バブル景気と沿海戦争
1986年:バブル景気が始まる。リゾート地の開発が加速し1973年から続いていた不況が回復し始める。
1987年:バブルの投資先がフィリピンへと向き始める、ルソン島のインフラが急速に整備される。
1988年:青函トンネルと瀬戸大橋が開通。多数の大企業がルソン島へ進出、無数の工場とリゾート地が建設される。台湾省がハイテク産業育成を推進する。
1989年:昭和天皇崩御、平成へ改元。ルソン島の工業化が加速し続け地方格差が激しくなる。
1991年:バブルが崩壊、日本全土での不況が始まる(平成不況)。バブルがはじけたことでフィリピンでは失業者が増加、反日感情が高まる。
1992年: が顕現。警視庁に特別災害対策部が設置される。
1993年:初の原子力空母が起工。長期政権による汚職とバブル崩壊による政治不信が重なり、1955年から続いた55年体制が崩壊を迎える。
1995年:地下鉄サリン事件と全日空ハイジャック事件が発生、SATの前身となるSAPが初めて出動する。稚内市との通信が突如として途絶、その直後にコルサコフに集結していたロシア沿海軍の輸送船団が稚内への移動を開始し上陸。日本政府は後手に回りながら軍に出動を命令、沿海戦争が勃発。
1996年:旭川の戦いで上陸した沿海軍を打ち破った日本軍がサハリン、ウラジオストクに上陸、1か月後に沿海戦争が終結。沿海地方、カムチャッカ地方が日本の勢力圏へ加わる。
1997年:戦災によって荒廃した北海道の復興が始まり、修復と同時にインフラの強化が行われる。
1999年:バブル崩壊後の経済が少しずつ回復し始める。
上海事変と東日本大震災
2000年:半導体の需要が高まったことにより台湾省での半導体産業の拡大が推進される。
2002年:原子力空母「あかぎ」「かが」の二隻が就役、日本海軍が拡大期に入る。
2003年:ウラジオストク共和国の開発と重工業化が推進、重要な資源地帯として開拓が始まる。
2005年:人民軍の残党がビサヤ諸島で反乱、第一次フィリピン内戦が勃発。
2007年:日本軍が突如として上海市での「特定状況下の治安安定化活動」を行うことを宣言。2日間の戦争の末、上海自治領が樹立される。
2008年:南洋諸島政府が日本共同体への加盟を申請、自治領として日本政府の保護下に加わる。
2010年:第一次フィリピン内戦が終結、フィリピン共和国政府への監視が強化される。
2011年:東日本大震災が発生、東北地方を中心に甚大な被害を受けた。
2012年:3年間弱に及ぶ民主党中心の政権が終わる。
2014年:宗谷トンネル、間宮トンネルが開通。カムチャッカ半島を縦断する鉄道が開通する。