まあこういう過程がル・グイン疲れること……作品自体はそうでもないような。にもかかわらず、ゲド戦記通過したらそれ関連書籍をこのたびすでにニ冊積んでる。自殺か。
そういえば、アニメ映画版の「ゲド戦記」の話をこのあいだしていたのに、それはサントラ音楽の話だけでル・グイン原作ということはすっかり忘れていたようだった。それは寺嶋民哉のほうの興味だったからね。
それはC.W.ニコル原作「風を見た少年」のつながりだったのだけど、「ゲド戦記」の音楽は作曲家のキャリアではそれらからの関連の方が強くて、『なんでアースシーがアイリッシュなのか…』のことははっきり言って、ない。それとまたべつに、わたしは「テルーの唄」の詞がまたあまり好きではなく、日本人の詞で誰だったらル・グインも黙らせるだろう……谷山浩子あたりなら文句ないんじゃない?……と思ったらこれ谷山浩子の曲じゃないか! とか、今は何年ぶりだったかわからないが、記憶も変になっていた。
2015年頃を終わりにフォローしていないけど、寺嶋音楽による『カレワラ』というのも今頃興味あるなあ……。また憶えておこう。
交響曲獺祭みたいなものを連想するが、わたしの興味はそういうの。
これも先日、ジョン・ウィリアムズの2枚組ベストを聴いたらジョン・ウィリアムズが日本のガンダム等あれこれの印象の混ぜこぜに聴こえてしまい、(逆に)参るという感覚になっていた。わたしは最近は習慣的に音楽自体を聴かないのだがたまたまこの1年、数えてみれば6人の日本人作曲家によるウィリアムズの何かを聴いており(90-00年代頃)、そんなの言い出せば本当にきりがない。もはや当たり前すぎる、そういうことを「批評」とも言わない。
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