かとかの記憶

富野由悠季 周回 / 56

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katka_yg 2025/03/25 (火) 00:22:59 修正

市民戦争と戦国時代

上で一度、「クロスボーンが市民を名乗るのは変かな」と書いていた。Vガンダムを読み始めると、ニュング伯爵の言うところ、

「そうだ。スペース・コロニーの各サイドの独立運動は、宇宙の市民戦争というのにふさわしい立派なものだよ」

そうだ、というのはウッソの「地域主義、民族主義でしょう?」に答えるものだが。ここの文中でもクロスボーン・バンガードの勃興と衰退があり、宇宙の市民戦争時代……という順序で記していて、クロスボーンのことを市民戦争とは言っていないみたい。フロンティア・サイドの独立騒ぎは後に続く時代のインパクトになった。

『Vガンダム』中で市民戦争という言葉は一巻だけで、以後に現れない。物語の舞台はもっぱらザンスカールとの戦いになり、各サイドの独立運動を称えているニュング伯爵にしてもザンスカールを同じ言葉で称えてはいない。ザンスカールは帝国だし、祭政一致の恐怖支配で、どんな意味でも市民・民主的らしくはない。そのザンスカールも含めた地球連邦宇宙の崩壊事情のことは、二巻以降、宇宙の戦国時代と呼んでいく。

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    貴族と海賊

    クロスボーンの話にもどって、スレッドが切れているのでリンクのみ。

    「クロスボーン・バンガードは貴族を名乗っているのに一方で市民を名乗るのは変だろ」という意味しかない。もっとも、貴族や市民という言葉の意味自体、古代ギリシアやローマ時代のような一々を挙げれば曖昧だが、近代の「市民戦争」という場合にはコスモ・バビロニアのようなイメージはそぐわない。

    バビロニア勃興は自ら宣言している一方で、その当時の宇宙全般からみればあくまでマイッツァー・ロナ個人の地球連邦への反乱ということになっている。この場合のマイッツァーはやはり連邦の一市民という数え方になる。

    わたしはまた、アメリカ独立史の初期と、海賊史に登場するリバタリアン(ミッソン船長のこと)を関連してイメージしているから、海賊というのはそれもまたファッションとしてほしい。こういうことも書いておかないと「宇宙海賊」のイメージも人によっては違うだろう。

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    katka_yg 2025/03/25 (火) 01:02:06 修正 >> 57

    貴族精神について、「血統上の貴族」と「精神の貴族」とはまた違う。生まれは何者でもないが高貴な心映えを備えていればそれは貴族、という唱え方の話は、もうだいぶ話題が逸れてきたが、富野話題でも「ノーブル・マインド」はたびたび、出てくるだろう。

    それと、「貴族」と「騎士」とはまたちがい、往古の「騎士道」と「騎士道精神」も、言葉の指す意味を言い出せばまた厳密にはちがう。それは、わたしは昨年も一人で鬱々と読み返していて、古典文学に興味のある読者ならレオン・ゴーティエ『騎士道』(1884, 武田秀太郎訳,2020)が最近訳されていて、ためになる。わたしの場合、宗教と戦争についてや、ディネーセン(カレン・ブリクセン)の小説を再読していた続きでその一帯は参考にもなった。こんなことまめに書いておくものだ。