肥満体」にならないよう「ダイエット」として、マンジャロが使われているので 警告
注意・・「いかなる薬剤」にも「副作用」があるので 要注意