ヴィクトリア帝国
19世紀半ばから19世紀末にかけてのヨーロッパは連合王国のヘゲモニー下にあり、概ね平穏であった。そのため、古代のパクス・ロマーナに習い、この時期を称してパクス・ブリタニカ(Pax Britanica)と呼ぶ事がある。五賢帝時代のように、この時期のイギリス帝国はまさに最盛期を迎えていた。ヴィクトリア女王の統治の下、科学技術は発展し、選挙法改正により労働者は国民となり、シティには世界中から資本が集まり平和裏に各国に影響力を行使することができた。これにより連合王国はヴィクトリア女王の名から、ヴィクトリア帝国と呼ばれるようになる。しかし、フランスやスペインとのアフリカに場所を移した植民地競争、新興国ドイツ、アメリカの追い上げ等、水面下では次の時代に向けた動きが活発化していたのもまたこの時代である。1901年1月22日のヴィクトリア女王死去後、ハノーヴァー朝からサクス=コバーグ=ゴータ朝となり、エドワード7世国王が即位した。この後、外交面では1902年1月30日に、ロシアの南下政策に対抗するため利害関係の一致による目的により日本と日英同盟を締結した。この後、日本はロシアとの日露戦争において講和成立により勝利を果たした。その後、日本との軍事同盟は第二次(1905年)、第三次(1911年)と継続更新された。1910年5月6日にエドワード7世が死去し、ジョージ5世国王が即位した。
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